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第67回:ビリー・ザ・キッド その67
サンタフェの拘置所
ラスベガスからサンタフェへの汽車での護送は、それまでの馬車に比べ快適だった。パット・ギャレットと警護団、囚われ者のキッドたちはまさに、鳴り物入りでサンタフェに向かった。途中停車する町々で物見高い群衆に囲まれ、パットは大いに男を上げ、キッドたちも列車の窓に群がる人々に応えている。
キッドは列車の窓越しに因縁浅からぬラスベガス・ガゼット紙の記者クーグラーのインタビューにさえ応じている。
キッドは、「お前が俺についてイロイロ書いたことについて、俺は何とも思っていない。どちらにせよ、人は自分の信じたいことを信ずるものだし、良い面には目をつぶるものだ。俺はギャング、盗賊団のリーダーだったことはない、ただいつも一個人としてのビリーであっただけだ」と語っている。
キッドは1881年の正月をサンタフェの拘置所で迎えた。サンタフェ拘置所はウォーター通りにあり、ニューメキシコ領域政庁とは目と鼻の先だった。キッドは拘置所から、都合4通の手紙を知事ルー・ウォーレスに書いている。初めはただ単に是非会いたいから、僅かな時間を割いてもらいたいというだけだった。が、知事からの返事はなかった。
ルー・ウォーレスには、キッドを相手にする数分すらなかった。第一、ルーはニューメキシコにいなかった。馬鹿受けした『ベン・ハー』の出版に絡み、ニューヨークに赴いていたのだ。
クリスマスから正月にかけて『ベン・ハー』は売れに売れていた。出版社のハーパー兄弟会社は増刷が間に合わないほどだった。 そこからルーの懐に入る金も、ルーを舞い上がらせるに充分な額だった。誰がケチなアウトローの人生にかまけるものか……。
キッドの裁判は、3月にメシリャで行うことに決められた。罪状はバックショット・ロバーツとシェリフのブラディ殺しの容疑だった。
3月4日に3通目の手紙を知事に送っている。この場に及んでも、キッドは上部の政治家どもが、売名のためには犯罪者を利用はするが、犯罪者を助けるために指一本動かさない現実が分からなかった。
キッドは仲間と拘置所に穴を掘り脱獄を図ろうとしたが、まだいくらも掘らないうちに見つかり、今度は穴の掘りようのない2階の鉄格子のはまった拘置所に移され、二人の警備員が24時間態勢を取る監視下に置かれた。
丁度、その頃ジェームス・ガーフィールドが大統領に就任し、ルーはニューメキシコ領域の知事を辞めた。その後を受けて、3月17日にはライオネル・シェルトンがニューメキシコ知事に就任したのだ。
まだ、キッドの逮捕、裁判の報道熱が冷めていない2、3週間後、ルーは東部の新聞記者に、未だにキッドを救済するつもりかと訊かれ、ルーは、「もちろん、できることならそうしたいが、今の私に何ができるのかね」と答えている。ルーにとって、キッドは利用価値のない若年犯罪者の一人に過ぎなくなったのだ。
ルーが自腹でキッドの首にかけた500ドルの賞金は、最後までパットに支払われることはなかった。
キッドが4通目、最後の手紙をルーに送った翌日、3月28日にキッドとビリー・ウィルソンの二人は、汽車でメシリャへ護送された。
−…つづく
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