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■フロンティア時代のアンチヒーローたち〜西部女傑列伝 1
 
西部女傑列伝 1


西部劇に登場する女性たちの大半は、ほんの少しばかりたくましい男たちに花、色を添えるだけの脇役で、しかも十中八九は酒場の女と相場が決まっている。西部はなんと言っても陽に焼け、汗とホコリにまみれた男どもの世界なのだ。

男女の比率から言っても、西部、パイオニア地域は圧倒的に男が多く、特に鉱山町では女性が10%以下だったところも珍しくない。自然、男どもは女に飢えていた。そんな西部に足を踏み入れる女性はサロンバーで働く娼婦か、信仰の自由を求め家族総出で入植を試みるモルモン教信者が大半を占めていた。合衆国政府が無料で交付していた、ホームステッド(割り当てられた開拓地)に乗り込む場合でも、まず男衆が先に行き、目星をつけてから妻や子供を呼び寄せるケースが多かった。

このアウトローのシリーズを書き始めたとき、私も西部全域が大変な女日照り、女性不足だとは認識していなかった。西部の山師、開拓者、カウボーイたちが、幾人もの女性を妻としているモルモン教徒を目の敵にし、暴虐を働いた由縁は信仰の教義より、"あいつらが、女を独り占めにしているから、俺たちに回ってこね〜"という嫉妬の感情が先立っていたと見てよい。

私なりに西部の山岳地帯、砂漠、大平原、森林地帯を旅し、廃墟になった開拓部落の数々を訪れて驚くことは、彼らのタフネスぶりだ。温暖な日本の気候とはまるで異なる土地、猛暑から厳寒へ移り変わる激しい天気、農業用水を求め、気の遠くなるほどの距離の用水路を掘り、部落の家を造り、数年かけてやっと牛や馬を徐々に増やしたときに、インディアンの襲撃に遭い、すべてを失うことの繰り返しだった。元々そこはインディアンの土地ではあったのだが…。

パイオニア・ウーマン、女性たち、妻たちもヤワではなかった。次から次へと子供を生み、育て、同時に、畑、牧場、牛馬の世話をも受け持っていた。現在、アメリカの平均寿命では女性の方が男性より8歳近く長生きできることになっているが、西部開拓時代の1800年代、男女の差はなかった。男も女も40数歳の早死にだった。男どもが戦争や不健康な鉱山の仕事でバタバタ死んでいったと同じように、女も産褥や多産による疲弊で死んでいった。とりわけ、チョッとした感冒、チフス、コレラ、肺炎、結核に対する抵抗力が疲れきった女性にはなかった。沢山生んだ子供も成人するチャンスは50〜60パーセントで、乳幼児の死亡率は異常に高かった。

アウトロー史に名を残した女性たちは、タフの中でも群を抜いてスーパータフな肉体と精神を持ち、この極めつけの男の世界に割って入り込んだのだ。高名なアウトローの愛人としてではなく、一個の個性を持って、男と同等に、時には男以上に多くの厳しい場数を踏んできた女性群をここで取り上げてみようと思う。

 


第1回:大平原の女王、カラミティー・ジェーン その1

更新日2015/07/30

 


あだ名の由来

西部史に登場する人物にはとかくあだ名をつけたがる。本人自ら通りの良いニックネームを広め、自己顕示欲を満足させ、同時に名を売りたがる傾向がある。これに男女の差違はない。


カラミティー・ジェーン。
颯爽と馬にまたがり、男勝りの様相だが、この写真は1885年頃のもので、ジェーンは34、35歳だったろう。
長身で骨格も頑丈、乗馬、射撃の腕は荒くれカウボーイどものド肝を抜くほどだった。

カラミティー・ジェーンというニックネームも、本人が大いに気に入り、盛んに吹聴した。カラミティー(Calamity)というのは、不幸、悲運、災害の意味で、あだ名としては決して褒められたものではない。私に逆らうととんでもないことになるよ、という警句に取れないこともない。

彼女自身の語るところによれば(1896年に書いた自伝『カラミティー・ジェーン』)、彼女が斥候としてイーガン大尉の下で働いていたとき、ワイオミング州、グース・クリークでインディアンの急襲に遭い、大尉が落馬したのを先を行っていたジェーンが取って返し、彼を自分の馬に拾い上げ、相乗りし砦に逃げ込み、イーガン大尉の命を救った。その時、イーガン大尉は、「これから、お前をカラミティー・ジェーンと呼ぼう、お前は本当の平原の女王だ」と言った。それ以降、人はカラミティー・ジェーンと呼ぶようになったと…彼女は書いているのだが、これはかなり眉唾の創作らしい。

本当のところは、真実は常に当事者に厳しいものだが、ジェーンが抱え込んでいた、それも四六時中多くの法廷闘争を繰り返していたのだが、原告の男どもだけでなく、検事、判事、裁判官までが彼女一流の暴言に怒り狂い、「この女は疫病神だ、カラミティーな奴だ」と呼ばれたのが最初らしい。

ともあれ、ミズーリー州の北にある今も、昔もヒナビタ田舎町プリンストン(Princeton, MO)に生まれた田舎娘、マーサ・ジェーン・カナリー(Martha Jane Cannary)は、"カラミティー・ジェーン"として、西部史上に名を残し、その名は全米に知れ渡り、数多くのダイム小説の主人公になり、ハリウッドが幾度となく映画に題材を提供することになった。

マーサ・ジェーン・カナリーの出生がはっきりしない。1852年とも1856年とも言われている。 出生届けがないのだ。唯一の手がかりは、家族がプリンストン村から西に8マイル行ったところにあるラヴァーナという、これまたちっぽけな村外れに住んでいたのが1860年の国勢調査で知ることができる。

父親はロバート、母親はシャーロット・バーチ・カナリーで、ジェーンは母親の苗字を名乗っていることになる。南北戦争前のアメリカは、極めつけの男尊女卑の社会だから、子供に父親の姓でなく母親方の姓を名乗らせたのは、何かやむを得ない事情があったのだろう。 父親のロバートはいつも金欠で、それが元で芳しくない噂が多い人物だった。それでも、せっせと子づくりに励んだのだろう、ジェーンの後、続々と5人の子供を作っている。

1866年、南北戦争たけなわのとき、ロバートは一家、妻のシャーロットとジェーンを筆頭に6人の子供を連れて、モンタナ州のヴァージニア・シティーへと西部劇そのままのような幌馬車で西へ西へと移住の長旅に出た。

…つづく

 

 

第2回:カラミティー・ジェーン その2、モンタナ、ヴァージニア・シティーへ

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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