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■フロンティア時代のアンチヒーローたち~西部女傑列伝 5
 

第21回:カルト・ケイト ~アルバート・ボスウェル その2

更新日2017/10/26

 

アルバート・ボスウェルの“ワイオミング不動産および土地改良会社”(Wyoming Land and Improvement Company)が、次に展開したのは畜産業だった。ケイトとジェイムス牧場を取り巻くように土地を買い占め、それを元手に新たな投資家を募り、当時のお金で30万ドルの資本を駆使して、スィートウォーターリヴァー沿いに大掛かりな灌漑用水路網をつくり、自分の名前“ボスウェル”と名付けた町を作りあげようとしたのだ。もっとも、ボスウェルの町は彼がそう呼んでいるだけで、公認の地名にはならなかったが…。

ボスウェルはマスコミの重要さを知っていた。それは東部の投資家を募るのための有効な武器になる。二人の若いジャーナリスト、フェッツ(H.B.Fetz)とスピアー(J.N.Speer)とに自分の家屋の1階に新聞社を置かせ、お抱え新聞を発行させようとしてさえいる。だが、この二人は盲人ではなかった。すぐにボスウェルの意図を見抜き、場所をローウインズに移し、自分たち独自の新聞『ローウインズ・リパブリカン』と名付けて、逆にボスウェルに敵対する論壇を張る紙面を作り出していった。それがリンチ事件の2年ほど前の1889年のことだった。

ボスウェルの妻マーガレットは自称物書きで、自然、野生を愛し、狼の保護に関わっているが、ワイオミングでの質朴、言ってみれば貧しいく不便な開拓民暮らしにはなじまず、温暖な南カリフォルニアに留まることが多かった。彼女の自然愛護も所詮、都会人の動物愛護の範疇でしかなかったのだろう。ボスウェルも冬場はカリフォルニアで過ごすことが多かった。

マーガレットは数回、ワイオミング、スィートウォーターの“ボスウェル・シティー”に滞在してはいるが、ほとんど寄り付かなくなり、ボスウェルは留守を預かっている10歳以上年下の女性、ワッドワースと使用人以上の関係になり、マーガレットと正式に離婚する前にニ人、それからワッドワースと結婚してからさらに二人の子供をもうけている。ワッドワース嬢は目を見張るほど美しかったと言われているのだが、写真を見つけることができなかった。

アメリカ人好みの平等、公平、悪は裁かれ、善は報われるというのが、絵に描いた餅以前の神話だが、ボスウェルはリンチ裁判で無罪になった後、ケイトの牧場、160エーカーと小屋を10ドル少々で手に入れているのだ。これは当時にしてもベラボーな馬鹿安値で、一応オークションに掛けられたのだが、競争相手が誰もおらず、ボスウェルが法的手順を踏んで所有権を得ている。開拓民が合衆国政府のホームステッド・システムで譲り受けた土地は、3年間転売できず、その間、土地を開墾し、棲めるようにする義務があった。ケイトの土地は譲り受けてから3年経っていなかったが、小屋もあり、そこで暮らし、コラール(牛を追い込む柵)も作っていたから、ケイトの名で正規に登記される寸前だった。 

当然、水場に恵まれたケイトの牧場を入札しようとした人はいただろう。だが、ボスウェルは得意の政治力と暴力、脅しで他の入札者を抑えた…といわれている。同様の手順を踏んでジェイムスの地所もボスウェルの手に収まっている。二人をリンチに架け、殺し、その土地をタダ同然で自分のモノにしたのだ。

01
ケイトの小屋<水彩画>

さらに、リンチ事件を起こした年に無罪になったとはいえ、殺人(過失致死とい罪状だったが…)で起訴されたボスウェルとトム・サンは、晴れてワイオミング牧畜協会の名誉会員になっているのだ。しかも、その役職を1902年まで11年間勤めている。リンチ組のジョン・ダブリンも1894年から理事職に就いている。

ケイトとジェイムスを殺してから25年後、1916年にボスウェルはワイオミングの地所をすべて売り払い、カリフォルニアに引越した。買ったのはスチュワート・スタンフォードという男だったが、ボスウェルが売り渡した土地のなかに、正式に登記していない、言ってみればボスウェルが所有していない土地がたくさん含まれていたのだ。当然、お決まりの裁判沙汰に発展した。

ワイオミングで、ボスウェルはパラノイア的な性格をつのらせ、誰かが彼のモノを取り上げようとしている、彼の命を狙っている恐怖感に憑りつかれていた。人は自分が行ったような犯行を他の人もヤル…と考えるのだろうか、ボスウェルは常に銃火器を身近に置き、寝る時でさえ、枕の下に拳銃を隠し持っていた。

ワイオミングを去るまで、ほとんど唯一人の友人だったトム・サンは、後年、ボスウェルはケイトとジェイムスをリンチに架けたことを深く後悔していることを公言して憚らなかった…と語っている。だがそれにしろ、リンチを一緒に行った共犯仲間に対しての甘えた告白でしかない。ケイトとジェイムスを吊るしたことを本当に後悔しているなら、自分の犯行を公表し、自ら進んで裁きを受けるべきなのだが、そんな気配はない。

02
アルバート・ボスウェル、息子たちと弟に囲まれ、椅子に腰掛けている。
ボスウェルは自分の服装に拘り、馬で自分の地所を回る時には
いつも赤いベストを着ていた。目立ちたがり屋だったのだろう。
周囲の牧場主、牧童たちは、「赤シャツがやってきた」と小馬鹿にしていた。

アルバート・ボスウェルは1928年まで生き、カリフォルニア、サンタバーバラの病院で天寿を全うした。死因は“Brights Disease”(ブライト病;腎臓炎)と書かれている。苦しまずに心拍が停止し、安らかに逝った。享年73歳だった。

ケイトとジェイムスを殺した男は、それに加えて、重要な証人であったフランク・ブキャナンの殺害をセットアップしたと思われるが、安楽のうちに人生を終えたのだった。

-…つづく

 

 

第22回:カルト・ケイト ~トム・サン

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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第1回:カルト・ケイト
~カナダ生まれの気骨ある女傑
第2回:カルト・ケイト
~結婚と破綻、そしてワイオミングへ

第3回:カルト・ケイト
~ジェイムス・アヴェレルとの出会い
第4回:カルト・ケイト
~アンチ牧畜男爵的思想の芽生え
第5回:カルト・ケイト
~大牧場で富を独占していた牧畜男爵
第6回:カルト・ケイト
~牧畜捜査官ジョージ・ヘンダーソン

第7回:カルト・ケイト
~仕組まれたリンチ総決起集会
第8回:カルト・ケイト
~牛泥棒と決め付けられリンチへ

第9回:カルト・ケイト
~ジェイムスも一緒に連行される
 
第10回:カルト・ケイト
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第11回:カルト・ケイト
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第12回:カルト・ケイト
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第14回:カルト・ケイト
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第16回:カルト・ケイト
~ジェイムスの甥、ラルフの死

第18回:カルト・ケイト
~ブキャナン殺害と裁判の行方

第19回:カルト・ケイト
~証拠不十分で全員無罪となるが…

第20回:カルト・ケイト
~アルバート・ボスウェル その1

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