第510回:断続複線化区間の通勤電車 - 宇野線 -
四国フェリー、第85玉高丸は定刻より少し早く宇野港に到着した。穏やかな航海であった。ここが宇野。寝台特急瀬戸の終着駅として、かつて東京駅で見た地名、どんなところかと想いをはせた駅だ。その早朝の街を少し歩いてみたかった。しかし行程表は宇野駅発07時09分発の列車を示している。今日は日中にバスまたはレンタサイクルを使う。不確定要素を抱えた日程だから、残念ながらここに散歩の時間を割けない。
宇野港そばの建物。ちょっと不気味……
宇野駅は赤い三角屋根の駅舎で、改札を通れば、正面に新し目のホームが奧へ1本伸びている。かつては宇高連絡船に接続し、桟橋まで駅舎がつながり、貨車を積み込むための線路もたくさんあっただろう。その面影はもうない。駅舎もホームも建て替えせられたようだ。宇高連絡船の廃止から、もう四半世紀が経とうとしている。
宇野駅。
駅前から上方へ伸びる竿のようなものは『海からの贈り物』という名のモニュメント。
船のマストをかたどり、海の生き物が戯れる
ホームの両側に電車が停まっている。左側は黄色ずくめの115系電車。国鉄時代に勾配区間の多い路線向けとして作られた電車だ。右側はステンレス車体に青い帯の213系電車。顔つきは関東でも活躍した211系に似ている。しかし、乗降扉は片側にふたつ。客室は二人掛けの座席がずらりと並ぶ。通勤電車だけど私鉄のロマンスシートのようで、旅の気分を演出してくれる。関西の通勤電車は楽しい。
かつては賑わったであろう宇野駅も、現在はホーム1本のみ
次の発車はステンレスの213系のほうだ。ひとつ一つ車体を眺めつつ最後尾から先へ歩く。そして6両編成の先頭車に乗り込んだ。乗客は数名。このくらい空いているなら、と、前の席の背もたれを押し倒した。座面を回さなくても向かい合わせの4人席になる。これが転換クロスシートである。私は靴を脱ぎ足を伸ばした。
通路の後ろから前方へ、小柄な女性が歩いていく。制服を着ている。バスガイドのような丸い帽子。後ろ姿がかわいい。でも通勤時間帯に観光アテンダントとは妙だ。ミッション系の女子高校生か。いや、違った。彼女はそのまま乗務員室に入り、運転席に収まった。
213系の車内は転換クロスシート
定刻通り発車。あの小柄な女の子が、6両編成約180トンの電車を動かしている。数年前から女性鉄道員が増えているから、珍しいことではない。鉄道職に男女の違いはないとはいえ、無理矢理女性らしさを捨てることもないだろう。あの帽子はかわいい。そして頼もしい。どんな表情だろう。
発車してまもなく、車窓右側に小さな山が見える。そのてっぺんの岩のかたちが奇妙だ。地図を探したけれど手がかりがない。宇野から岡山までは平坦な景色かと思っていたら、小さな山に囲まれている。瀬戸内は小さな島が散在する海だと思っている。それだけで、南北の両岸を想像しなかった。海も陸も険しい地形のようだ。島の多さも土地全体の起伏の多さに因るのだろう。
朝の車窓に謎の奇岩
宇野は岡山から南に突き出た半島の先端にあると思っていた。しかし実際の半島は岡山と倉敷を上辺とし、南へ、そして東へと、L字に突き出している。宇野は直角に曲げた腕の、肘のあたりであった。そして宇野線はまず北へ向かい、肘の先を横断する。
宇野の次の駅は備前田井。先頭車には10人ほどのお客さんが乗ってくる。宇野からは数名だったから、これで座席の半分くらいが埋まった。この電車は岡山に08時04分に着く。通勤通学列車の時間帯だ。この先でもっとお客さんが増えるかもしれない。そうなると4人掛け席を占領できない。私は前の席の背もたれを戻した。
宇野線は単線だ。しかし電車はスピードは高い。かつては本州からと四国への連絡ルートで、特急も貨物列車も走った。だから線路は高規格である。北へ向かった電車は、左カーブを曲がって西へ進路を取った。岡山駅は直進方向であるけれど、その方向は奈良時代から始まったという干拓地である。線路はいにしえの陸地を選ぶ。つまりかつての海岸沿いに敷かれている。これも地盤の堅さを選んだのだろうか。左の車窓には広大な干拓地がひろがっている。
上りホームにお客さんが並ぶ
カーブを曲がりきった先、八浜駅で下り列車と交換した。あちらは2両編成だった。こちらは6両である。上り方向はお客が多く、下り方向は少ない。あの2両編成は日中の便で使われる電車かもしれない。このあとの上りは、宇野駅で見かけた黄色い115系6両が走るはずだ。その後に、今きた2両が折り返すわけか。
車窓左に低い山が次々に現れる。右側は干拓農地がひろがる。常山駅のホームには30人ほどのお客さんが待っていた。学生さんが多い。線路沿いに同じかたちの建売住宅が並んでいる。こうした家並みは都心でも地方でも見かける。東京ほど地価が高いわけではなかろうに、もっとゆったりと家を建てればいいと思う。日本人は元々、住むためには広い土地を持たない習性があるらしい。
宇野線はかつて本四連絡の幹線だった。しかし瀬戸大橋ができて、その役目は岡山から茶屋町までとなった。いまでは茶屋町から宇野までが支線のような扱いになっている。それでも岡山と宇野は1時間程度だから、沿線は岡山圏のベッドタウンなのだろう。宇野線はいまや、通勤通学路線であった。東京発のサンライズ瀬戸は余所者というわけだ。
湘南色115系が健在
線路はまた左へカーブし、倉敷川に出会う。そして彦崎駅。こんどは115系の湘南色と交換した。6両編成だ。おっと、黄色い115系のあとは、湘南色6両が折り返すのかもしれない。さっきの2両編成は宇野駅でしばらく待機だろうか。時刻表を取り出して予測してみる。なんと、宇野線は朝夕のみが岡山まで直通し、日中は茶屋町と宇野で折り返し運転のようだ。なるほど、岡山直通が6両で、区間列車が2両というわけか。6両の定員は茶屋町と岡山の間の区間で必要になるようだ。
瀬戸大橋線の高架が近づいた
前方にコンクリートの高架橋が現れた。瀬戸大橋線である。こちらの線路は高架橋をくぐり抜け、左側から合流する。複線の高架区間は都会の線路そのもので、同じ宇野線とは思えない雰囲気である。島式ホーム2面4線の茶屋町駅に到着。昨日の朝、サンライズ瀬戸で通った駅だ。これで宇野線を全線踏破したことになる。なんとなく落ち着く。
茶屋町駅。未乗区間の終わり
車窓は市街地である。サンライズ瀬戸の車内でも見かけたように、ここから先はいったん単線になり、また複線になる。岡山からの瀬戸大橋線は全線複線だと思っていた。しかし、こんな短い区間のボトルネックがあって、列車のやりくりが難しそうだ。宇野からの通勤通学輸送があって、本四連絡特急が走って、東京からの寝台特急は遅延のリスクを伴い、貨物列車だって頻度は高い。
日々原と早島の間は複線で、また単線になって備中箕島に着いた。いっそすべて複線にすればいいのにと思う。昨日のサンライズ瀬戸の遅れは、なんともやっかいな出来事だったはずである。
岡山駅到着直前、マリンライナーとすれ違う。瀬戸大橋線ならではの出会い
瀬戸大橋が開通したとき、宇野線の茶屋町と岡山駅も複線にする構想だったらしい。しかしその前に周辺の市街化が進み、線路用地を確保しづらくなったようだ。単線と複線の断続はその結果で、一部複線化だけでもかなりダイヤが改善されたという。北陸本線の断続複線化のようなものだ。
茶屋町から通勤通学ラッシュとなり、立ち客も多い。妹尾駅からは電車の加速が鈍くなった気がする。なるほど、これなら確かに6両編成は必要だ。身重になった213系は単線の線路で山陽本線をまたぎ、岡山駅に定刻に到着した。大勢の乗客に押し流されるようにホームを歩く。のんびりとした船旅から、3時間で大都会に進んでいる。
-…つづく
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