風姿花伝 その一
年齢に応じた稽古のありよう
十七、八歳より
この年の頃は、大変大切な時期であって、ただたくさん稽古をすればよいというものではない。なにより、声変りをしてしまうので、時分による最初の花が失せてしまう。身体も腰高になり、童形(どうぎょう)の頃の、見ていてはっとするような姿かたちの妙も消え、過ぎ去ってしまった頃のように、声も良く通る華やかな能が簡単にできることもなく、どうしたら良いかも分らなくなってくるので、本人自体がやる気を無くしてしまいかねない。
その結果、観客の目にも、変に映ってしまっているのではないかと感じたりすれば、なにやら恥ずかしい気分にもなって、気力も萎えてめげてしまう。だからこの頃は、稽古をしていて人に笑われるようなことがあっても、とりあえず声が出ない風を装い、あえて宵(よい)や暁(あかつき)の声のような、ちょっとかすれた声を使い、その分、心の中では精一杯、なんとか良くなれよと願う力を呼び起こし、ここが一生の分かれ目だぞと、生涯をかけて能をやり抜く覚悟で稽古をする以外にない。
ここで諦めれば、その時点で能の上達は止まってしまう。ちゃんと声が出る出ないは人によるけれども、一般的には、音階の八番、十番あたりの黄鐘(わうしき)や盤渉(ばんしき)の音を用いるようにすると良い。
声の調子にばかり気を取られ、高い声などを出そうとしてあまり無理をすると、動作にそれが表れてしまうし、年をとってからの声に、その無理が出てきたりもするので良いことはない。
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