■現代語訳『風姿花伝』
  ~世阿弥の『風姿花伝』を表現哲学詩人谷口江里也が現代語に翻訳

第六回: 風姿花伝その一
      年齢に応じた稽古のありよう 三十四、五歳より

更新日2010/02/25


風姿花伝 その一
年齢に応じた稽古のありよう
三十四、五歳より

 

 この頃の能は、盛りの極(きわみ)であって、ここまできて、それまで会得してきたさまざまなことなどを束(たば)ね、それらを極(きわめ)覚(さ と)って習熟すれば、自ずと能も定まり、天下にも許され、名声や人望を得ることもできるようになる。しかし、もしこの時分に、すぐれた為手であると天下が認めるまでには至らず、名望も、自分が思うほどには得られていないとすれば、どんなに上手であったとしても、自分はまだ、誠(まこと)の花を極めた為手(して)とはいえないのだと思い知る必要がある。そう思ってさらに能を極めようとしなければ、その結果として、四十ころから、その人の能は下がる。 ようするに、上がるのは三十四、五までで、四十を過ぎれば能は一般には下がってしまう。したがって、もしこの頃までに天下に認められていない場合には、能を極めたとは決して思ってはならない。

 
ここにきて、より謙虚な態度で能に臨むべきであって、この頃になれば、それまでやってきたことの意味などを自覚するようにもなり、またこれからさきどうすれば良いかも、自ずと分ってくる時分でもあるので、このときに能を極めなければ、その後、天下に許されるような存在になるのは、どう考えても難しい。