風姿花伝 その一
年齢に応じた稽古のありよう
四十四、五歳より
この頃になると、能のやりかた、手立(てだて)そのものを、大きく変える必要がある。たとえ能の名人であるということを天下に許され、自分でも能を会得したと思ったとしても、それでも、脇(わき)には良い為手をつけたほうが良い。この頃になると、能そのものは下がらなかったとしても、力もなくなり、だんだん歳を取るにつれて、自分自身の身体の花も、観る人々の目に映る花も、しだいに失われてしまう。先(ま)ず基本的なこととして、よほどの美男ならばいざしらず、そこそこ容貌が良かったとしても、面をつけない素顔の直面(じきめん)の申楽は、年寄りがやったのではみられたものではないので、やらないほうがいい。つまり数ある面の中の一つは、なくなってしまうと考えなければならない。
またこの頃になると、あまり細かな物まねなどをしてはいけない。基本的には自分に似合った風體(ふうてい)をして、ことさらに骨を折らなくても簡単にできることをし、脇の為手に花を持たせるように努め、その為手に何気なく合わせるように、自分の動きはできるかぎり少なめ少なめにするとよい。たとえ脇の為手がいなかったとしても、その場合はよりいっそう、無理に体を動かして細かな技をするような能はすべきではない。そんなことをすれば、なにより観客の目に花のある能としては映らない。もしも、このころになってもなお失われることのない花があれば、それここそ誠の花と言うべきではあるけれど、ただその
ためには、つまり五十近くになっても失われない花を持つ為手であるには、四十前に天下の名望を得ているようでなければならない。
また、たとえ天下に受け入れられた為手であっても、それならばなおさら、自分のことを良く知っているはずであるから、ますます脇の為手にまわることを嗜(たしな)んで、そのよ
うな動きに努め、難が見えないような能をするとよい。そのように我が身を知るということこそが、能を得(え)とくした人の心得であると言って良い。
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