■現代語訳『風姿花伝』
  ~世阿弥の『風姿花伝』を表現哲学詩人谷口江里也が現代語に翻訳

第八回: 風姿花伝その一
      年齢に応じた稽古のありよう 五十有餘

更新日2010/03/11


風姿花伝 その一
年齢に応じた稽古のありよう
五十有餘

 

 この頃からは、大方のところは、しないということをするよりほかに方法がない。「麒麟(きりん)も老いては駑馬(どば)に劣る」の諺にもあるとおりだが、しかし誠に能を会得した能者であれば、演じられる演目はだんだん失(な)くなってしまって、良いも悪いも見所は少なくなってしまうけれども、それでも花は残り得る。

いまは亡き父は、五十二の歳の五月の十九日に死去し、その月の四日、駿河の国の浅間(せんげん)神社で法楽の能を奉納したけれども、その日の申楽には、殊(ころ)さらに花があって、見物をしたものはみな、上のものも下のものも、一同に褒め称えたものだった。そのころ、父は早くも主役を若手に譲って、容易なことを、できるかぎり少なめにほんの少し色を添える程度にしたけれども、かえって花が、いっそう目に映(は)えたことだった。これは誠に得た花だからこそのことであって、能そのものは、細かな動作なども少なかったにもかかわらず、老木になってもなお、散らぬ花を残した手本といえる。このようなことを目(ま)の当たりにして、つくづく、老骨も花を残し得る証と思う。

  以上、年齢に応じた稽古について