■現代語訳『風姿花伝』
  ~世阿弥の『風姿花伝』を表現哲学詩人谷口江里也が現代語に翻訳

第九回: 風姿花伝その二
      物學(ものまね)について

更新日2010/03/18


風姿花伝 その二
物學(ものまね)について

 

 物學(ものまね)についてはいろいろあり、どうすれば良いかは筆舌に尽くし難いけれども、しかし、これはこの道にとって肝要な、非常に大切なことであるので、それぞれのことを、ちゃんとそれらしく学び身に付ける必要がある。

  物まねに関しては基本的に、なんの物もまねであっても、その物に、あますことなく似ているということが、その本意であり目的であるけれども、物によっては、あるいは場合によっては、その程度に濃(こ)い淡(うす)いがあることを知らなければならない。 先ず言っておかなければならないことは、国王や大臣などをはじめ、公家の方々の佇まいや立ち居振る舞い、武家の方々の動きや働きなどは、まねをしてもとうてい及ぶようなものではなく、十分な物まねは難しいけれども、しかし、そういった方々の言葉、話しぶりなどをよく聞き、身のこなしなどもよく勉強しながらやってみて、それを人にも見てもらって意見をいってもらったりするとよい。そのほか高官の方々のことや、花鳥風月のありようなど、とにもかくにも細かなところまで似るようにしなければならない。

  また、お百姓や田舎の人々に関しても、あんまり細かく賎(いや)しげな所作などで似せようとしてはいけない。しいていうならば、樵や草刈りや炭焼きや汐汲(しおくみ)などの、具体的な動作をともない、かつ風情(ふぜい)もあることを、こまかく研究して似るようにするとよい。それよりさらに身分が低かったり下品な者について、ことさらに細かく真似て似せようとしたりしてはいけない。そういうことは、高貴な方々にお見せするようなものでもなく、見せたところで、あまりにも賎しいことなどは、見ていて面白くもなんともない。そういう按配を、よくよく心得る必要がある。