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■現代語訳『風姿花伝』
  ~世阿弥の『風姿花伝』を表現哲学詩人谷口江里也が現代語に翻訳
更新日2013/08/01



第六十二回
風姿花伝 その七
別紙口伝 その九の二

 

 三日間に渡って三回、三庭の申楽が催されるような場合には、一日目である指寄(さしより)では、手を貯(た)め、あしらうようにして演じ、三日間の中で、この日にこそはと思う日に、良い演目で、しかも最も得意なものを、目に力を入れ、精魂を込めて演らなければならない。

 また一日のなかでも、競演する相手のある立合の際に、どうしても、なぜか調子がよくなく、女時の状態にあると思う時には、まずは最初は手を貯(た)め、抑えめに演じて、敵の調子が下がって、男時から女時に移った思われる時分に、良い能を、持てる技を次から次へと繰り出して、精一杯、力を尽くして演技を行うと良い。そうすればやがて、男時もまたこちらの方に戻ってくる。そしてその時に、良い能が出来たと思ったら、すかさず、その日の最高の出し物を行うと良い。

 ここで言う、男時、女時ということに関して言えば、何においても勝負事というものにはすべて、必ず、片方に勢いが出て、潮目がそちらに傾くような時分があるもので、それを男時と心得ると良い。立合の場が多く、勝負する時間が長い場合には、その男時が、あちらに行ったりこちらに来たりする。ある書物には、「勝負の神にも、勝つ神、負ける神というのがある。そうした神々が、勝負を見ながら、様子を見守っているものであって、それが武道における最大の秘事である」と書いてある。だから、敵方の申楽が良くなってきたら、どうやら勝つ神は向こうの方にいらっしゃるようだと思い、慎んでそのことを受け入れなくてはならない。

 勝つ神、負ける神は、勝負の時を司る二神であり、あちらやこちらに行ったり来たりしてそのつど居場所を変えるので、自分の方に来られたぞと思った時にこそ、最も確かな、自分が頼みとする能を演ずるべきである。これがすなわち、能の舞台における因果である。重ねて言うが、このことを決しておろそかにしてはならない。信じるところにこそ、徳もまたあるのである。

 

 

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谷口 江里也
(たにぐち・えりや)
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詩人、ヴィジョンアーキテクト。言葉、視覚芸術、建築、音楽の、四つの表現空間を舞台に、多彩で複合的なクリエイティヴ・表現活動を自在 に繰り広げる現代のルネサンスマン。著書として『アトランティス・ ロック大陸』『鏡の向こうのつづれ織り』『空間構想事始』『ドレの神 曲』など。スペースワークスとして『東京銀座資生堂ビル』『LA ZONA Kawakasi Plaza』『レストランikra』などがある。
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