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■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと
第203回:流行り歌に寄せてNo.15 「長崎の鐘」~昭和24年(1949年)

更新日2012/01/12

〈新しい年が始まりましたが、私は相変わらず古い歌謡曲を掘り起こして、その歌に寄せる思いを、拙く書き続けております。もし、耳にしたり、活字を通して目にしたりした曲に出会したときは、よろしかったら覗いてみてください。そして、小さく口ずさんでいただくことができたとしたら、それはもう、望外の幸せであります。〉

私は、このコラムを基本的にはd-scoreの歌謡曲の年表を参照させていただき、書く段の準備などによって若干前後はするが、その順序に沿って、「これは書けるかなあ、書きたいなあ」と思う曲について書いている。

ここ数回の昭和24年、7月の『銀座カンカン娘』を書いた後、同月に『長崎の鐘』があった。昔からたいへんに馴染みのある曲であり、実に多くの方に愛されている、心を打つ名曲である。けれどもと言えばいいのか、だからこそと言えばいいのか、あまりにも重いテーマに思えてしまって、書くのが憚られてしまい、敬遠していたのである。

ところが先日、私の父から、作詞家時雨音羽著『日本歌謡集ー明治・大正・昭和の流行歌』という本を借り受け、戦後の歌を読み進めていくうちに『長崎の鐘』の詞に行き当たった。読み返してみて、やはりこの歌を外すわけにはいかない、そう思ったのである。

「長崎の鐘」 サトウハチロー:作詞 古関裕而:作曲 藤山一郎:歌
1.
こよなく晴れた 青空を 悲しと思う せつなさよ

うねりの波の 人の世に はかなく生きる 野の花よ

なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る

2.
召されて妻は 天国へ 別れてひとり 旅立ちぬ

かたみに残る ロザリオの 鎖に白き わが涙

なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る

3.
こころの罪を うちあけて 更けゆく夜の 月すみぬ

貧しき家の 柱にも 気高く白き マリヤ様

なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る


長崎医大の医学博士、永井 隆。長年の放射線科医として、さらに戦時中はX線フィルムの不足から、直接透視を続けて許容線量を超える「被曝」をし、白血病の診断を受け、余命3年と宣告されたのが昭和20年の6月のことだった。

この時、彼は37歳。そしてそれから2ヵ月も経たない8月9日、爆心地から700メートルの地点で「被爆」して重傷を負う。しかし、布を頭にグルグル巻にしただけで救援活動に当たったと言う。

そして、翌10日に帰宅し、焼き払われた台所跡から妻、緑の骨片状態になった遺骨を拾う。そして、その5日後に敗戦。しかし、永井は自らの病で何度も倒れ、昏睡状態に陥りながらも、次のような思いで救援活動を続けていく。

「国は敗れた。しかし傷者は生きている。戦争は済んだ。しかし、医療救護隊の仕事は残っている。私たちの仕事はこれからではないか。国家の興亡とは関係のない故人の生死こそ、私たちの本務である。」

そして、渾身的な救援活動と、苦しい闘病生活の末、昭和26年5月1日息を引き取った。享年43歳だった。その永井が病床で綴った随筆『長崎の鐘』をモチーフに作られた曲が、この歌なのである。

私は、その辺の件をボンヤリとは理解しているつもりだったが、今回少しずつ調べていくうちに、いろいろなことを知ることができた。本当の意味で、勉強になったと思う。

医師や弁護士、果ては議員に至るまで、その人格とは無関係に、多くの人が「先生」と呼ぶ慣わしに辟易としている私だが、この永井医師に対しては、敬意を込めて永井先生と呼ばせていただきたい心境である。

さて、その随筆の中では、
「鐘が鳴る。暁のお告げの鐘が廃墟となった天主堂から原子野に鳴り渡る世界の終わりのその日の朝まで平和の響きを伝えるかのように……人類よ、戦争を計画してくれるな。原子爆弾というものが存在する以上、戦争は人類の自殺行為にしかならないのだ。戦争をやめて、ただ愛の掟に従って相互に助け合い、平和に生きてくれ。」と、原爆について強く糾弾している。

しかし、歌の方には一言も原爆について触れた箇所はない。当時のGHQに対する配慮がそういう形にしたとのことである。

けれども、直接は触れない方が、却って叙情的に聴くものの心に残ることがある。この曲は、まさにそのような曲だと思う。永井医師の思いを、別の方法で多くの人々に伝えることができているのではないか、そんな気がする。

最後に、少し軽めの雑感を。この曲の詞の「長崎の ああ長崎の鐘が鳴る」に端を発したのか、その後に登場する『長崎の女(ひと)』の詞では「ああ 長崎の 長崎の女」であり、さらに『長崎の夜はむらさき』の詞では「ああ 長崎の 長崎の 夜はむらさき」なのである。

「ああ」の続きに、あるいはそれを挟んで、どの歌も長崎は二回繰り返されている。この共通点はどこから来るのか。一度長崎の人に聞いてみたいと思う。

-…つづく

 

 

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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
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