第494回:流行り歌に寄せて No.289「ひなげしの花」~昭和47年(1972年)11月25日リリース
アグネス・チャンのデビューした頃は、まさにアイドル時代の黎明期だった。小柳ルミ子、南沙織、天地真理は、前年のそれぞれ4月、6月、10月にレコードデビューをし、この年に入っては麻丘めぐみが6月、森昌子が7月に世に出ていた。
そんな中で、すでに香港で大変に人気のある少女が、日本で歌手生活を始めるという、当時としては画期的なニュースが飛び込んできた。高校2年生の、私の周りのクラスメイトは、そのニュースにかなり早く反応をし「かわいいがね」「声が何とも言えん」などと、かなり好意的に受け止めていた。
私の印象としては、髪の毛はロングヘアーだけれども、ふんわりしていないで、何かペターッとした感じだし、声もかん高く、スタッカートが極端で、あまり馴染めない雰囲気だった。そして、どうしてそんなに香港で人気の高い歌手が、わざわざ知名度の低い日本で歌い始めるのだろう、とそんなふうに思っていた。
それまでの香港ではどんな様子だったのか、その頃から気にはなっていたが、当時はほとんど情報が入って来ていない。そこで、今回少し調べてみた。
アグネス・チャンの本名は、陳美齢と言い、広東語の発音ではチャン・メイリンとなるそうで、カトリック教徒である彼女の洗礼名は聖アグネス(St.Agnes)に因んでアグネス、そこで、芸名をAgnes Chanとしたのである。
昭和46年、香港において『Second Folk Album』というオムニバス形式のアルバムが作られた。その中でジョニ・ミッチェルの『サークル・ゲーム』を、お姉さんのアイリーン・チャンとともにカヴァーしており、それがシングル・カットされてヒット曲となった。
アイリーン・チャン(本名:陳依齢)は、もともとは香港映画の女優として活躍しており、妹よりも早く日本デビューを果たすが、あまりヒットせず、アグネスのデビュー後は、自らの芸能活動よりも、妹の世話に注力したという。(その頃の写真を見ると、正直お姉さんの方に惹かれてしまう)
アグネスも姉と一緒の映画に出演したりして、東南アジアにもファンを持つようになった。そして、香港のテレビ番組『Agnes Chan Show』で、ゲストとして知り合った平尾昌晃によって日本に紹介されたという、そういう流れがあったようである。
それにしても、まだ10代の半ばで、自分の名前のテレビ番組を持っていたということは、相当の人気者だったことを表しているし、その状況下で(その後も香港での活動があったとしても)活動拠点を日本に移したのは、かなり大きな賭けであったと言える。
「ひなげしの花」 山上路夫:作詞 森田公一:作曲 馬飼野俊一:編曲 アグネス・チャン:歌
丘の上ひなげしの花で
占うのあの人の心
今日もひとり
来る来ない帰らない帰る
あの人はいないのよ遠い
街に行ったの
愛のおもいは胸にあふれそうよ
愛の涙は今日もこぼれそうよ
手を離れひなげしの花は
風の中さびしげに舞うの
どこへ行くの
愛してる愛してないあなた
さよならをこの胸に残し
街に出かけた
愛のおもいは胸にあふれそうよ
愛の涙は今日もこぼれそうよ
愛のおもいは胸にあふれそうよ
愛の涙は今日も・・・
前にも触れたが、アグネスの極端とも言えるスタッカート。これに関しては、作曲家の森田公一も想定外だったと、後に述懐しているそうだ。
レコーディングの時に、ディレクターに「オーカノウエ」と歌いなさいと、何度も注意をされても「オッカノウエ」とスタッカートをつけて歌う歌い方が、どうしても変えられなかったという。ところが、実際にレコードが出てみると、それがかわいくて良いという評価が高まり、アグネス・チャンという歌手が、多くの人に強く印象付けられたのである。
ところで、この『ひなげしの花』には、実際にアグネスの香港から日本への道すじを作った平尾昌晃の名前がないと思ったが、このシングルのB面である『初恋』(安井かずみ:作詞 森岡賢一郎:編曲)の作曲を担当していた。
この曲は、哀愁のあるメロディーのバラードで、アグネスに『ひなげしの花』とは違う側面の表現をさせている。
その後も、大ヒット曲『草原の輝き』( 安井かずみ:作詞 馬飼野俊一:編曲)や『星に願いを』(同)、『愛の迷い子』(同)など、あの頃青春時代を送った人には、懐かしく耳馴染んでいる曲を平尾昌晃は提供している。
その後アグネスは、多くのヒット曲を出しているが『ポケットいっぱいの秘密』(松本隆:作詞 穂口雄右:作曲 東海林修 キャラメル・ママ:編曲)は、松本隆が、専業の作曲家として初めての作品としても知られている。
歌詞の中に「あなた 草のうえ ぐっすり眠ってた 寝顔 やさしくて 『好きよ』ってささやいたの」と「アグネス」という言葉が隠れている。当時、ロックシーンから歌謡曲へ「転向」したと言われ、多くの人たちから非難を受けていた松本が、それを見返そうとして仕組んだ言葉遊びだという。
この曲の発売から20年ほどして行なわれた、松本とアグネスの対談の中、松本が「アグネス、まだ気づかないの?」と切り出して、その仕掛けの話しをすると、彼女はたいそう驚いたそうだ。
私の中では、『白いくつ下は似合わない』(荒井由美:作詞・作曲 あかのたちお:編曲)、『ハロー・グッドバイ』(喜多條忠:作詞 小泉まさみ:作曲 荻田光雄:編曲)、『アゲイン』(松本隆:作詞 吉田拓郎:作曲 松任谷正隆:編曲)などの、ニュー・ミュージック系と言われる人たちの提供作品が印象に残っている。
アグネス・チャンも、私と同級だから、今年古稀になる。まだまだ精力的に、いろいろな活動を続けている彼女の姿を、これからも注目していきたいと思っている。
-…つづく
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