第500回:流行り歌に寄せて No.295 「天使も夢みる」~昭和48年(1973年)2月25日リリース
私は、ヒット歌謡曲を時間の経過に沿って記したある年表を参考に、毎回このコラムを書いている。
今回、『赤い風船』の次はなんだろう、と見たところ、山口百恵の『としごろ』とあって書き出そうとした。けれども「あれ? 確か山口百恵よりも桜田淳子の方がデビューが早かったのでは?」と思い当たり、調べてみると3ヵ月ほど桜田淳子の方が早かったので、今回は、そちらで行こうと思う。
その年表には「うん?」と思う曲が入っていなかったりすることが時々あるが、基本的にはしっかりまとめられていて、この作業をするのには大変助かっている。例によって、リリースの時が前後してしまった更新になるが、ご容赦いただきたい。
桜田淳子、と言えば、まず真っ先に思い浮かべるのが、あの白い帽子である。いわゆるキャスケットという種類の帽子だが、今回のデビュー曲『天使も夢みる』と第2弾『天使の初恋』の2曲を歌った時、彼女はそれをかぶっており、当時は「エンゼルハット」と呼ばれていた。
この帽子については、デビュー後に事務所の方でかぶらせているのでは、と想像していたが、実は桜田本人が幼少の頃から帽子が好きで、キャスケットは小学生から、そして『スター誕生!』のオーディションにも、白いキャスケットをかぶって臨んだという。
彼女は、秋田に住む小さい頃から東京志向があり、将来の夢は女優になることだった。だから、当然の如く、当時の人気テレビ番組『スター誕生!』は、毎週欠かさず観ていた。そして、中学二年生のある日、森昌子がグランプリに輝く。
何と、自分と同学年の子が合格したことに驚きながら、画面を見続けていると、秋田地区での番組オーデションの案内が、字幕スーパーで映し出された。彼女は、すぐに両親にも友人にも知らせずに、ハガキを出し、オーディション(予選会)を受ける。そして、一次、二次。最終審査に合格して、テレビ予選へと進んだ。
白いキャスケット姿の彼女の存在は、昭和47年7月19日(放映は8月6日)秋田県民会館で行なわれたテレビ予選会場では際立っていたという。その煌めくような笑顔は、居合わせた日本テレビのディレクターの目も釘付けにして、「ちゃんと声さえ出してくれれば合格と誰もが思っていた」と言わせた。
牧場ユミの『見知らぬ世界』を歌って、番組史上最高の得点で合格し、決勝大会へと進む。
同年9月6日(放映は9月17日)後楽園ホールで行なわれた番組の第4回決勝大会で同曲を歌い、番組史上最高の25社(芸能事務所、レコード会社)からの指名プラカードが上がり、同時に審査員の評価も高く、グランド・チャンピオンに輝いた。
そして、数多ある芸能事務所からサンミュージックを選び所属、まさにスターへの一歩を踏み出したのである。
「天使も夢みる」 阿久悠:作詞 中村泰士:作曲 高田弘:編曲 桜田淳子:歌
私の胸に
恋のめばえを感じる季節
白い風が
耳にやさしく ささやいて行く
しあわせ少し
わけてあげると 誰かがくれた
だから恋って すばらしい
もう泣かないわ さびしくないわ
天使も夢みる 春だから
私の胸に
一つこぼした恋する花が
今はこんな
広い花園 みたいになった
しあわせ過ぎて
何かあげたい 気持になるの
だから恋って すばらしい
もう泣かないわ さびしくないわ
天使も夢みる 春だから
もう泣かないわ さびしくないわ
天使も夢みる 春だから
番組スタート当初の『スター誕生!』のレギュラー審査員は、松田トシ、阿久悠、中村泰士の三人で、後の二人は外部の作詞、作曲家などが務めていた。レギュラー審査員の二人による作詞・作曲ということで、その力の入れようがわかる。(森昌子も、山口百恵も、このコンビによる曲の提供はない)
私にとっては、当時あまり印象のない曲だったが、今聴いてみると、シンプルながら彼女のセールス・ポイントをよく捉えた曲作りをしていると思う。
その後、キャスケットを取ってからも『わたしの青い鳥』『花物語』『三色すみれ』と二人のコンビの曲で順調にヒットを飛ばして行く。
そして、昭和49年には、森昌子、山口百恵との三人が「中三トリオ」呼ばれ、その呼ばれ方が「高三トリオ」まで続いた。(あとの二人は、高校卒業であるが、彼女だけは聖トマス大学を卒業している)
昭和50年には、オリコンのシングル・レコード年間り売り上げ1位の記録を作る。さらに、「マルベル堂」のプロマイド売り上げ、『月刊明星』『月刊平凡』『近代映画』の女性部門人気投票で1位。この「四冠」は、美空ひばり、吉永小百合に続く記録のようだ。
まさに、スターになった。ただ、彼女の中ではアイドルと言っても一過性のもの、歌手の自分は短命だろうという思いがあった。そして、まだ少女である自分に対し、周囲の大人たちが頭を下げ、丁重な扱いをしていることにも、常に戸惑いと不安な気持ちを抱いていたという。
もともと女優志望であったために、昭和50年4月26日封切りされた、落合恵子の人気小説が原作である、松竹・サンミュージック提携作品映画『スプーンいっぱいの幸せ』の主演に抜擢されたことは、彼女にとってはうれしかったことだろう。
その後も、同じく落合恵子の『遺書 白い少女』、石坂洋次郎の『若い人』など、4本の映画の主役を務める。また、舞台やミュージカルでもその才能を発揮している。彼女は、念願の女優としても、ある位置までは到達することができたのだと思う。
-…つづく
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