第507回:流行り歌に寄せて No.302「個人授業」~昭和48年(1973年)8月25日リリース
最初、彼らが登場して来たとき感じたことは「5人兄弟とは珍しい!」ということだった。
玉元一夫(昭和30<1955>年4月8日生)、光男(同32年2月3日生)、正男(同34年生2月2日生)、晃(同36年5月9日生)、そして妙子(同37年6月7日生)の5人兄弟(妹)。
長男の一夫が私と同じで、当時高校3年生。私たちの親の代は10人近く兄弟がいる家庭も少なくなかったが、私たちの世代は3人ぐらいまでが一般的で、5人というのはかなり珍しかった。
次に感じたのは「晃くん、まだ小6だよね。リズム感あるなあ」ということ。これだけのロックンロールを歌い切ると言うのは、かなり凄い才能の持ち主だと思ったのだ。
この5人兄弟、沖縄市具志川市の出身。米国占領下のの沖縄で、父親がAサイン(本土復帰前の沖縄で、米軍が公認する飲食店)バーを経営していたため、兄弟はみな店のジュークボックスから流れるアメリカのロックやポップスには慣れ親しんでいたようだ。
最初は、上3人の男の子たちが小学生の時「オールブラザーズ」と言うバンド名で演奏活動を開始する。この時、一夫(小6)、光男(小5)、正男(小3)だった。このグループが、沖縄テレビの『歌謡ワンダフル・ショー』エレキコンテストに出場して優勝をしてしまう。
テレビ局のプロデューサーの勧めもあり、グループ3人の上京したいと言う願望も強く、父親もその熱意に押された形で、一家での東京移転を決め、昭和44年に東村山市に引っ越すこととなった。
翌昭和45年からバンド名を「ベイビー・ブラザーズ」に変え、晃と妙子も加わる。そして、6月20日に『私の恋人さん』で、キングレコードからレコードデビューを果たす。このレコードは、B面の『自由な世界』ともども、玉元正男:作詞 :玉元一夫:作・編曲 と、クレジットされている。
三男の正男が11歳で作詞をし、長男の一夫が15歳で作・編曲したのである。今回聴いてみると、プロのアドバイスや手直しはあったかもしれないが、詞はかわいらしいし、曲もGS調のノリで、とてもよくできていると思った。
レコード・ジャケットを見ると、真っ白な上着にベージュのスラックス、少年らしい髪型をした4人の兄弟と、沖縄王朝時代の衣装を身につけ、沖縄風に髪を結った妙子ちゃんが芝生の上で仲良く、並んで座っている。(彼女の格好は、着るものも、髪型も生まれて初めてさせられたものだったと後日語っている)
ところが、このレコードはほとんど売れず、同年の10月、11月と、立て続けに2枚シングルを出したが、まったくパッとしなかった。
2年近い不遇生活が続き、音楽活動を休止し、沖縄に帰ろうとしていた彼らを引き留めたのが、キャロルの仕掛け人として有名になった井岸義測ディレクター。バンド名を「フィンガー5」に変えて、『キディ・キディ・ラブ』玉元正男: 作詞、 玉元一夫 :作曲、 山崎泉:編曲)を昭和47年8月25日にリリース、再デビューした。
バンド名は、当時アメリカで大ヒットしていた、同じく5人兄弟グループ「ジャクソン5」を意識してつけられたのは、多くの人に知られた話である。
再デビュー後も、なかなか人気が出なかったが、ミッキー・カーチスの口利きで、レコード会社をフィリップスレコードに移し、ヒットメーカーのコンビに曲を作ってもらって昭和48年8月25日に発売されたのが『個人授業』である。
再デビューからちょうど1年、最初のデビューからは3年近い時間がかかっている。少年少女たちにとっての3年と言うのは、かなり長い時間だったろう。
「個人授業」 阿久悠:作詞 都倉俊一:作・編曲 フィンガー5:歌
いけないひとねといって いつもこの頭をなでる
叱られていてもぼくは なぜかうっとりしてしまう
あなたは せんせい
授業をしている時も ぼくはただ見つめてるだけ
魔法にかかったように 昼も夢見ている気分
あなたは せんせい
あこがれのあのひとは 罪なことだよせんせい
出来るなら 個人授業を 受けてみたいよ
ハハハハハ
学校帰りの道で じっと待つこの身はつらい
毎日毎日同じ場所で ただこうしているよ
あなたはせんせい せんせい
はやりのドレスをいつも しゃれてきこなしてるひとよ
けっこうグラマーなことも ぼくは気がついているんだよ
あなたは せんせい
今度の休みになれば 部屋へたずねることにしよう
ちょっぴり大人のふりで 愛のことばなど持って
あなたは せんせい
あこがれのあのひとは 罪なことだよせんせい
出来るなら 個人授業を 受けてみたいよ
ハハハハハ
ちらちらまぶたにうかび
とても勉強など駄目さ
このままつづいていけば
きっとしんでしまうだろう
あなたはせんせい せんせい
『個人授業』は、大いに売れ、昭和48年の12月3日付のオリコン・シングルチャートで、第1位を獲得する。累計の売上は145万枚を超えたと言われている。
レコード・ジャケットは、水島新司が描いた。この人の描く女性は、あまり色気を感じないので、どんなものかと思ったが、子ども向けに売りたいと言う思惑があるのだから、このぐらい爽やかなものの方が良かったのかも知れない。
ところで、彼らの最初のアルバムがたいへん興味深い。「個人授業/FINGER 5 FIRST ALBUM」というタイトルで、シングルのオリコン1位獲得から2日後の12月5日に発売されている。
収録曲には「個人授業」などのオリジナルの他に「ハレルヤ・ディ」「帰ってほしいの」「小さな経験」、「ベンのテーマ」など、ジャクソン5、マイケル・ジャクソンのカヴァー曲が何曲も入っていて、フィンガー5は「本家」に果敢にチャレンジしており、出来栄えもなかなか良い。
以前、私のとても大切な人に「あなたが買ってもらった、最初のLPレコードは何ですか?」と尋ねたところ、このアルバムの名前を口にした。なるほど、お洒落だと思った。私の最初のLP『吉永小百合とともに』とは、ずいぶん趣が違うようである。
-…つづく
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