■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと

金井 和宏
(かない・かずひろ)

1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
Lis. master's voice

 


第1回:I'm a “Barman”~
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第50回:遠くへ行きたい

■更新予定日:隔週木曜日

第51回:お国言葉について

更新日2005/05/19


先日、50歳代と40歳代(と思われる)の男性、30歳代(以下同文)の女性の3人連れのお客さんが初めてご来店され、西方のお国言葉で楽しそうにお話しされていた。どことなく懐かしいような聞き覚えのある言葉なので、ご出身を訊ねると、「うちら、岡山じゃけんねえ」というお答えが帰ってきた。そう言われれば思い出した。昔テレビ時代劇『三匹の侍』のなかで長門勇氏が話していた言葉だった。

イメージで捉えているだけで的を外しているかもわからないが、岡山弁は隣の県の広島弁よりも、どこかまあるくのんびりとした響きがあるように感じる。高校の修学旅行のときと、20歳代のとき職場の出張で、それぞれひとときに二つの県を歩いた印象である。聞き比べているだけでも、方言というのはとても面白いものだと思った。

方言と言えば、私にも思い入れがある。生まれ故郷の長野県から愛知県に小学校5年生で引っ越した当初、あれほど嫌がっていた名古屋弁が、今では最も愛おしい言葉になっている。

このコラムでも高校時代などの思い出を書くときに、あのイントネーションを思い出しながら文字にしてみるのだが、微妙に名古屋弁の持つ独特の雰囲気が伝わらない気がしてもどかしい思いになる。しかも、文章をWORDで入力していると、赤い波線がいくつも、いくつも引かれ、辟易としてしまうのだ。

また、店を始める前に働いた私の会社は、東京の東銀座に本社を持っていたにも拘わらず、第一公用語が九州弁であった。創業者が北九州市で会社を興したこともあり、本社の社員の実に4分の3が九州出身者、日常に「つまらんばい」「これ直しといて」などの言葉が飛び交う世界で、我々東国出身者は肩身の狭い思いをしていた。けっして九州弁の響きが嫌いではないが、店を始めたときあの九州弁漬けの生活から解放されて、ホッと一息付くことができた記憶がある。

「最近、渋谷センター街を歩いているような若い女の子の間に方言が流行っているらしい」という内容の特集を、先日テレビで放映していた。取材班が、「子ギャル」たちがまたぞろ、新しくどんな言葉を考えついているのだろうと取材を始めたところ、意外なことに、いろいろな地方の方言を取り入れてしゃべる(メールをする)のが最近の傾向であることがわかり、驚いたと言う。

例えば「おらちの あっぱ ぶち やかましかけん」などという遣い方をする。「私のお母さんとてもうるさいのよ」という意味の話を、東西のお国言葉をごっちゃまぜにして遣う。ネタは携帯電話でアクセスできるWEB上の方言のコーナーから得ていて、それはとても盛りだくさんな内容になっている。そのなかから「かわいい!」と思えるものをどんどんダウンロードして、友だちとのメールの遣り取りなどをしているらしい。

なかには、そんな遊びがきっかけになり、自分でいろいろな方法で全国の方言を集めて、自分なりの辞書を作っているという高校生の女の子がいた。その「編纂」に一日4時間を掛けて毎日行なうというのだ。私は実に素晴らしいことだと、「ブラボーッ」の思いで、その話をわくわくしながら観ていた。

学ぶことはまず興味を持つことからで、この子は今とても楽しく学習している。いつか興味を失うことになるかも知れないが、もしかしたら一生の仕事を見つけたかも知れない。心からエールを送りたい気分だった。

ところが、そのときのテレビのコメンテイターは、「親としては、そんなことに夢中になるより英単語のひとつも覚えてもらいたい心境でしょう」などの、実にステレオ・タイプで冷ややかな発言をしており、それを聞いて久し振りに私のなかにアドレナリンが急速に分泌されているのを感じ、画面に向かって拳を握りしめていた。「またバカな大人が可能性の芽を踏みつぶそうとしている!」

地方にいる若い子たちの間にも、改めて方言を遣おうという動きがあることも、番組では紹介していた。高校生の女の子たちの、自分たちのお母さんの世代では遣われなくなったお国言葉を、おばあさんから聞き取り、遣っていこうというのだ。

その理由をたずねると、「私たちはこの町がとても好きだから、この町に昔からある言葉もずっと遣っていきたい」というものだった。すべては失われていく一方なのだと、あまり考えもせずに諦めしまっている自分の考えに「待った!」をかけてくれる言葉のように感じ、うれしかった。先ほどの話とともに、「高校生なかなかやるな」という思いがした。

翻って、私の高校時代は、もう少ししゃちこ張って、生真面目に方言について学んだ記憶がある。現代国語の教科書に出ていた木下順二氏の戯曲『夕鶴』で主人公の「おつう」が共通語を話すのに対し、「与ひょう」とその仲間は田舎言葉で会話をする。その遣り取りが芝居に陰影を与えるとともに、このニつの言葉の違いを考えるきっかけを与えてくれた。
木下順二氏には、「田舎言葉」の響きの美しさとともに、共通語の必要性をも教えられた気がする。

日本国内に共通語があるように、現在では英語というのが、とりあえず国際的な共通語ではないかというのが多くの人々の認識だろう。日本国内でも、世界全体を見ても、各地にはそれぞれ美しいお国言葉があって、みんな長い歴史のなかでそれを遣い続けている。ところが、残念ながらそれを遣っているだけでは、違う国どうし話し合いをするのにお互いの意思が正確に伝わらないから、共通語を用いる。

私が何回挫折しても英語を学ぼうと思うのは、世界中どこへ行ってもある程度通ずる(例外も少なくないが)国際的な共通語を身に着けたいという思いがあるからだ。私は日本語の共通語については、話す方も聞く方もそれほど不自由はしていないと思う。

信州弁(歴11年)も名古屋弁(歴7年半)も、東京弁(歴30年半)もスピーキングは怪しいものだが、ヒアリング(現代弁に限るが)はある程度できる。しかし英語については、習い始めて37年以上経つがどちらも全くおぼつかないでいる。「遠くへ行きたい」思いも募り、何とかしたいと焦るばかりである。

 

 

第52回:車中の出来事