■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと

金井 和宏
(かない・かずひろ)

1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
Lis. master's voice

 


第1回:I'm a “Barman”.
第2回: Save the Last Pass for Me.
第3回:Chim chim cherry.


■更新予定日:隔週木曜日

第4回:Smoke Doesn't Get in My Eyes.

更新日2003/07/03


私は、12年前に煙草をやめた。それまでは、多いときで1日ハイライトを3箱ぐらい吸う、どちらかといえばヘビースモーカーだった。煙草をやめることになったのは、そのときに出会った、聖路加病院の女医さんの一言だった。

私は、若いときから喉にポリープができやすい体質だった。20歳の夏、水も飲めないほど酷い状態で、当時の自宅近くの病院に行き、即入院、即手術ということがあった。いかつい中年の男の医師に、喉の奥にブドウのように垂れ下がったポリープを、ほとんど麻酔も施さずに切除してもらった。口腔内の手術で手足は自由に動いたのに、手術後はグッタリして、車椅子で病室に運ばれたのを憶えている。

2、3日して症状が安定すると、遊びたい盛りの年頃だったのだろう、昼前に見舞いに来てくれた女の子と一緒に、病院をこっそり抜け出した。いわゆる無断外出という行為だ。迷わず病院近くの喫茶店に入り、ハイライトに火を付けた。喉の奥がチリチリと痛み苦しかったが、久しぶりに吸う煙草の、頭がくらくらする感覚に酔った。

しばらく女の子と他愛のない話をしてから、またこっそりと病院に戻った。何食わぬ顔をつくるのに努力して、二人部屋の病室のルームメイトだった神戸の高校生に向かって、詰まらぬ冗談など飛ばしながら、昼食を摂った。

午後から診察があった。「経過はどうかな」と言って口の中を診ていた医師は、私が口を閉じようとした瞬間、平手で私の横っ面を張った。それほど力を入れた様子もなかったが、重く痛みが残った。
「治す気がないなら、今すぐ退院しろ。君の身体が治ろうと努力して、こちらもその手助けをしているのに、君の意志でそれを邪魔するんだったら勝手にすればいい。」

真顔で怒っていた。特徴である大きな目が、眼鏡の奥で何回も瞬かれた。私は神妙に観念して、自分のしたことを詫びた。その医師のことは、今でもよく憶えている。

ところで、女医さんの一言の話である。手術をするほどのことはなかったが、その後も私は1、2度軽いポリープに罹っては病院に通ったりしていた。煙草も、完治すると吸い出すということを繰り返した。35歳の冬、また軽い症状がでて、当時の職場近くの聖路加病院で診てもらうことにした。

診察をしてくれたのは、とても可憐で美しい女医さんだった。診察の最後に彼女が一言、優しい声で、「あの、煙草はおやめになった方がいいですよ」と言った。「もちろん、やめます。一生やめます。」私は、即座に答えた。

その時は調子よくそんなことを言ったものの、煙草をやめる気持ちなどサラサラない。喉の具合が落ち着くと、また吸い始めようとポケットにハイライトとライターを常に偲ばせて毎日出勤していた。ところが、なぜか吸いたい気持ちにならない。飽くまでシャレで、「一生やめます」と言ったのに、彼女の言葉がまるで呪文のように、私を煙草から遠ざけてしまった。

2ヵ月ほど経ってからハイライトとライターをポケットに入れるのをやめた。結局、彼女の一言から今日まで、私は煙草をただの一本も吸っていない。自分の意志とは関わりなく、見事に禁煙に「成功」したのだ。

その後、一度だけサザン・オールスターズの「稲村ジェーン」のアルバムジャケットに、さり気なくハイライトの箱が描かれているのを見たときのこと。ほとんど衝動的に、「おれはなぜ煙草をやめてしまったんだろう。ああ、ハイライトが吸いたい。すぐ吸いたい。今吸いたい」と思ったが、実際には吸うことはなかった。

今でもハイライトは大好きだし、もし1本でももらい煙草をしてしまったなら、すぐに昔の1日60本のヘビースモーカーに戻る自信(?)はある。つい煙草を吸ってしまって、やっぱり意志が弱いのかなと落ち込んでいるうちに目が覚めるという夢を、今でも月に2回は見るのだ。

そんな愛煙家OBの私にとって、昨今の愛煙家に対するパッシングはとても異常に思える。まるで悪人扱い、罪人扱いしてヒステリックに排斥しようとしているようだ。航空機などの交通、公共機関での禁煙は百歩譲るにしても(けして譲りたくないが)、都内の区によっては喫煙所以外の屋外での煙草も罰せられ、この法律はきっと瞬く間に日本中で施行されることだろう。さらに、今回は健康増進法と、代金値上げ(セブンスターなどは一気に30円も上がった)のダブル・パンチが愛煙家を容赦なく見舞う。

海外に目を転じれば、事態はもっと悲惨だ。英国では普通の煙草が1箱£4.25で約800円。ニューヨークに至っては(米国では州により価格が異なるようなので)1箱$7.5で900円もする。しかも、今年4月から施行された信じられない法律で、ニューヨーク市内のバーなど飲食店での喫煙もすべて禁止になった。禁酒法以来のクレージー極まりない悪法だ。

「バーから煙草が消える」。今の日本では考えられないバカげた話も、気をつけていないといつのまにか法制化されてしまう危険性がないとは、けして言えないのだ。サーズの感染も怖いが、こちらの方がある意味でもっと怖いかも知れない。もしそんなことになりそうになったら、我が店のお客さんたちと一緒にヘルメットを被り角材を手に、国会議事堂に押し寄せ、身体を張って阻止しようと思う。

もちろん、煙草が喫煙者だけでなく、吸わない周りの人たちの健康にも害を及ぼすことはたいへんな問題だ。そして、喫煙の制限をいろいろと考えてくるのは、マナーの悪い喫煙者への警告だという側面もあることはよく理解できる。TPOをまったく考えずに煙草に火を付ける人たちが実に多く存在するのも、悲しい事実だ。

昔、藤本義一氏がテレビ「11PM」のなかで、
「人間は飯を食う、酒を飲む、煙草を吸う。固体と液体、それに気体をうまいこと身体の中に取り込む知恵を持っているんやね」
と話していたことがある。その通りだと思う。これからはその知恵をもうひとつ別の方向で絞って、愛煙家と、煙草を吸わない人たちがうまいこと共存できる道を、真剣に考えていかなくてはならないだろう。さもなければ、繰り返すが、「バーから煙草が消える」日が来ないとも限らない。

私は「バーから煙草が消える日」が来れば、その後まもなく、「バーが街から消える日」が訪れるのではないかと、かなり真剣に心配している。

 

 

第5回:"T" For Two. ?私の「ジュリーとショーケン」考(1)