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■ジャック・カロを知っていますか? ~バロックの時代に銅版画のあらゆる可能性を展開した天才版画家とその作品を巡る随想



更新日2021/05/13 

 

 

第3回:ローマでのカロ



ローマでのカロ

二度も家出をしてナンシーに連れ戻され、金銀細工師デュマンジュ・クロックのところに預けられて、おそらくは嫌々ながらの二年間の修行をした後、カロは父親を説得して1609年、三度ローマを目指します。

ローマでは版画家で版画販売店の経営もしていたフィリップ・トマシンの工房に見習いとして雇ってもらい、いよいよアートの中心地ローマで版画家としてのスタートを切ることになりますが、17歳のカロとしては、基礎から勉強をする必要があると考えたようで、画家としても版画家としてもすでに有名だったアントニオ・テンペスタ(1555~1630)に、ドローイングの手ほどきを受けています。

テンペスタとは、彼が師匠のトマシンの知り合いだったので出会えたのでしょうが、カロは躍動的な絵が得意なテンペスタから強く影響を受けたようです。ほかにも様々な絵を模写したり、トマシンから銅版画を彫る技術を一から学び直したり、サン・ピエトロ大聖堂の中の30の彫刻を銅版画にする仕事を与えられてもいます。トマシンはそれをおそらくアートガイドブックのようなものにして売るつもりだったのでしょうが、カロにしてはあまり出来が良いとはいえず、実際には刷られることもないままお蔵入りになっています。彫刻を模写するという課題そのものに、若いカロはあまり興味を持てなかったのかもしれません。

つまりローマで版画商を営むトマシンのもとでの日々は、カロにとっては修行期間のようなものでした。作品としては、1月から12月までの1年の人々の生活模様を描いた12点からなる『暦』(1610~1611)と、四季折々の農民の暮らしを描いた4点の『四季』(1610~1611)の連作が残されていいます。ほかにも作品がありますが、それらはしかし既存の絵画や版画の模写でしたから、そこには後にカロが発揮するカロらしさのようなものは、まだありません。

 

これは『暦』と題された12点の連作の中の一枚。画面の上の方に太陽と2月の星座である魚座の印が描かれている『2月』には、冬の戸外の人々の様子と、室内で暖をとる人が描かれています。

室内で暖炉にあたっている男の人は、外から帰ってきたばかりなのか、まだしっかり防寒具をつけたまま、凍えた手や足を暖炉に向けて温めています。暖房器具といえば暖炉くらいしかない石の家は、暖炉があってもそれでもかなり寒いのでしょう。

外には、楽器を持った人と着飾った二人を先頭に行進する人たちがいて、カーニバルも間近なようです。長かった冬も、もうしばらく辛抱すれば終わって、待ちに待った春がようやくやってこようとしている頃です。人々の心は少しウキウキし始めているかもしれません。

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でも、まだ空を覆う雲は厚く、橋が架けられている川はどうやら凍っているようす。滑って転んでしまった人や、腕を組んで片足を上げて余裕を見せている人もいれば、そんな人たちを見ている人たちもいます。教会に向かっている人たちもいます。

前景に大きく室内の様子を描き外の光景と共存させる構図は、バロックの時代などの典型的な版画表現方法の一つです。人々のさまざまな日常の様子を細かく描くというのも、今日のベルギーやオランダなどがあるフランドル地方の画家たちが好んで描いた題材《テーマ》で、カロは模写することなども含めて、そのような表現上の伝統と版刻の技術を積極的に学んだのだろうと考えられます。ブリューゲル(1525~1569)などもこのような絵柄を好んで描きました。

 

次の画は『四季』と題された四枚の連作の中の『冬』です。トマシンの工房の仕事として彫ったもので、これも模写です。画面の右下の石の上にカロのサインが彫り込まれていますが、作品にはサインのないものや工房の同僚の職人のサインが入ったものもあります。トマシンは客からリクエストされたものや人々が好みそうな絵柄を、自らが彫るばかりではなくて弟子たちにも彫らせていたようですから、版画商としてはそれなりに流行っていたのでしょう。

『冬』には、冬籠りの準備をする農民たちの姿が画面いっぱいに細かく描かれています。暖炉にくべる薪を運ぼうとしている人や、家畜をさばいている人もいます。ハムや腸詰などを作っているのでしょう。画面の左上の方には、狐の姿も見えます。こうした農民の田舎での日々の暮らしを描いた絵はそれなりに人気がありました。

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地球の営みと共にあった人々の暮らし


この頃の、というより、人々の暮らしは太古の昔からずっと自然と共にありました。地球から生まれた人間は常に、太陽の光と地球の自転がもたらす昼と夜、そして地球が太陽のまわりを一巡りする四季の移り変わりと共に生き、その中で野菜にせよ穀物にせよ魚にせよ、母なる地球がもたらしてくれる恵みを摂って生きてきました。ですから太陽や星や刻々と移り変わる季節のことを、おそらく現代を生きる私たちよりはずっと身近なものとして意識していたでしょう。

ローマのような街に住んでいる人々であってもそれは同じで、食べ物なども当時は冷蔵庫や缶詰があったわけではありませんから、田舎の人はもちろん街の人も、四季折々の、その時期ならではの恵みを心待ちにしていたでしょう。

そのような暮らしは近代に入ってから一変しました。現代を生きる私たちもカレンダーを壁にかけたりして、夜と昼との繰り返しの中で生きていますけれども、現実問題として現代人が気にかけているのは、たとえば学校や会社が始まる時間や打ち合わせの予定や、それに間に合うための電車の時間であって、空を刻々と移動する太陽の位置などではありません。

もちろん今でも季節ごとの旬の食材は人気があります。けれど、トマトであれキャベツであれ。スーパーに行けば季節外れのものが年中常備されていますし、鶏肉や牛肉や豚肉も、きれいに切り分けられパッキングされて並べられていて、そこからは、この画に見られるようなさまざまな命と自然と人々の日々の働きとの密接な関係はほとんど感じられません。

コンビニエンスストアには夜中でも、何処か遠いところで作られた電気を使って昼と同じ明るさが満ちていますし、缶詰にしてもワインにしても生活用品にしても、あらゆるものが遠いところから運ばれてきて当然のように季節に関係なく整然と並べられています。はるばる外国から来たものも含め多くのものが、何処で誰がどのようにしてそれをつくったのかなどということからは、限りなく遠ざかってしまっています。

食べなければ生きていけない私たちが食べる肉も魚も野菜も、私たちの命を含め無数の命を生み出した地球の豊穣な営みと、それと共に生きる人々の働きの賜物にほかなりません。そのことを私たちはいつの間にか、ほとんど忘れて日々を過ごしています。けれども、そのような生活スタイルは人間の暮らしの長い長い歴史から見ればほんの最近、ほとんど20世紀も半ばを過ぎてからのことです。

 

さて、結局のところカロは、過去の既存の作品を版画にする版画職人のトマシンとはどうやら反りが合わなかったようです。仕事で急に故郷のフィレンツェに行くことになったテンペスタと一緒に、さっさと花の都フィレンツェを目指すことになります。


-…つづく


 

 

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谷口 江里也
(たにぐち・えりや)
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本や歌や建築、さらには自治体や企業のシンボリックプロジェクトなどの、広い意味での空間創造を仕事とする表現哲学詩人、ヴィジョンアーキテクト。
主な著作に『鏡の向こうのつづれ織り』『鳥たちの夜』『空間構想事始』『天才たちのスペイン』、主な建築作品に『東京銀座資生堂ビル』『ラゾーナ川崎プラザ』『レストランikra』などがある。
なお音楽作品として、シンガーソングライター音羽信の作品として、アルバム『わすれがたみ』『OTOWA SHIN 2』などがある。

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