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■ジャック・カロを知っていますか? ~バロックの時代に銅版画のあらゆる可能性を展開した天才版画家とその作品を巡る随想



更新日2021/12/16 
 

 

第18回:ボヘミアン



カロは1620年に完成させた大作『大狩猟』と『インプルネータの市』を1621年の1月にトスカーナ大公コジモ二世に見せたようです。しかし文化や科学や芸術を愛した大公は、病に勝てず2月の28日に亡くなってしまいます。そしてこの大公の死によって、ヨーロッパにルネサンスの華を咲かせ、その興隆と維持を支え続けたメディチ家の栄光の歴史は終焉します。

大公の地位は息子のフェルナンドに引き継がれましたけれども、しかしすでにトスカーナの財政は逼迫し、しかも大公妃が芸術などには関心が無く、ひたすたカトリック教を心の拠り所にする女性であったため、コジモ二世の死後、フィレンツェの街はみるみる活気を失い、文化の火は瞬く間に消えてしまいます。

力を得たのは教会ばかりで、パリジをはじめ多くの芸術家が仕事を失い、大公付きの版画師であったカロも、たちまち解雇されてしまいました。それまで花のフィレンツェのウフィツィ宮に部屋を与えられて仕事をしていたカロでしたから、一瞬にしてすべてを失ってしまったことになります。どんなにショックだったでしょう。

失意のカロが向かったのは故郷です。父が以前は紋章官でしたし、兄もその地位を継いでいましたから、カロに仕事が回ってくる可能性もあると考えたのでしょう。しかしナンシーの街そのものが、かつての勢いを失っていて、すでに父親も兄も以前の仕事から離れて困窮していました。それでもカロは、ほかにあてがなかったからでしょう、もしかしたらロレーヌ公に版画師として仕えることができるかもしれないという一縷の望みにすがるようにしてナンシーに帰りました。

それにしても、パリジに愛弟子のように可愛がられ、大公からも好かれて、フィレンツェの表舞台で活躍してきたカロにとって、どんなに哀しく寂しいことだったでしょう。カロはすでに29歳になっていました。

ナンシーに戻ったカロはまずフィレンツェ時代に制作した版画やスケッチを、おそらく多くの版画の原版は王宮のもので持ち出すことができなかったからということもあったのでしょう、『インプルネータの市』や『きまぐれ』などを改めて版刻しています。

故郷の人々、とりわけロレーヌ大公に自分の実力を見てもらいたい気持ちがあったでしょうし、刷った版画を売って、日々の糧にする必要もあったでしょう。何しろカロはいきなり公職を解かれてしまったのですから……。


それと同時にカロは『ボヘミアン』と題した4点の横長(125×240mm)の版画を制作します。ボヘミアンたちが移動をしている場面を描いたもので、4点をつなげてみることもできるようになっています。カロの表現力と技量が見事に発揮されていて、カロの代表作の一つです。


18-01
ボヘミアンの行進1


18-02ボヘミアンの行進2


18-03小休止


18-04夕餉の準備


ボヘミアンというのは、10世紀ごろになぜかインドの北部を出て流浪の民となり、15世紀にはヨーロッパの各地にまで到達し、今や世界中のいたるところに存在する不思議な民族です。比較的小さな集団で移動生活を営み、現在はロマと総称されている彼らは、独特の文化や風習を持ち、移動を繰り返し、生活の実態がやや得体が知れないところもあるために、ヨーロッパでは蔑まれ、しばしば迫害を受けたりもしてきました。

移り住んだ場所によって呼び方は異なり、英語ではジプシー、ドイツ語ではツィゴイネル、フランス語ではジタン、スペイン語ではヒターノと侮蔑的に呼ばれています。

おそらくは流浪の民であることと関係しているのでしょうけれども、スペインのフラメンコに代表されるように、何人かの仲間が集まって、ギターを奏でて歌を唄い踊りを踊れば、その場をすぐに彼らだけの特別の場に変えることができる音楽や舞踊に長けていて、今日では多くの優れたミュージシャンがいます。華やかななかにも深い哀愁をたたえたサラサーテの『ツィゴイネルワイゼン』やブラームスの『ハンガリー舞曲』もロマの音楽を取り入れたもので、ロマの音楽には、人間の心に沁みる何かがあります。


カロがどうしてこのような作品を創ったのかはわかりませんけれども、大好きだったフィレンツェを去ることを余儀なくされたカロであってみれば、特定の居場所を持たずに流離《さすら》うボヘミアンと自身の境遇とを重ね合わせたのかもしれません。

それにカロは11歳で家出をしてイタリアに向かった時、旅をするロマの一行に混じってイタリアまで行ったと言われていますから、ロマには親近感を持っていたのかもしれません。おそらく子どもなのに家出をして外国に向かおうとしていたカロを、ロマたちは面白がって可愛がってくれたのでしょう。


最初の版画の先頭には馬に乗った女性たちがいます。それほど貧しい身なりをしてはいませんし、長い槍を持って一行を警護する男の人も、兵士の格好をしていますから、この集団が、極貧の集団ではないことがわかります。彼らの移動にはなくてはならない馬車も後についていて、そこには家財道具一式とともに老人が乗っています。

鍋や壺を背負って歩く子どももいますが、一人前に槍のような長い棒を担いでいます。その後ろの帽子をかぶった少年はアヒルを持っていますし、馬車を御している人の荷物の上にはニワトリがいます。移動を続けて夜になれば休まなくてはなりませんし、そこでは食事もしなくてはいけませんから、食料も持ち運ばなければなりません。それには生きたままの動物が好都合なのでしょう。

この画の後方のロバにまたがった母子の横にはかなりちゃんとした身なりの男が子羊を持って歩いていますが、なんと鉄砲を担いでいます。よく見れば先頭の二頭の馬の後ろを行く人も当時は貴重な鉄砲を持っています。

馬に乗るのが上手で命知らずのロマは傭兵としても重宝されていましたし、当時はボヘミアの新教徒がスペイン・オーストリアのカトリックを信奉するハプスブルグ家の支配に対する反乱を起こしたことに端を発する、スペイン帝国とフランスとが勢力争いを繰り広げた、いわゆる三十年戦争の最中でしたから、この一行は、どこかの戦いに参加したことがある、やや非公式な援軍をしたことがあるような連中の家族なのかもしれません。もちろんこの鉄砲は防御のためのものでもあり、また旅の途中で見つけた獣を撃ったりするためにも用いられたりしたでしょう。


二番目の版画にはこの集団の中でより重要と思われる人たちの行列が描かれています。帽子も派手ですし、身なりもかなりちゃんとしています。この人たちも鉄砲を持っています。みんな子どもを連れていますが、ロマたちは一般に子だくさんです。

ロマたちはヨーロッパに行き着いた頃、自分たちはエジプトの貴族の出身だとか、いろんなことを言っていたようで、ジプシーという呼称もそこからきているのでしょう。画面には「異国を彷徨う勇敢な使者たちというわけではありません」と記されていますが、そんなことをわざわざ記さなくても、この一行が、お姫様をどこかの国に送り届けるというような役目を持った人たちでないことは明白です。ただカロのこの版画での彼らに対する眼差しは、なんとなく優しくて、ちょっとしたユーモアも漂っています。

ロマたちは、肌の色が浅黒く、髪も目も黒くて、どこからやってきたのかわからない相当に怪しげな集団と当時は思われていたようで、いろんなところで酷い迫害を受けたり、身に覚えのない罪を被せられて処刑されたりしたようです。今日の難民のように見られていたのかもしれません。

しかし彼らはしぶとく生きぬいてきました。スペインの現代のヒターノたちを見ていても感じることですけれども、彼らは虐げられてきた割には、一般に明るくて妙にプライドが高く、それでいてどこか油断のならない一触即発の緊張感を身にまとっています。


三番目の版画には小休止している一行が描かれています。おそらく誰も住んでいない廃屋を見つけたのでしょう。ただ随分大きな家で、看板がかけられているところを見ると、以前は旅籠だったのかもしれません。

それにしても、壊れた(あるいは壊した)屋根の隙間から屋根裏に入り込んで車輪や窓枠など、何やらいろいろと運び出しているようです。多分、焚き火をするなど、野営に必要なものを調達しているのでしょう。

よく見ると右側の男の人の前には、どこから運んできたのか、カゴいっぱいの野菜と二羽の鳥がありますし、その横にいる鉄砲を持った人はいろんな獲物をぶら下げています。馬に乗った女の人の後ろには足を縛られたウサギが吊るされていて、その馬の目は、どうやらこの版画を見ている私たちを「見たな」と言わんばかりの表情で睨みつけています。


四番目の版画では、夕餉の模様が描かれていますけれども、人々は実にいろんなことをしています。木の枝に布を張った天幕の下でお産をしている人までいます。行儀よく肉が焼きあがるのを待っている子どもたちがいますし、木に登って腿肉を鎖で吊り下げて自分で焼いている子どももいます。鹿かヤギか何かを捌いている人もいれば、肉の塊を棒の先につけてこれから焼こうとしている人もいます。なかなか豪勢な夕餉です。

ロマたちはこうして最低限の家財道具を持って移動して暮らしていますので、動物を捌いたり、皮をなめしたりはもちろん、鍛冶屋のように刃物をつくったり砥いだり鍋釜や道具を直したりなど、大概のことを自分たちでやらなくてはいけませんでしたから、いろんな仕事にそこそこ長けてもいました。

大きな木のところにはカード遊びに興じる男たちがいます。ロマたちは明日も知れない暮らしをしているためか、ジプシー占いという言葉があるように、今でも占いが大好きで、それを商売にしている人さえいます。

これらの一連の版画には、社会の底辺で差別を受けながら、それでもたくましく生きるロマたちの生きいきとした、そしてどこか楽しげで人間的な、何があっても動揺したりなどせず、哀しみを含めたすべてを笑いや歌に変えてその日その日を生きているような姿が確かさと親近感と共に描かれていて見事です。

ロマたちは、家族や仲間以外は信じない閉鎖的な暮らしをしていますから、このような画は、彼らの内部をよく知る者、もしくは彼らと生活を共にした者でなければ描けないでしょう。もしかしたらカロは子どものころ本当に、彼らと一緒に旅をしながらフィレンツェに行ったのかもしれません。


-…つづく


 

 

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谷口 江里也
(たにぐち・えりや)
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本や歌や建築、さらには自治体や企業のシンボリックプロジェクトなどの、広い意味での空間創造を仕事とする表現哲学詩人、ヴィジョンアーキテクト。
主な著作に『鏡の向こうのつづれ織り』『鳥たちの夜』『空間構想事始』『天才たちのスペイン』、主な建築作品に『東京銀座資生堂ビル』『ラゾーナ川崎プラザ』『レストランikra』などがある。
なお音楽作品として、シンガーソングライター音羽信の作品として、アルバム『わすれがたみ』『OTOWA SHIN 2』などがある。

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バックナンバー
第1回:ジャック・カロを知っていますか?
第2回:カロの最初の版画
第3回:ローマでのカロ
第4回:フィレンツェでの幸運な出会い
第5回:最初の公的な仕事
第6回:地獄絵図
第7回:愛のキューピットがトスカーナにやってくる
第8回:祝祭都市フィレンツェ
第9回:ジャック・カロの発見
第10回:独自の路を歩み始めたカロ
第11回:劇的空間
第12回:聖アントニウスの誘惑
第13回:版画集『きまぐれ』
第14回:トスカーナの風景
第15回:三人の役者
第16回:聖地巡礼報告書
第17回:トスカーナの暮らし

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