第13回:グラン・イナグラシオン(開店祝いパーティー)
『カサ・デ・バンブー』の客席はすべて屋外のカフェテリアだったから、オープニングの日の天候が気になった。セマナ・サンタ(イースター)の前はまだ天候が不順で、冷たい東風が吹くことがあるからだ。雨の心配はなかった。春から夏の終わりにかけては、ここ西地中海では全くと言ってよいほど雨が降らない。
その日はスカッと晴れ上がり、風もなく、まさに絶好の日和になった。
この島でのグラン・イナグラシオン(gran inauguración;開店祝いパーティー)は、カナッペにサングリアとおよそ決まっていたが、私は新しい、おそらく確実にイビサの歴史始まって以来、初の“ジンギスカン”を供するのだから、招待客にジンギスカンを味わってもらおうと思った。当然出費も嵩むが、この投資は宣伝費だし、新しいことを始める上では欠かせないプロモーションと考えたのだ。
ジンギスカン鍋の焼き方、タレのつけ方、火の調節の仕方、などなどのニワカトレーニングを授けた焼き手を四つのテーブルに配し、焼き上がった肉、野菜をタレに付け、小鉢に入れて招待客に手渡すことにしたのだ。招待客には満腹して帰ってもらおうという思惑だった。
招待客を四つのグループに分けて声掛けをした。
一番目のグループは『カサ・デ・バンブー』を開店するのにお世話になった人、市役所のお役人、政府観光省の人たち、消防署、保健局の人、それにボデガ(ワインの卸屋、酒屋)、肉屋、プロパンガスの配達人などで、イビセンコ(イビサ生粋の人)が圧倒的多数だった。
ある程度は予想してはいたのだが、このグループは家族、郎党一族を引き連れてきたのだ。それが総計すると半端でない数になり、予定し、準備していた料理の量をはるかに超えてしまうことになった。このグループは、どうもイロイロお世話になりました、今後ともよろしく…という意味合いが強いのだが、このグループから常連客になってくれた者は少なかった。
二番目のグループは、イビサでレストラン、バー、カフェテリア、ブティック、土産物屋などショーバイしているしている人たちで、そこに地元の旅行会社も含めた。食べ物ショーバイをやってみて初めて分かったことだが、互いに競争する概念がほとんどなく、逆に一緒に盛り上げていこうという協調性の方が遥かに強いのだ。
同業者の仲間から、どこそこの肉屋の方が良い、新しく開いたボデガは90日の手形を受け付ける、などという横の情報を流してくれるのだ。おまけに自分のお客に、日本人の友達がロスモリーノス(カサ・デ・バンブーがある地域)に面白いカフェテリアを開いたから、寄ってみるといいぞ…と宣伝してくれるのだった。
三番目のグループはご近所さんたちで、常連になって貰おうという魂胆だった。彼らは外食をするので、週1回、できれば2回くらい彼らのレストラン・ローテーションに『カサ・デ・バンブー』が入ってくれればイイな…という思惑だった。

イビサ新市街のレストラン

日中から開いているテキヤさんは少ない
あいにく、セマナ・サンタの前では、イビサに別荘やアパートなどを所有し、年の半分くらいはここで過ごす人たちはまだ出揃っていなかったが、ドイツ・コロニーのようなロスモリーノス界隈に棲みついているドイツ長老組、年中通して住んでいるスコットランドや北欧の叔母さんたちが来てくれた。この中から、将来、『カサ・デ・バンブー』の常連になってくれた人たちが幾人か現れた。
そして四番目のグループだが、イビサの旧市街は夕方になると大きなテーブルを並べただけのテキヤ(ヒッピー風露店商)がドット店を出す。一応、テーブルを出す場所は市で規制され、決められている。売っている商品は、手作りのアクセサリーが多いが、土産物、小さな額に入った絵、銀細工、イビセンカの伝統的な衣装をまとった人形、細工を施した皮の財布やベルト、サンダル、小型ブティック風にイビサファッション、絞りや更紗の染物、パレオ、果ては手縫いのウルトラビキニ、粘土で作ったイビサのミニチュア農家などなどを売っている。
このテキヤ商店街はチョットしたイビサ名物になっていて、ヒッピー・マーケットとして市や観光省が保護している観さえある。一度テキヤをやると止められない…らしく、後年、親しくなったテキヤの一人から彼の売り上げ、年収を聞いた時、一体俺は今まで何をやっていたんだ、家賃、光熱費、人件費を払い、酒屋、肉屋、八百屋の支払いに追われ、何ということだ、と思ったものだ。
彼らは日銭が入るので、それだけ外食し、お金を使う。良い顧客になるかもと踏んだのだ。このグループは南米人が多く、スペイン人でもカタルーニア人、ヴァレンシア人が多かったように思う。北米アメリカ人も幾人かいた。どういうわけか、イビセンコのテキヤにお目にかかったことがなかった。
オープニングに彼らは大挙してやってきたが、『カサ・デ・バンブー』のロケーションが彼らが夜店を出すイビサの旧市街から遠すぎた。彼らの幾人かとは軽い友人になりはしたが、良い客にはならなかった。
このように、『カサ・デ・バンブー』の開店パーティーは満員以上の盛況で、庭に入りきらず、ゲートの外の岩や階段に腰を降ろす人が大勢出たくらいだった。
大家のゴメスさんは、「タケシ、すごい人出だな…。少なくともタダ食い、タダ飲みできる今夜に限ってはな…」と捨て台詞を残して、彼の住んでいるペントハウス(最上階)に帰って行った。
-…つづく
第14回:ギュンター 1 “上階のドイツ人演劇監督”
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