のらり:足で歩き、あごで咀嚼、そして「手」では、どんな運動をしていけばいいんでしょうか?
大島 :これは「趣味を持ちなさい」「本を読みなさい」というのにも通じてくる。僕は何でも挑戦してみたいタイプで、とにかくいろんなことをやる。脳にもっと刺激を与えようと、チェロも弾くし陶芸もやる、仲間を集めて握り寿司を振る舞うなんてこともやる。とにかく積極的に手を使うべきだね。

のらり:先生の趣味は、手で脳に刺激を与えるとともに、コミュニケーションによって心に刺激を受けるものも多いような気がします。
大島 :さっき人間の本能という話をしたが、集団欲というのもそのひとつ。人間という動物も一人きりで刺激のない生活をしているとボケる可能性が高い。僕は友達と『サロン・ド・ゴリラ』という会をやっていて、料理を作りながら、“だべりんぐ”をする。昔の松下村塾ではないけど、談論風発、お互いの意見・考えを交換する。それこそ老若男女、いろんな人が集まってくる。そこで新しいものが見えてくる、新しい可能性を発見するということになるのではないかと思っているんだ。



のらり:そして、おはこのラスト、「本を読みなさい」ということですが・・・
大島 :これも手を動かすということにつながってくるのだけど、今、コンピュータや携帯電話ばかりでしかコミュニケーションをとってこなかった子供たち、若者たちが多くの犯罪を引き起こしている。
 心というものは考えることから始まるんだけど、その考えるために何が必要かっていったら言葉なんだ。辞書機能のあるコンピュータを使い続ければ、言葉を忘れてしまうよ。これは大人たちにもいえるかもしれないけど、最近の少年犯罪が多発する大きな要素は言葉を失ってしまった、つまり考えることができなくなってしまったことが大きな原因じゃないかと思っている。言葉を忘れた人間は、チンパンジー、猿、ゴリラに劣ると僕は警告しているんですよ。

のらり:言葉を育てていくには、どうしたらいいんでしょう?
大島 :そこで手を使うということが登場する。手を使って文字を書くこと自体が、脳と手をコンビネーションするのに一番いいわけだ。僕はかたくなに原稿の手書きを守っていて、ずっとモンブランの万年筆で書いている。編集者の中には、字が読みづらいとブーブー文句を言う人もいるけど、手書きはやめない。一字一字考え考え書き進む、漢字がわからなければ辞書を引く、手を使い、自分の字で自分を表現し吐露する。これが脳にいいんだ。


書斎のマスコットガール!?は、
ドイツ製のガイコツ


のらり:大人でもきちんとした手紙が書けない人がたくさんいます。
大島 :日本語もとうとうその時代がやってきたね。ラブレターも自分の文字で書けないなんて、そんなヤツはロボットだから、いくら容姿端麗でも、はなから振ることだな。ラブレターも書けないヤツはダメなヤツだ(笑)。

のらり:手書きの味わいというのもありますしね。
大島 :そう。字体を見れば、相手がどんな気持ちで書いたか、その状況がわかるそこまでいってほしい。
 それと手書きの時は、辞書を必ず引くでしょ。間違いをそのまま書いているヤツは相当なバカです。辞書を引くと、何倍もの効果があるんですよ。探した言葉の周辺の言葉もちょっと覚える。知らなかった単語を覚えるという効果がある。そうしたことがすたれてしまった。これは今の若者の考えや生き方に強く影響しているでしょうね。言葉で考え、思考することで、ヒトのおでこのうしろにある脳のソフトウェア、“前頭連合野”という部分を十分に発達させていかないとダメだね。そいうことを常に意識して、辞書をどんどん引いて、自分で好きな人にラブレターを手書きで書けるようになってほしい。とにかく現状は、言葉磨きを全然していないという、嘆かわしい、危機的な状況だよ。

のらり:人間は、つい便利な方に流されてしまいがちですからね。
大島 :コンピュータは便利だから使うが、その便利さには落とし穴がある。案の定、おそろしい時代がやってきてしまった。言葉を磨かない、使わない、それゆえに考えない、考えられない人たちが登場してしまった。便利さというものを追い求める欲望は際限ないけど、注意深くつき合っていかなくてはいけない。



のらり:生まれたときからコンピュータやテレビに囲まれて育つ子供たちも増えていきます。
大島 :現代社会は視覚ばかりに頼り過ぎているという警告しているんだ。赤ちゃんの視覚は3歳ごろまでに完全にできあがるんだけど、コンピュータやテレビをつけると釘付けになる。色とりどりで動くし、それは子供たちが欲している動きで、色だから。ところが怖いのは視覚のみの世界であることです。匂いがない、感触もない、ともに感覚する共感覚が欠けていて、ロボットみたいな人間になってしまう。

のらり:見るっていうことは、たくさんある感覚のひとつだったはずなのに、それだけが特化してしまったんですね。
大島 :きれいだという感覚も、見た目とともに味や触覚、匂いがあってこそ深みが出てくる。僕は赤い色が好きで、山々を歩いていて、赤いものを見つけるとすぐ拾って帰ってきてしまう。でもそれは、ただきれいというだけではなく、この実の赤さから季節や動植物の生態系を感じたりする。その楽しさも一緒に味わうんだ。

のらり:そういう自然に触れるということこそ、共感覚をはぐくむ源なんでしょうね。
大島 :自然の中に身をおいて、手や足を使って遊ぶことはとても大事だよ。バランスのある五感刺激につながっていくんだ。


こんなものをいただいちゃいました!
酒の肴は地場モノの白魚
のらり:ということは、先生の終の棲家は、まさに脳を刺激して元気に暮らしていくには最適ですね。
大島 :そうだろう! きちんとしたものを食べて、大いに遊んで、勉強する。その中に手足を使い、咀嚼をするという脳への刺戟がいっぱいある。そういうライフスタイルにしなくちゃ。
のらり:よーくわかりました。
大島 :ここの窓から富士山を眺めてグラスを傾けるっていうのもいいんだよ。もうむずかしい話は終わり! そろそろビールでも飲むか?
のらり:それじゃお言葉に甘えて・・・
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