■よりみち~編集後記

 


■更新予定日:毎週木曜日

更新日2004/01/15


どんなに鍛えようと思っても衰えを止められないものがある。目の話である。誰でもがこれで悩まされる時期があるはずだ。老眼知らずの老人をもし知っていたら教えて欲しい。読めるはずのものがかすれて読めない、暗いところでは特に読みにくい、新聞の細かい文字にピントがこないなどなど、その兆候は必ずあるのだが、まさか自分がと最初は思うのだ。そして、昨夜は寝不足だったとか、長時間読書をしたとか、疲れ目による一時的な現象なのだと自分を慰めてみる。しかしながら、着実に老眼は進行していく。私の場合は42歳のある日に突然やってきた。こんなに早くきてしまったことにショックを受けた。老いの理不尽さを意識した最初の出来事かもしれない。ついには仕事にも支障がでてくる。近視の私の場合は、メガネをかけていては細かい文字の書類が読めなくなる。メガネをはずす頻度が多くなり、これでは仕事にならないとあきらめて、メガネ屋さんに行くことを決意して(これがなかなか踏ん切りがつかないのだ)、老眼鏡を作りたいとちょっと年配の店員を探して告げる。このときの敗北感は忘れないだろう。店員はニコニコとうなずきながら、そうですかあなたも老眼の年齢ですかという目で私を品定めした気がした。そして、私のメガネの計測を始め、おもむろに「これをかけてみてください」とテスト用のメガネを差し出した。かけたとたん世界が一変した。新聞の文字がくっきりと見える。これが老眼鏡かと思っていたら、「これはいままで使っていたメガネの度数を少し落としただけなんですよ」と、店員がニコニコしながら言った。近視の場合、軽い老眼の場合はメガネの度数を落とすだけで、手元がかなりくっきり見えるのだ。もちろん度数を落とすから遠くはぼけることになる。どちらも見えるようにするためには遠近両用レンズにする必要がある。そのレンズも試してみたが、レンズの境目がやはり気になる。慣れると問題ないらしいのだが、めまいがしそうでやめた。結局、老眼鏡とバレないように(実は周りの善良な人々はとっくに知っているのだが、気づかないふりをしてくれている)、手元用と遠目用に同じフレームのメガネを作るはめになってしまった。こうして老いが少しずつ進行していくわけだ。ただ、近視の人の利点がある。メガネをかけない人は老眼になるとメガネなしでは細かい文字を読むことは不可能に近いが、近視の人はメガネなしでは生活できないが、はずせばとりあえず文字は読めるのだ。たいして違いはないか…。コンタクトレンズにも老眼用があるようだが、使い心地はどうなのだろう? 目の話と入れ歯の話は同年代でもよほど親しくないとしないもののようだが、誰もが避けて通れない道でもあり、もっと正しい知識や専門情報があってもよいように思える。老眼にならない薬を開発したら間違いなくノーベル賞だろう。誰かなんとかしてくれないかな…。(K