■よりみち~編集後記

 


■更新予定日:毎週木曜日

 

 

 

 

 


更新日2007/01/25


周防正行監督作品『それでもボクはやってない』を先日のレイトショーで観てきたが、日本の司法の現実に今さらながら愕然とする。周防監督の驚きと怒りがそのまま伝わってくる。「痴漢」の冤罪事件をテーマにしている作品だが、問題は江戸時代のような裁判制度だと思う。一般人による裁判員制度がスタートすると騒いでいるが、そのベースとなる制度がこのような日本の司法制度だと思うと、目の前が暗くなる。司法制度だけは誰も手をつけないから、まるで江戸時代に戻ってしまっている感じがする。そのタイムスリップする入口は、警察の留置所なんだということがよく分かった。あそこから異次元が始まっているようだ。あそこに入ったことがある人しか分からない世界だから、知らない人は一生無関係に何も知らされていない。いくらそこから叫んでも、相手は推定罪人だから誰も相手にしてくれないわけだ。警察や検察内部からの告発などありえないから、異次元の世界で都合のよいようにほとんどが金太郎飴のように罪が作られていくわけだ。この悲しい現実に周防監督は「こんなことでホントにいいの?」という問題を提起したわけだが、なかなか簡単には改善されないだろう。せめて江戸時代から明治時代にまで進化させてほしいものだ。特にラストは悲しすぎる現実に胸がつまり、行き場のない怒りがこみ上げてくる。そして国家権力という見えない厚い壁に背筋が寒くなった。ただ、国家権力という名の怪物が一人歩きしいるのは日本だけでなく世界的な現実なのかもしれない。映画の主人公・金子徹平役の加瀬亮のナチュラルな演技、うろたえながらも息子を信じる母親役のもたいまさこ、冷徹な裁判官役の小日向文世、イノセントを忠実に演じる被害者の女子中学生役の柳生みゆ、それぞれのキャスティングがはまり役で、それぞれが生身の人間としていきいき描かれている。2時間30分近い長編なのだが、全く長さを意識させず坦々とストーリーが進行してエンディングまで行き着いてしまう。通常ならば、ここで映画のシーンを各自が頭の中で反芻しながら家路に着くということになるのだが、この映画の場合、終わってからの方が色々考えさせられることになると思う。自分ならどうしていたか、自分ならあの時落とされてサインをしたのではないかとか自問自答が続くのだ。実際に私自身も今回の主人公と紙一重の痴漢と間違われた体験があり、とても人ごとでは済まされないのだ。満員電車の中で、突然女性が後を振り向き「やめてください!」と大きな声をあげ、その周りの人が一斉に私のことを冷ややかな軽蔑した目を向け、ある正義感の旺盛な男性などは暴力的な目で私を睨みつけるという状況で、全く身に覚えのない私は、何もしていないことを女性に告げるものの信じてもらえるはずもなく、うろたえる自分が恥ずかしく、やり場のない怒りだけが頭の中を駆け巡り、かえって赤面していく自分に絶望感を覚えた。身動きの取れない満員電車では、このような痴漢の濡れ衣を着せられた経験がある男性は少なくないと思う。私の場合は、たまたま訴えられなかっただけで、全くこの映画と同様の事件に発展していたかもしれないわけで、痴漢に関しては男性も気をつけなくてはいけないようだ。満員電車では若い女性の後には近づかない方が身のためということだろうか…。(

 


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