■よりみち~編集後記

 


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更新日2006/03/16


アメリカの心ある人々は最近確実に変わってきたように思える。それが9.11後のアメリカ映画に象徴されているように思える。先日、ジョージ・クルーニーが助演男優賞を獲った『Syriana/シリアナ』(スティーブン・ギャガン監督作品)を観て来たのだが、まるで告発映画である。中東のとある国としているし、石油会社の名前も違うが、かなり皮肉を込めて歴史にメスを入れようとしている感じがする。それだけ政治に対しての不満や批判が強くなっているということなのかもしれない。特にこの作品で新しいと思えたのは、各国の母国語を忠実に表現しようとしていたことだ。アメリカ映画の特長ともなっている英語への吹き替えがないということだ。たとえば、渡辺謙がアカデミー助演男優賞にノミネートされた『ラスト・サムライ』(エドワード・ズウィック監督作品)でもそうだったが、日本人がなぜネイティブに近い英語を理解し話せるのか、ありえないシチュエーションである。そのようなご都合主義が当たり前のハリウッド映画なのだが、アラブの人間は当然のようにアラビア語を話し、反対にアメリカ人が正確な発音でアラビア語で会話をするというとてもリアルな描き方を貫いた。これはアメリカ至上主義の批判とも受け取れる行動である。その国の人を尊重するならば、その国の言葉で物事を理解する必要があり、アメリカの政策でこれまでに欠けていたことが、その言葉への配慮なのだと思える。同じ目線に立って物事を考えるという当たり前のことが、やっとアメリカにもちょっとだけ理解できる人々がでてきたということではないだろうか。スティーヴン・スピルバーグ監督作品の『ミュンヘン』も1972年のミュンヘンオリンピックで起こった“ブラック・セプテンバー(黒い9月)”によるイスラエル選手団襲撃事件の首謀者を一人ひとり報復テロや暗殺した事実をほぼ史実に沿って描いた作品で、ユダヤ系アメリカ人であるスピルバーグ監督がイスラエルの報復テロを描くというショッキングな内容だが、誰が正しくて誰が悪いとかの問題ではなく、どちらにも愛する家族があり、暮らす場所があり、そこにそれぞれの神が宿っていて、誰もそれを壊す権利を持たないという共通の真理を再確認しているように思えた。何事もシンプルに考えれば問題など発生せず諍いなど起こらないはずである。どこかで必ず個人の欲望やエゴそして利益が絡むことで派閥が発生し、醜い争いが起こるのだから、初めからその芽を摘み取ってしまうしかないのだと思える。イラクでの派閥の抗争も内戦になる前になんとかしなければ、旧ユーゴスラビアと同じように分裂国家となるかもしれない。

 

 

 

 

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■猫ギャラリー ITO JUNKO
11/19/2005更新