■よりみち~編集後記

 


■更新予定日:毎週木曜日

 

 

 

 

 


更新日2007/03/22


スーパー銭湯というのだろうか、露天風呂があり、掛け流しの温泉なのに銭湯並みの料金で入れる穴場があって、ウォーキングの後に汗を流しに時々立ち寄るのだが、先日行ったときに、そこで世の中が変わったことを実感させられた。休日だったので子供連れが特に多かったのだが、湯船につかってまったりとしていると、突然、3歳くらいの男の子だろうか、キーキーと叫びながら泣き始めた。風呂場だから当然その泣き声は反響してがんがん響き渡る。ここまでなら、よくある光景で、また子供のわがままが始まったかという感じなのだが、その奇声に近い叫び声がいつになっても止まないのだ。まったり湯船に浸かっていられる状態ではなく、ほかの入浴者も何事かと、その親子に視線が集まった。なんのことはない、子供が風呂桶のお湯を湯船に入れようとしているのを、その父親が制止しようとして押し問答を繰り返しているのだ。父親としては汚れたお湯を湯船に入れるのはほかの人の手前阻止しなければならないわけで、耳元で何か言いながら止めさせようとしているのだが、水遊びが面白いその子供は決して止めようとはせず、何度もそれを繰り返しているのだ。そのうちに父親も怒り出すだろうと思っていたのだが、その父親は風呂桶を湯船に入れるのを止めるだけでまったく叱らないのだ。叱らないどころかニコニコして話し掛けるだけなのだ。子供の奇声はさらにエスカレートして、金切り声になり、自分の思い通りにしようとこれでもか攻撃になっており、ほかの人たちもどうなるのかイライラしながら見守っている。きっと親父がピシリとお尻でもたたいて止めさせるか、ほかの人の迷惑を考えて、外に連れ出すか、どっちかなと想像していたのだが、このニヤニヤ親父はほかの人の迷惑顔に全く動ずることなく、決して叱らないのだ。どうも観察していると、子供の思うように遊ばせ、悪いことをしようとしたらやさしく諭す。それを何度でも繰り返し、決して怒らないで笑顔で接するとココロに誓っているようなのだ。子供の教育方針に対して、私が何か語れるような立場にないし、自分の子供のしつけに対して自信を持っているかと言われるとちょっと恥ずかしくなる父親の一人なので、どうも偉そうにこの父親に意見が言えないのだが、せっかくのんびりしようとやってきた温泉が台無しになってしまい、怒りが込み上げてきて、この餓鬼の将来のために、ここは一発このダメ親父に替わって黙らせて進ぜようかと、かなり暴力的な感情を抑えるのに苦労した。かなり満員状態であったのだが、ほかの人は迷惑そうな顔を親父にむけるものの、誰一人として親父に文句を言う人がいないのも不思議だった。きっと私と同様、この頭が痛くなるほどの奇声を止めたいと思いながらも、自分の子供もこんな時期があったなとか、自分も偉そうに言えないと思って我慢していたのだと思える。結局のところ、私の方が根負けして早々に退散してしまったのだが、実は今でも気分が悪く、あの親父が最近のやさしい父親像の典型で、わがまま放題のあの餓鬼の将来を思うと、とても暗く悲しい気分になってしまうのだった。子供に手を上げるのはよくないことは分かっているが、時と場合によっては、身体で覚えさせることは必要なことだと私は思うのだが、古臭い考え方なのだろうか…。(

 

 

 


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