■よりみち~編集後記

 


■更新予定日:毎週木曜日

 

 

 

 

 


更新日2007/06/14


学生の頃から落語は趣味のひとつだったのだが、最近、iPodを持ち歩くようになってから通勤の電車の中やドライブ中によく聴くようになっている。もちろん寄席にでかけるのが一番だが、耳だけでそのしぐさや表情を想像しながら聴く落語というのもなかなかオツなものであることが分かった。落語は一度聴き出すと、もっとその人の傑作を聴きたくなるもので、ちょっとしたコレクションになってしまった。ただ一点、iPodには問題点がある。ドライブ中には問題とはならないが、通勤電車の中ではしばしば問題となる。あまりに話が面白くてニタニタしてしまったり、ついには噴出し笑いを伴うことがあるからだ。朝っぱらから、中年オヤジが電車のつり革につかまり、ニタニタしていたらこれは変態と勘違いされても文句は言えないではないか。極力平静を装ってはいるものの、感極まって噴出してしまうこともあり、先日も若いOLたちから奇異の目でにらまれた。また、同じようにイヤホンの中年オヤジがへらへら顔で口を半開きで聞き入っている姿を目撃してしまい、自分の姿とダブりちょっと反省した次第である。最近の私のお気に入りは、「立川志の輔」である。さすが大天才・立川談志の弟子だけある。話への引き込み方が実にうまい。この人も立川流なので、通常の寄席では聴けないのが残念である。ぜひ一度独演会をじっくり聴きたいものである。これまでは今はなき「古今亭志ん朝」の落語が一番うまい(声もイイ)のではないかと思っていたが、現役の「志の輔」も実にイイことを発見した。西の天才「桂枝雀」もその畳み込むうような展開の速い話芸の凄さを感じるのだが、どうも芸を極めると早死にするのか、落語家は短命の人が多いようだ。日本固有の芸能として、歌舞伎、能、狂言とあるが、動きの少ない座芸で言葉だけで表現する落語だけは、なかなか外国人にそのよさを理解してもらうのが難しい芸能かもしれない。反対に、日本人よりも日本のことを知っている日本カブレの外国人がいるが、彼らが落語の面白さを本当に分かるのであれば、本物の日本通と認定してあげたいものである。落語ではよく「間(ま)」のことが言われるが、「笑い」は「間」から発生することが落語を耳だけで聞いているとよく分かる。同じ古典のネタ話をさまざまな落語家が繰り返し演じてきていて、なぜ飽きないで聴いていられるかと言えば、この「間」がそれぞれ違っていて、いかようにも演出が可能になっているから、同じ話を聴いても楽しめるのだ。話し手の独特の「間」に引き込まれ一体化した聴衆の「笑い」がさらに相乗効果となり、寄席全体が生き物のように共鳴(バイブレーション)する瞬間が落語における「カタルシス」なのである。また、寄席通いをしたくなってきた。この日本特有の庶民芸能をこれからも若い芸人で伝承し続けて欲しいものである。(

 

 

 


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