■よりみち~編集後記

 


■更新予定日:毎週木曜日

 

 

 

 

 


更新日2008/08/14


最近、寝不足の毎日が続いている。北京オリンピックが始まっているからなのだが、TV中継が多いこともそれに拍車をかけているようだ。めったに観ることがないスポーツ、たとえば、バドミントンやフェンシングなど、観始めると途中で止められなくなるのだ。やはり勝敗が気になるし、世界の一流プレイヤー同士が4年間の集大成をこの試合に集中してくるわけだから、面白くないはずがない。勝者と敗者の天国と地獄の世界が試合の一瞬に生まれるのだから、思わず感情移入していまい、深夜一人でガッツポーズしてしまったり、がっくり落ち込んだりしてしまうのだ。4年間の血のにじむような練習を繰り返し、やっと掴んだオリンピックゲームの出場、そして一瞬にして決まる勝敗。スポーツは精神的にタフでなければ続けられないことがよく分かる。ストイックに自分を追い詰め、鍛えあげ、自分の限界に勝利した者でなければメダルは取れないのだ。超人・北島はその意味で「すごい」としか言いようがない。金メダル2冠を2大会連続で公言して獲ってしまった。コーチが言っていたように、単なる天才というだけではなく、彼のすごいところは努力する天才だからなし得た栄冠なのだろう。 オリンピックの色々な種目を観ていて、いつのまにかルールが変わっている種目が結構あることに気づいた。スポーツが近代化している(スピード化なのだろうか)ためか、球技ではサーブ権という方式がなくなっている。確かに試合時間が短縮され、観る者にはよいとは思うのだが、サーブする側のアドバンテージがなく、ミスが命取りになるケースが多く、試合の終盤の駆け引きがなくなった感じがして物足りなさもある。でも、今さらサーブ権を復活させたら間延びした感じがするだろうし、時代の流れということでしょうがないのかもしれない。あれこのルールおかしいぞというものもある。フェンシングなどはその典型で、すべて電気信号による判定に変わっており、剣先が相手の有効面に触れ、ランプがつくシステムで、それならばすべてビデオと電気信号だけだ判定すればよいと思うのだが、やはり昔ながらの主審・副審が目視で判定をしている。当然、審判に不服が出るわけで、一試合3回まではスロービデオでの審判を申請できるというような具合なのだ。機械の不具合や主審に対する不満が出ていることは確かだ。まだ今後もルールが改善されていく種目なのかもしれない。一番腹立たしい種目はやはり柔道である。今始まったことではないのだが、柔道にポイント制が導入されてから柔道自体の技が変わってしまったようだ。かつて多少は柔道をかじったことがある者にとって、最近の国際試合は、これが柔道なの? とはてなマークだらけになってしまう。いつのまにか柔道がフリースタイルのレスリングになってしまった感じがするのだ。選手が試合相手に集中していないことは明白で、審判の目や試合時間のことばかり気にしていて、ポイントをとるための姑息な駆け引き(たとえば、相手に「指導」がくるように振舞うとか、ポイントを守るために技をかけずに、逃げ回っているようには見えないように時間を使うなど)ばかりが目につき、これで本当に柔道を愛している人が黙っているのか不思議でならないのだ。柔道の精神論を言っても始まらないのだろうが、なぜ柔道が世界中で愛されているのかと言えば、礼に始まり礼に終わるとか、正々堂々闘うとか、古来の柔道の心が支持されているからだと思っているのだが、ポイントを獲るために相手のミスを誘う手法やレスリングまがいの技ばかりの試合を見せられると、そろそろ日本は国際柔道連盟を脱退して、古来の日本柔道を守るために新たな国際連盟を模索してもよいのではないかとまで考えてしまう。これは日本が国際試合に勝てなくなったからではなく、柔道というスポーツが観ていて全然面白くないからだ。要はきれいな一本勝ちの試合が見たいだけなのだが…。(

 

 

 

 


■猫ギャラリー ITO JUNKO