■よりみち~編集後記

 

■更新予定日:毎週木曜日

更新日2002/08/22

世の子供たちの夏休みもそろそろ終わり。この時期になるといつも思い出すのが、自由研究だ。あれは、忘れもしない小学校1年生の初めての自由研究、何をやろうか悩む私に母が、「“自由”研究なんだから、やるのもやらないのも“自由”なんじゃないの?」と言い放った。今思えばすンごい強引な解釈なのだが、その言葉を真に受け、夏休み中を遊びほうけて過ごし、手ぶらでたりらりら~んと鼻歌まじりで登校した2学期の始業式。当然そんな阿呆な子供は私だけだった…。半ベソで帰ってきた私を連れて野っ原へ向かう母、そしてひらめく。この雑草で草木染めをやろう! と。かくして小学校1年生にしては渋~い草木染めのハンカチーフ、これが私の初めての自由研究となった。さて、今どきの子供はどんなことに取り組むのかしら? (瀬尾


先日、上野の国立科学博物館へ行ってきた。お子様たちの夏休みの自由研究(と思う)の熱気の中で、宇宙服の素材を触らせてもらい、構造や機能を教えてもらった。展示物の説明をしていた、少なくとも私より若い女の子が、「いつか、これを着て宇宙にいけるといいですね~」とさわやかな笑顔で言っていた。アイドルでも、宇宙へ行く時代。SF小説だけじゃなく、一部の大富豪だけでなく、いつか、宇宙に住んだりする時代が来るんだろうか。行ってみたいな、よその星。(西岡


最近、映画がかなり変わってきたように思える。すでに巷ではデジタル映画館もできているようだ。まだ実際には観たことはないが、デジタルプロジェクターも進化して、フィルムとほとんど変わらないらしい。フィルムがここでも消えそうだ。そしてもう一つの大変革がコンピュータ・グラフィック(CG)だ。最近の作品でCGを使っていない映画を探す方が難しいほど、すでに映画に欠かせない技術となっている。映画ファンとしては、当初CG技術のすごさに舌を巻いた。これは映画がますます面白くなると思っていた。リアルすぎるほどの映像、気づかないところまでCGが入り込み、ほとんど実写とCGの区別がつかなくなりつつある。ところが、いざこのCG全盛時代を迎えてみると、素直に喜べない自分がいることに気付いた。先日、封切り前のジョン・ウー監督の「ウインドトーカーズ」というニコラス・ケイジ主演の戦争映画(サイパン上陸作戦で敵役は日本人なのでとても複雑な気持ち)を観た。戦争映画が好きな訳ではないが、中国人監督の描くハリウッドの戦争映画がどんな絵になるのか、そして140億円とかいう制作費の超大作がどんなものか興味があった。確かに文句のつけようのない大迫力映像、超リアルなサウンド、まさに戦場に自分がいるような感覚を味わえることは間違いないし、すごいお金をかけた映画だということは分かる。戦争映画が大好きな人には絶賛されるはずだ。でも、映像を観ながら、どこからどこまでがCGなのだろうという見方をしてしまうのだ。どうせCGなのだからという感覚は、映画そのものへの問いかけでもある。映画はウソなんだからと醒めてしまっては、もう映画の世界には入り込めないし、映画を観る価値も揺らいでしまう。結局、ジェットコースター的な疑似体験装置としての映画と思えてしまう。それが好きという人も確かにいるし、全編CGでそこに実写が挿入されているような「スターウォーズ」的なものはアニメと考えると納得できる。でも、観終わって後に残るものは…、などと考えること自体が旧世代なのだろうか。ちなみに私はジェットコースターがあまり好きではない。ドラキュラ映画を除くホラー映画と同様、何故にお金を払ってまで怖がりたいのかと思うのだが…。(越谷