■よりみち~編集後記

 


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更新日2006/09/14


2001年9月11日(火)から5年が過ぎた。誰もがテレビに釘づけになったあのアメリカ同時多発テロ事件である。世界中にライブ中継されたテロはショッキングだった。いろんなことを本気で考えさせられた事件だった。まず思ったのは、この事件の前と後で時代が変わるほど世界が大きく変貌するということだった。そして、ひょっとすると第三次世界大戦が勃発するかもしれないと思った。確かに、あれからテロが続発し、より過激で危険な思想が一人歩きしている感じがするし、軍事超大国アメリカが威信がどんどんと低下し、無能なブッシュが浮き彫りになり、もうアメリカの一人勝ちを許すような流れは起きないし、世界のパラダイムが確実に変化したと思う。第三次世界大戦の心配は、イラクのフセイン大統領がアメリカが分析していたほど頭脳にも人望にも軍事力にも恵まれていなかったようで、あっさりとそれほどの抵抗も見せずに、捕まえられたので、恐れていた大戦争にまで発展はしなかったのだが、アメリカや日本が分析していた以上に過激で好戦的なフセインであったなら、保有していたかもしれない核のボタンが押されていた可能性が高いし、それに対応してアメリカはバクダッドを第二の広島にしていたかもしれない。歴史に「たら、れば」を加えたらきりがないのは分かるのだが、「9.11」に対するアメリカの報復的な戦闘行為は何の解決にもなっていないし、いたずらにアメリカやアメリカを支援する国々に対する反米感情を助長したにすぎない。根本的な解決などありえない話ではあるが、武力による制圧や攻撃からは何も生み出されず、かえって復讐心を芽生えさせ、はるか古代メソポタミア時代のハムラビ法典にもある「眼には眼を」の精神を引き出しているだけなのだ。ニューヨークのシンボルであったワールドトレードセンターが消えたあの日、この事件の犠牲者の遺族や仲間たちの絶望と喪失感を思うと、ぶつけどころのないテロへの復讐心をどこに向ければよいのだろうか。この5年という歳月は復讐に燃える心を少しは冷まし薄めてくれたかもしれないが、その喪失感は変わらず一生背負わざるをえないのかもしれない。ワールドトレードセンターの2本のタワーのない間が抜けたニューヨークが象徴するように、9.11を人類史上最大の汚点として語り継がなければならないだろう。(

 

 

 

 

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