■よりみち~編集後記

 


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更新日2008/10/23


久しぶりに生まれ故郷に帰郷してきた。母方の叔母が急逝したため、葬式に参列したのだ。このような儀式でもなければ帰郷する機会もなくなってしまった。北海道の日本海沿いにある米の北限と言われている羽幌(はぼろ)という町だ。その昔、鉄道も通っていたが、ずいぶん以前に廃線となり、その代わり道路はどんどんきれいに整備されていて、制限速度の60Km/hで走るのがかえって難しいほど快適な道路になっている。子供の頃、札幌まで出るのに半日がかりだったのだが、高速道路を使えば3時間弱で行けるようになった。これだけ便利になっているのに、人口はどんどんと減っていて、小学校の3年生まで過ごしたこの町も当時3万人を超えていたはずだが、今回聞いて驚いたのだが、8千人にまで減ってしまっていた。典型的な過疎の町で、若者は高校を卒業すると、ほとんど札幌や東京に出て行ってしまうと言う。
羽幌はかつては半農半漁のバランスのとれた町だった。それに加えて石炭の集積所として栄えた時期があった。私の父親も漁師の家の三男として生まれたが、石炭の販売会社に就職して、戦後の石炭の歴史とともに人生を歩んだ一人だ。北海道にはこの石炭にかかわった人が実に多かったように思える。石炭がその役割を終え、炭鉱が次々と閉山され、炭鉱の町が消え(ある日を境に消滅して廃墟の町になるわけで、夕張市などはよくがんばっている方だ)、そこに暮らしていた人々が消えるわけで、時代の流れが急に止まってしまう感じがする。父親が生まれ育った漁師の村もすっかり跡形もなく消えてしまっていて、どこに家が建っていたかさえ分らないほど荒涼とした原野に戻ってしまい、まっすぐに伸びるアスファルトの道だけが海岸線に沿って続いているだけになっていた。
母方の方は農家で、いまでも米づくりを続けていて、45歳になる従兄弟が広大な水田をほとんど一人で耕し収穫している。農業機械の進歩で、本当に一人でもやれてしまうらしい。子供の頃は部落にはかなりの農家があったのだが、ほとんど残っておらず、後継者がおらずどんどんと離農していき、そのたびに農地を引き取ることになり、今ではほとんど部落中の農地のほとんどを一人で引き受けている状態のようだ。今年は豊作だったようだが、原油高騰の煽りや輸入肥料の高騰で、全然喜んでいられないと言う。日本の農業や畜産で使う飼料や肥料のほとんどが輸入に頼っている現実を知らされた。その肥料が70%値上がりしているとかで、日本の食糧自給率の向上など今では夢物語に近い話のようだ。漁業も同様に原油高騰によりほとんど壊滅状態に近いらしく、日本一の甘エビの水揚げ量と言われる羽幌漁港だが、漁に出ても赤字になるらしく、生活のために漁師を廃業した人がかなり出ていて、農業も後継者不足という深刻な問題を抱えているが、漁業は後継者どころか廃業をどう食い止めるかという切実な問題になっているようだ。農業政策や漁業政策のシステム自体が旧態依然の状態であることも、これらの問題に拍車をかけていることが分る。結局、現場の状況を理解していない官僚たちが、昔ながらのシステムをそのまま継承しているだけで、世界的な動きや経済状況、そして食糧政策などに合致した対策や政策を考えておらず、いつの間にかすべてを輸入に頼らざるを得ない農漁業にしてしまっているのだ。田舎の現状を実際に肌で感じると、日本の未来がさらに暗く絶望的に思えてきた。官僚国家日本の解体こそが、現時点での政治的急務であることを確信した今回の帰郷だった。(

 

 


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