■よりみち~編集後記

 


■更新予定日:毎週木曜日

更新日2003/11/20


とるにたらないような「日常のできごと」も、捨てたもんじゃないなー。東京国際映画祭コンペティション部門で上映された『きょうのできごと』を観ていたらそんな風に素直に思えた。ハリウッド的派手な仕掛けやアクション、ストーリーが今は王道の映画界だけど、行定勲監督は「ささやかな日常」を描きたかったという。映画を観ている最中に、「ずーっと観ていたいからストーリーが終わってほしくない」なんて思ったのは久しぶりのこと。観客の反応も上々で、日本映画であんなに笑いが起こったり、あったかい雰囲気になる映画も珍しいんじゃないかしら? 観客の熱気は、映画後の出演者による舞台挨拶でさらにヒートアップ。妻夫木くんへの黄色い声援に、女の子のみならずおっちゃんの声も混じっていたのは、すごかったわー。恐るべし妻夫木人気。(瀬尾)


クエンティン・タランティーノ監督の映画『KILL BILL』を観た。正直言って最初から期待はしていなかった。ほとんどの評論家が評価していないし、TVの予告を観てもピンとこない。でも、タランティーノ監督のファンとしてはチェックしておきたかったのだ。最初に彼の作品を観たのは『パルプ・フィクション』(1994年、カンヌやアカデミーを受賞)で、その脚本、カメラアングル、BGM、キャスティング、どれを取っても新鮮でユニーク。これはすごい監督が現れたと思った。それに加え数多くの大スターが出演しながらも総製作費が800万ドル(友情出演が多かったとか)の超低予算で作り上げ、1億1200万ドルもの総収益を上げた。映画好きならではのユニークな発想がタランティーノ作品の特徴で、それが楽しみなのだが、今回の「KILL BILL」はがっかりだった。今までにない高額な予算にスケールアウトしてしまったのか、それとも徹底的にお遊び映画に走ってしまったのだろう。どうも後で聞くと後者のようだ。彼はインタビューで、この「KILL BILL」のことを、70年代に観た映画の記憶が詰め込まれたオトギ話だと言い切っている。私にはほんの少ししか分からなかったが、全編昔の映画のパロディで、彼が思春期にアメリカで上映されたキワモノ映画、たとえば日本の時代劇やヤクザ映画、香港のカンフー映画、60年代のマカロニ・ウェスタン、ポルノ映画など、ハリウッド映画とは対極の映画シーンを再現したとのこと。日本映画のファンだというウワサは聞いていたが、アメリカ人としてはかなりのオタクだということが、この作品でよくわかる。ストーリーの途中から日本が舞台になり、壮絶な決闘が繰り広げられるわけだが、ネイティブの日本人としては、あまりにその演出はベタで、タランティーノよお前もかというほど、B級映画的な仕上がりになっている。彼はあえてそのB級的な部分を狙っていたのだろうが、自己満足としか思えない。全部パロディで、ストーリーは気にしないで、そのパロディをみつけて大笑いする映画を狙ったようなのだが、どこがパロディなのか分からない人には“なんのこっちゃ”なのである。確かにここまで個人的な思い入れだけの映画をつくったことはすごいことだが、オタクでなければついていけない。2部作で後編がすでに準備されているようだが、期待できそうもない。「パルプ・フィクション」の強烈なイメージがあるだけに、それを超える作品をつくりつづけることは大変なことだろうが、もっと彼らしいユニークな映画が観てみたいものだ。最近、駄作映画ばかり観ていて、気持ちがよくない。日本映画の『巌流島』もひどい作品だった。上映途中で出たくなった映画も最近珍しい。主演の本木雅弘や小次郎役の西村雅彦の汚点作品とならないことを祈りたい。(