■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち


杉山淳一
(すぎやま・じゅんいち)


1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。



第1回:さよならミヤワキ先生。
第2回:17歳の地図、36歳の地図
第3回:駅は間借り人?
-都営地下鉄三田線-

第4回:名探偵の散歩道
-営団南北線・埼玉高速鉄道-

第5回:菜の花色のミニ列車
-埼玉新都市交通ニューシャトル-

第6回:ドーナツの外側
-東武野田線-

第7回:踊る猫伝説
-横浜市営地下鉄-

第8回:相模原銀河鉄道
-相模鉄道いずみの線・本線-

第9回:複々線から単線へ
-特急『りょうもう1号』・東武鉄道桐生線-

第10回:追悼と再生と
-わたらせ渓谷鉄道-

第11回:赤城山遠望
-上毛電鉄-




■連載完了コラム
感性工学的テキスト商品学
~書き言葉のマーケティング
 
[全24回] 
デジタル時事放談
~コンピュータ社会の理想と現実
 
[全15回]

■更新予定日:毎週木曜日

 
第12回:エキゾチック群馬 -東武伊勢崎線・小泉線-

更新日2003/06/26


前橋からJR両毛線で伊勢崎に向かう。上毛電鉄のシャトルバスのおかげで、予定よりも早い時刻に前橋駅に着き、1本早い電車に間に合った。先頭車両の一番前に乗って前方を眺める。両毛線の線路は気持ちよくまっすぐ伸びている。私の隣にはラテン系の男性が立ち、やはり前方を見つめている。彼はどこから来て、どこへ向かうのか。故郷の鉄道を懐かしんでいるのだろうか。

伊勢崎は東武伊勢崎線の終着駅だ。しかし東武伊勢崎線用の改札口や駅舎はなく、JR両毛線の伊勢崎駅の一部を占めている。昼時の東武伊勢崎線の電車は1時間に1本しか走らない。せっかく早い電車に乗れたというのに、伊勢崎からは予定通りとなった。小一時間ほど駅前を散歩する。広場と小さな食堂くらいしかない。成田空港行きのバスのポスターがあり、新伊勢崎から出発するとある。伊勢崎の中心地は隣の新伊勢崎駅付近のようだ。賑やかな前橋で時間を潰せばよかった。小さな店に入り、屋台で出るような焼き蕎麦を食べた。


JR両毛線の線路はまっすぐ。しかし電車はよく揺れる。

東武伊勢崎線の延長は浅草から伊勢崎まで、114.5キロメートルもある。東武鉄道は関東地方の私鉄でもっとも営業キロ数が多く、伊勢崎線はその本線だ。東武浅草駅は立派なビルだし、途中には複々線区間もあって特急列車もたくさん走る。しかし、看板特急のスペーシアなど、全列車の3分の1は途中の東武動物公園駅から日光線に行ってしまう。残り3分の1は途中駅で運転を打ち切る。だから館林から伊勢崎までは単線で列車本数は少ない。ほとんど伊勢崎線を走る特急『りょうもう』も、週末の1往復以外は桐生線に行ってしまう。本妻宅に週に一度しか帰らない浮気な旦那のようで恨めしい。伊勢崎までやってくる律儀な列車は1時間に1本だ。もっとも、複々線から単線までの多様さが長大幹線らしさだと言える。どんと構えているのだ。

6両編成の浅草行き準急に乗る。準急という列車種別は古めかしい。急行に準ずる、という意味で、かつては国鉄でも使われていた呼称だ。優等列車と言えば急行で、特急とは本当に"特別"な急行だった時代である。国鉄は昭和末期頃から特急を増発し、そのかわり急行を減らした。準ずるべき存在が無くなったので、準急も消えた。JRでは別料金が要らない速達列車を快速と呼んでいる。しかし、東武鉄道の列車種別は特急、急行、快速、準急、区間準急、通勤準急、各駅停車と7種類もあり、快速も準急もそれぞれに役割があるから、準急という名が残された。ただし、急行に準ずる区間は浅草から東武動物公園まで、そこからこの伊勢崎へは各駅に停車する。


伊勢崎駅前は静かだ。市の代表駅のはずだが……。

沿線はのどかな田園地帯である。宅地化が進んでいるようだが、ときどき豚舎や牛舎も見かける。伊勢崎は織物の産地として発展し、明治から戦前にかけて、伊勢崎銘仙の名で全国に広まった。戦後、洋装が普及するまでは流行の最先端だったという。現在の伊勢崎は群馬県有数の工業都市である。しかし車窓からは大きな建物が見えない。たぶん幹線道路沿いにあるのだろう。群馬県は自動車保有率で全国1位だと聞いたことがある。

太田で電車を降り、小泉線に乗り換える。太田駅付近は立体交差工事中で、現在の駅の隣に立派な高架駅ができつつある。駅前には完成予想図が掲げられているが、伊勢崎線も桐生線も単線のままだ。バブル時代ならこの機会に複線化したかも知れないが、少子化とモータリゼーションを考慮すると、余分な投資はできないのだろう。


太田駅は改築工事中だった。

小泉線の電車は新しい高架ホームから発車する。隣にまだ使われていない伊勢崎線用のホームがある。見渡すと、伊勢崎方面には陸橋が横たわっている。地上の線路をまたぐために作られた橋だ。このまま高架線路を伸ばせば踏み切りになってしまうところだ。実際は道路を地上に戻すに違いなく、ややこしい工事だと思う。

東武小泉線は館林と西小泉を結び、途中の東小泉から太田までの支線を持つ。カタカナの「ト」のような路線だ。東小泉行きの電車は2両編成で、新しい高架線路を誇らしげに走る。途中に竜舞という幻想的な名の駅があり、その次が東小泉だ。反対側のホームに館林行きの列車が待っていた。それを見送り、10分後の西小泉行きを待つ。

前橋を出るときから気になっていたが、乗客にはラテン系の人々が多い。家族連れも少年のグループもよくしゃべる。しかし、日本語ではない。このあたりは群馬県大泉町で、人口は約4万人。その1割以上がブラジルやペルーからの移住者だ。工業が盛んなこの地域は、人手不足を補うために南米からの移民を受け入れた。中小企業が雇用を促進するための団体を組織したという。来日した人々は日系移民の末裔が多いそうだ。さすがに若い世代には日本語が難しいらしく、大泉町の小中学校には日本語教室が設けられた。いまや太田、館林は国際都市である。商店街にはブラジル産の日用品を売る店もあるらしい。長崎、横浜、神戸など、外国人が住んだ土地は発展し、独特の文化を形成した。諸処問題もあるだろうが、陽気な人が多い土地柄だからうまくいっているのだろう。小泉線沿線も国際観光都市になるかもしれない。


東小泉駅。本線と支線の待ち時間が
短くなるように配慮されている。

つづく…