■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと

金井 和宏
(かない・かずひろ)

1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
Lis. master's voice

 


第1回:I'm a “Barman”.


■更新予定日:隔週木曜日

第2回: Save the Last Pass for Me.

更新日2003/06/05


私はラグビーが好きだ。三度の飯や酒と同じぐらいに大好きだ。実際に若い頃プレーしていたわけではないが、観戦を始めたのは高校1年生の頃なので、もう30年以上もの間、このスポーツの虜になっている。

地方都市の高校生だった私にとっては、観戦といっても専らテレビによるものだった。まだ観始めの頃、私はたまたまわが家を訪れていた父方の祖父と二人で、炬燵にあたりテレビを見ていたとき、ちょうどラグビー中継が始まった。

この祖父はもうとうの昔に亡くなったが、当時はたいへん厳格な人で、私は常にいつ怒られるかとビクビクしていたので、この時も、テレビを消すかチャンネルを変えるかの命令があるのではないかと、気が気ではなかった。

雨でグラウンドがぬかるんでいる中の試合で、両チームのジャージが泥にまみれ、敵か味方の判別もつきにくい状況で、選手たちはすごい形相でボールを追っていた。中には顔も泥だらけで、充血した目だけがクッキリと見えているという選手もいた。

「人間のやることじゃねえな」。
祖父はぽつりと呟いたが、言葉とはうらはらに、視線は動くことなくテレビに向けられている。

私たちは、時々「あっ」とか、「おお」などと声を上げながら、ノー・サイドの笛が吹かれるまで見続けた。いつも気難しかった祖父と、初めてお互いの時間を共有することができたような気がして、その時はとて嬉しかったことを憶えている。

今、ゆっくりと思い返してみると、あれは1972年1月の日本選手権「三菱自工京都 対 早稲田大学」の試合だったのではないかと思う。堀口選手の劇的な逆転のトライ(相手チームのインゴールにボールを持ち込むなどして、地面に押さえ込むこと)で、早稲田が2年連続の日本一(社会人を倒して)になった試合だ。当時痩せっぽっちで、脆弱な身体だった私は、小さく華奢な身体ながら大男たちのチームに勝ち続ける早稲田ラグビーのファンで、それは今でも続いている。

その頃から長い年月が経ち、7年前に私は小学1年生だった息子を地元のラグビースクール(野球の世界でいうと少年野球チームのようなもの)に入れたのがきっかけで、その子どもたちの父親が作っているチームに誘われるまま入部した。41歳になるひと月前のことだ。その歳になって生まれて初めてラグビーのスパイク・シューズを履いた。

そのチームのメンバーのほとんどが40歳を越えていたが、私のようなど素人もいれば、学生時代、早慶明などの大学で選手として活躍していた人も多くいる。なかには元日本代表だった人もいて、40歳以上同士のチームと対戦するときはかなり強い。20歳代、30歳代が中心のチームとの試合でも、気迫が上回り勝ってしまうこともあるのだ。

そんななかで、足が極端に遅く、タックルに行くのもおそるおそるの私も、ちゃんと平等に試合には出してもらっていた。ただ、私のプレーの拙さでは当然といえば当然のことなのだが、今までの試合でトライを獲ったことがない。

一度でいいからトライを獲ってみたい。私はこんな光景を思い描く。抜けるような青空の下、眩しい緑一面の芝生の上、敵陣深く攻め入ったところで、私は右側のボールを持った選手に大声で声を掛ける。
「左だ!」。
その瞬間、放たれたラスト・パスは私の胸の中にすっぽりと収まる。トイメンには、相手チームのフル・バックが今まさにタックルに入ろうとして待ちかまえる。それを瞬時にステップを切って抜き去り、ゴー ルラインを駆け抜け、インゴールに身を沈める。

その時、私は芝草を噛むことだろう。その味は、今まで何度となくタックルされたり、突っ込んでいって倒れたときに味わった草や土の味とはまったく違って、甘く香しいものに違いない。

現実的には、ここ2年以上、身辺が忙しかったり、自転車事故で鎖骨を折ったりして練習にも顔を出していない。いつも気遣ってくれ、何か寄り合いのあるときなどは今でも私の店を使ってくれている仲間に対して、心苦しく思っている。そんな状態なので、インゴールの草を味あうことなどは飽くまで夢想に終わりそうで、はなはだ残念だ。

私のスコットランドとの出会いも、実は、やはりラグビーからきている。1989年5月28日、日本代表は遠征してきたスコットランドを迎え、秩父宮ラグビー場で対戦し、苦しい試合を凌ぎきって「28-24」で勝利したのだ。あの悲しい天安門事件の、ちょうど一週間前のことだった。

当時、英国・アイルランド連合軍(The British & Irish Lions)の豪州遠征を控え、主力選手の多くが抜けていたスコットランドとはいえ、当時で90年を数える日本の長いラグビー史の中でもIRB理事国(国際ラグビー協議会;International Rugby Football Board;1890年、イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドの4ユニオンで発足。後にニュージーランド、オーストラリア、南アフリカ、フランスが入り、現在この8ユニオンが理事国で、実力も他の国々からは抜きん出ている。日本は22ある準理事国のひとつ。加盟国は94)に勝ったのは初めてのことだった。日本中のラグビー・ファンがまさに驚喜した。

私も大変嬉しかった。この時はテレビ観戦だったが、勝利の瞬間、両手を大きく突き上げ、雄叫びを上げたほどだ。その後飲み干したビールは実に旨かった。けれども、「スコットランドの選手は本国に帰るのは辛いだろうな」という思いが、なぜか私の中で引っかかっていた。それとともに、濃紺で美しいジャージの印象がいつまでも鮮やかに心の奥に残った。

その日から、私はスコットランド・ラグビーに、そしてスコットランドという国自体に、徐々に強い興味を持つことになる。巡り巡って、今、バーを経営しているのも、元を辿れば、この試合を観たことが契機となっているのだ。

 

 

第3回:Chim chim cherry.

 
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