■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと

金井 和宏
(かない・かずひろ)

1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
Lis. master's voice

 


第1回:I'm a “Barman”.
第2回: Save the Last Pass for Me.


■更新予定日:隔週木曜日

第3回:Chim chim cherry.

更新日2003/06/19


今回の更新日の6月19日は、桜桃忌にあたる。昭和23年6月13日深更、作家太宰治が一人の女性とともに玉川上水に入水自殺し、遺体が発見されたのが6月19日の早朝で、この日は奇しくも彼の39歳の誕生日だった。

翌昭和24年の同日に、彼の墓のある三鷹の禅林寺に、生前親交のあるものが偲ぶ集まりを持ち、その時「桜桃忌」と名付けられその後今日まで続いていて、今では俳句の夏の季語にもなっている。今年で、もう55回目を数えるようだ。

最近は、まったく行かなくなったが、私も上京してから5回ぐらいは足繁く通ったことがある。まだ十代から二十代の初めの頃で、それなりに多感だった頃だ。桜桃忌に行くといっても、偲ぶ会の方に出席したことは一度もなく、ただ墓参りをして帰ってくるだけだったが、若気の至りということなのか、毎年いろいろなことがあった。

ある年は、墓前で酒に酔いながら、サクランボを頬張っては種を吐き散らかしている下品極まりない自称「文芸評論家」と出会した。そして、墓参に来ているセーラー服の女生徒に「君も太宰に抱かれたかったんだろう?」としつこくからみだしたことから、私と喧嘩になった。喧嘩は弱いくせに、アドレナリンが吹き出てくるのを押さえきれなかったのだ。

その時はまわりが必死に止めに入ってくれた。その中で「あなた、太宰さんの前で情けないことしちゃいけませんよ。」ひとりの老婦人が、文芸評論家に向かって、真顔で諭すように言った。彼はばつが悪いようにソッポを向いていたが、私は、婦人の穏やかな口調になんだか救われた気がした。

稚拙な恋の成り行きで、吉祥寺の安宿に泊まった翌朝、ある少女と一緒に寺に歩いて行った年もあった。彼女は、なぜか墓前でたださめざめと泣いていた。太宰のファンであったかどうかは、よく憶えていない。彼女は、ときどき「ごめんね、ごめんね」と言っていたが、帰りに三鷹駅に向かう道中も、ずっと涙を流していた。その時は、中央線の途中駅で私が先に降りて別れたが、今考えてみると、その後彼女にあった記 憶がない。

またある年は、墓参の後、寺の近くにある六十代くらいの女主人がひとりで経営している喫茶店に、はじめて入った。私は、その時コーヒー代しか持ち合わせがなかった。味の良いコーヒーをいただいていると、彼女の方から少しずつ話しかけてきてくれた。どういうわけかお互いとてもウマがあって、そのうちにビールや、自家製のカレーライス(これがとびきり旨かった)までご馳走になり、夜を徹して始発電車の時刻まで二人で延々と語り続けた。いただいたものの味は憶えていても、何の話をしたかは、残念なことにまったく忘れてしまった。いい加減なものだ。

私が太宰治を読み出したのは高校の終わりの頃のことで、尊敬する男の教師の一言からだった。その方は私の高校の時の日本史の教諭だったが、直接教わることはなかった。演劇部の顧問をされていたので、演劇部員だった私の友人を通じて知り合うことができたのだと思う。ご自分で戯曲や小説を書かれていて、何作か読ませていただいたが、心に染みる作品がいくつかあって、私はその先生に憧れていた。

ある日、先生の自宅に遊びに行く機会に恵まれた。夥しい数の本の重さに、今にも床が抜けそうな狭いアパートだった。彼はその時おそらく三十代半ばで、独り身だった。本棚のなかから文学全集を見つけた私は、無遠慮にも「大岡昇平はどう思います?」「川端は?」などと、はじから作家についてのコメントを求めていった。先生はいやな顔をされずに、次々と簡潔にご自分の感想を述べられた。

そのうち太宰治の番になったが、私は当時作品を読んでいないにも拘わらず、彼の女々しいイメージが大嫌いで、勝手に先生も嫌っておられると思いこみ、彼をとばして次の作者の名を読んだ。すると先生は
「あれ、K君、今太宰を忘れなかった?」と聞かれてきた。
「だって、先生この人嫌いでしょう、軟弱だから。」こちらからそう聞き返すと
「どうしてそう思うの?太宰治は、僕が一番好きな作家だよ。」
穏やかに、しかしはっきりとそう答えられた。

私は、かなりのショックを受けた。私が一番好きな先生に、私の一番嫌いな作家を、一番好きだと言われた。本当は、一体どんな作家なのだろう。その後しばらくしてから、私は文庫を全部揃え、すぐ飽き足らなくなって筑摩書房の『太宰治全集』を購入し、ものすごいスピードで彼の作品を読んだ。全作品を読み終えたとき、私はこの作家の天性の才能に、完全に魅せられていた。

太宰治の作品に夢中になるのは、青春時代のいわば麻疹のようなものだという人がいる。確かにそういう側面もあることは否定できないが、それは彼の作品の魅力のほんの一部を表すことであって、けして全体ではない。私などは、今でも読み返すたびに新しい面白さが発見できて、何回もうなってしまう。精進を重ね、一生かかって努力をしても、彼のような小説は書けない。悲しいことに一行だって書けはしないのだ。

はじめは、太宰治と親交がある人々だけの催しであった桜桃忌も、何十周年という節目の年などは千人を超える人が集まる、大きなイベントの様相を呈してきた。生前太宰治の才能を高く評価していた吉行淳之介は、「桜桃忌に行くような連中は、本当の太宰の読者じゃない」と発言して、お祭りごとに転じていきそうな桜桃忌のあり方を牽制した。

吉行の言葉にそのまま同調するのではないが、私ももう桜桃忌に禅林寺にまで足を運ぼうとは思わない。バーマンとして、この日はチェリー・ブランデーの入ったカクテルでも作ってお客さんに提供したりすればカッコいいのだろうが、あいにくそういう柄ではない。せめて、行きつけの果物屋さんからサクランボを少し買ってきて、小皿に盛ってカウンターの隅に置いておくことにしよう。

 

 

第4回:Smoke Doesn't Get in My Eyes.

 
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