■ダンス・ウィズ・キッズ~親として育つために私が考えたこと

井上 香
(いのうえ・かおり)


神戸生まれ。大阪のベッドタウン育ち。シンガポール、ニューヨーク、サンフランシスコ郊外シリコンバレーと流れて、湘南の地にやっと落ち着く。人間2女、犬1雄の母。モットーは「充実した楽しい人生をのうのうと生きよう」!


第19回:映画ではない本当のアメリカって…

更新日2001/08/14 

プレイグループの友だちを通して少しずつわかり始めたアメリカは、それまで私のなかにあったアメリカ、あるいはアメリカ人像とはずいぶん違うものだった。

ニューヨークにいたときは、子どもがいないせいで、知り合った人も独身だったり、子どもがいない人がわりと多く、「家族観」や「子育ての方針」を話すことはなかった。どちらかというと、私も含めて自分の夢や自分自身の人生をどう生きていくか、という方に重点があったように思う。そして、そのマンハッタンという土地柄もあって「もちろん結婚してからだってバリバリ働くわよ」というのが普通であるような感じさえした。

カリフォルニアに来て知り合った人は、みんな子育ての真っ最中であったり、子育てが終わって今は孫の面倒を見るのが楽しみという、「家族」が生活の中心である。結婚する前や子どもができる前は働いていたけれども、今は専業主婦という人ばかりだ。

そして、わかったことは、私のなかにあった「アメリカ・アメリカ人像」はマスメディアや、あるいはハリウッド映画やアメリカのテレビ番組によって作られたものにすぎなかったんだな、ということだ。当然、マスメディアや映画のなかでは、普通の人の日常生活というものは登場しない。たとえ普通の人が主人公であっても、その人の人生においても特筆すべき出来事を描いたものが多い。そのことは日本のテレビでやっているドラマが、私たちの日常生活とはたいていかけ離れたものであるということを考えればすぐにわかることなのだけれども、外国のこととなるとつい「あっちでは、こうなんだ」と思わせる妙な説得力(あるいはこちらの無知)があって、なんとなくそう勝手に思いこんでいたことは否定できない。

私が住んでいた地域はホワイトカラーの人がほとんどで、かなり裕福な人も多かった。だから、保守的な考え方の人も多いのであろうけれども、「民主主義」の「自由な気風」のアメリカ、という先入観を持っていた私にとっては「なんだ、全然私たちと変わらないんじゃない」という新鮮な驚きがあった。

前回のコラムで書いた離婚の話にしても、「普通のアメリカ人」にとって、離婚はあってはならないもの、あるとしてもよっぽどの理由がなければ起こらないことなのだ。また、少なくとも子どもが小さい間は、母親が家にいて子育てをするということが「望ましいこと」と思っている人が多いという印象も受けた。

公園や買い物の途中で会話を交わした人に「働いてはいない。Stay-at-home-motherだ」と言うと、何度か「うらやましいわね」と言われたことさえある。もっとも私の場合は、ビザの関係上、たとえ働きたくてもアメリカでは働けないのであるが、「アメリカでは働くお母さんは当たり前だ」という私の先入観はここでもまたひっくり返されたのだった。

 

→ 第20回:子どもの将来に何を望むか