第408回:合法化が進む同性結婚
大学の先生たちが集まり、内輪の結婚祝いパーティーをしました。二組のカップルの結婚祝いで、英文学の先生個人の家に集まり、シャンパンとケーキだけの極々カジュアルなパーティーでした。
主催した英文学の先生、いつも仲間内のパーティーでは服装に至って気を使わない教授連がたくさんいることを心配して、一応、"Spiffy"(フォーマルまでいかなくても、小ぎれい)な服装で来てください…と条件を付けたメールを送ってきました。
教授たちの制服である、洗いざらしのジーンズにTシャツやどうにか襟が付いているだけのヨレヨレのカッターシャツ、そしていかにも臭いそうな履きつぶした運動靴、そんな典型的な教授スタイルではなくて、普通の格好でということです。
"Spiffy"という服装の条件を見たウチのダンナさん、4年前に死んだ私の叔父さんのお下がり、それに義理のお姉さんの隣人(彼も3、4年前に亡くなりましたが)からのお下がりを引っ張り出しましたが、それが絵に描いたような1960年代のオッサン・ファッションなのです。そんな格好でマイクを持たせたら、飛び出してくる歌は思い入れを込めすぎた『マイ・ウェイ』しかありません。ヤレヤレ。と言っても、私も決してファショナブルではありませんので、偉そうなことは言えませんが…。
さて、パーティーに集まった先生たちと同伴者は合わせて50~60人にもなりました。さすが"Spiffy"という一項が効果を発揮し、ジーンズ、ティーシャツ姿の人はいませんでした。背広、ジャケットにネクタイの先生が二人もいたくらいです。英文学のビルはタキシードでしたが、これは息子がジャズバンドに入っており、演奏会用にあつらえたモノで、いかにも窮屈そうでした。女性の先生たちも、ここぞとばかり着飾ってきました。ちょっと止めたほうがいいんじゃない…と思わせるほどの激ミニで、お相撲さんほど太いフトモモを露出している(若くはない)先生もいました。
このパーティーの目的は二組の同性愛主義者の成婚祝いでした。コロラドでも合法的に同じ性の人が去年から結婚できるようになり、無事に婚姻届を出し、"フウフ"として認められたのです。
アメリカ国内で先鞭をつけたのは、いつものことですが、カルフォルニア州などの太平洋岸の州で、長い間ゲイやレスビアンの人たちが権利を主張し、裁判で面倒な法的手続きの末、同性結婚の権利を勝ち取ったのです。今では19州で同性結婚が合法化し、2年後にはアメリカ50州すべてで認められる見通しです。
パーティーの主賓の一組は女性同士で、もう20数年一緒に夫婦同然に暮らしているカップルです。二人とも50歳くらいかしら、ロビンは英文学、主に女性の文学者の専門で、パートナーのメンディーは建築家です。もう一組は男性で、コリンは創作、詩、特にゲイ文学者バイロンの専門で、パートナーは救急車の医療スタッフです。
大学に特別ゲイやレスビアンが多いわけではないでしょうけど、他にも同性で長年暮らしているカップルが4、5組はいます。離婚率の高いアメリカでは、これらの同性同士のカップルの方がはるかに長期持続型同棲を実行しているように見受けられます。
私の大学にはいろいろなグループ、協会、クラブがあります。アニメ愛好クラブ、少数民族協会、ヒスパニック協会、黒人連合組合などなどですが、ゲイとレスビアンの協会もあり、大学の認可を受けてスポンサーの先生も付き、活発に活躍しています。
ゲイ、レスビアンには法律の問題がたくさん絡んできます。合法的に結婚できなかった数年前まで、いくら長年同棲していても、税金の控除もなく、健康保険で被保護者扱いにもならず、遺産の相続権もない状態でした。
今では、異性の既婚者と同じ権利をゲイ、レスビアン同士が結婚し、得ることができるようになりました。しかし、ゲイのカップルが養子をもらう権利など、ゲイのエルトン・ジョンが養子をもらい育てていることに対する批判があったように、確立してない分野、問題も残されています。
法律的には認められても、すぐに偏見がなくなるわけではありません。とりわけ、この田舎町に多い保守的、宗教的な人たちはゲイ、レズビアンの人たちを自然摂理に叛くとか、神の道から外れるとして、白い目で見ています。
4、5年前のことになりますが、全くの偶然から、今回同性結婚したカップルの採用試験、面接を私がすることになりました。女性文学専門のロビンも、創作のコリンも、他の応募者に比べ群を抜いて優れていました。面接での受け答え、その準備、デモンストレーションの授業でも、生徒さんの集中を削がずに次々と注意を引き付け、こんな先生がウチの大学にきてくれるなら、生徒さんにとっても、大学にとっても、素晴らしいことだと信じていたところ、採用に反対する先生がいたのです。
主に保守的な学長の意向を気にして、学内にゲイ、レスビアンが多くなり、巣窟になることを心配する先生がいたのには驚きでした。私たちの大学にゲイ、レスビアンの先生が多くなると、自分の娘、息子が影響を受ける可能性があるとして、生徒さんを入学させてこなくなる…と言うのです。世の中には現状を変えたくないどうしようもない保守が身に染み付いている人がいるものだ…と逆に感心しました。
私にしては珍しく、強硬にこの二人を押しました。そのせいでもないでしょうけど、無事に二人とも採用されました。
彼らはある意味でのパイオニアです。ゲイ、レスビアンの人たちが地元社会に自然に受け入れられるための第一歩を彼らが踏み出してくれたと思います。
肌の色が違う、旧敵国人であったウチのダンナさんとの婚姻届は、異民族間の結婚が州法で許されるようになって数年後のことで(合衆国政府が異なる人種の結婚を禁ずるのは違憲であると宣言したはなんと1967年のことです)、50年前、私の育ったミズーリー州では異なる民族間の結婚、言ってみれば肌の色の違う人同士の結婚が法的に許されなかったのです。今では別世界、遠い昔のことのように思えます。
パーティーは、シャンパン(本物ではありませんが…)で乾杯し、幾人かの先生が、このゲイ、 レスビアンの成婚を祝う自作の詩を詠み、和やかなお祝いとなりました。二組のカップルがよく今まで偏見の中で生き続けてきたことに素直に感動しました。これからもお幸せにと思わずにはいられませんでした。
追記:
これから同性の結婚がどこの州でも認められるようになるだろう…と希望的観測を述べたところ、なんと、反動的な動きが強くなってきました。インディアナ州では『宗教の自由を取り戻す法案』(RFRA;Religious
Freedom Restoration Act)が通り、それに続く州も出てくる気配なのです。"宗教の自由"とはもっともらしく、また当然のことのように聞こえますが、自分の信ずる宗教の戒律を守る自由を他の人にも押し付ける自由?で、ゲイ、レスビアンでは彼らが経営するレストランで食事を提供しない権利、結婚式場、教会も使用させない権利を保証するという、時代錯誤の法案が保守的なクリスチャンと極右な一部の共和党が後押しして広がりそうなのです。まだまだ、これからも同性愛主義者の人々は厳しい道を歩かなければならないようです。
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