■グレートプレーンズのそよ風 ~アメリカ中西部今昔物語


Grace Joy
(グレース・ジョイ)




中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。



第1回:ウイルカーおじさん その1

■更新予定日:毎週木曜日


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第2回:ウイルカーおじさん その2

更新日2006/03/09


私の最初の記憶は、馬車に乗せられ、トウモロコシ畑をユラユラと移動しているものです。荷馬車の中にしつらえられたベビークレードルのようなものに寝かされているのです。秋の収穫期でしょう、お祖父さんと父、それにウイルカーおじさんがトウモロコシをもぎ、馬に引かせた高い横板のついた荷車にぽんぽんと乾いたトウモロコシを投げ入れているのですが、そのトウモロコシが荷馬車に当たる音、2頭立ての馬にウイルカーおじさんが低い声で"ホー、ホー"これはストップの意味、 歯の奥を鳴らすように"チッツ、チッチッ"と前進の合図を送るのを聞きながら、強い秋の日差しを避けるためにかけられたシーツか何か布の天蓋の上をトウモロコシの影が飛び交うのを、そして掛け声とともに馬が移動するのを、思い出すことができるのです。3人とも投球コントロールが余ほど良かったのしょう、よくトウモロコシが私に当たらなかったものです。

記憶の中では時間の観念が入れ替わったり、混乱したりするものですが、ウイルカーおじさんの別の一面を見たのは、私が3歳になった頃だと思います。

当時いた馬が年老いて耕作馬として役に立たなくなってきたのでしょう。お祖父さんとウイルカーおじさんは連れ立って村のステートフェアに出かけ2頭の馬を買ってきました。なんでも、隣の村のスティーブンスさんのところでもてあましていた、性格も乱暴で訓練のできていない、性悪だと評判の、誰も欲しがらない馬を、たいそう安い値段で譲ってもらったようです。この2頭を買うときお祖父さんはためらったようですが、ウイルカーおじさんは強く勧めたそうです。

父とお祖父さんが轡(くつわ)をしっかりと握って、暴れる馬を抑えている間に、ウイルカーおじさんが新しく連れてきた馬に耕作用のハーネスと鞍を置くのを、私と母は柵の外で見ていました。新しい馬が2頭もこの小さな農場に来るのはたいそう大きな出来事だったのです。馬はハーネスから逃れようともがき、暴れ、くつわを抑えているお祖父さんも父もはね飛ばされそうになり、見ていてとても恐ろしい程でした。ウイルカーおじさんはくつわを噛ませたり、耕作用の鞍を締めたりしながら、馬に静かな声で話しかけていました。

散々手こずってから馬具の準備が終わり、大きなニつの車輪が付いた荷馬車が繋がれ、御者の台に上ったウイルカーおじさんが、くつわを抑えている父とお祖父さんに手を放すよう合図しました。馬はもがき、くつわを口から吐き出そうと首を激しく振りながら、脱兎のごとく狂ったように走り出したのです。私はウイルカーおじさんが馬車から振り落とされるのではないかととても心配でした。2頭の馬は飛び跳ねるように暴れながら小麦畑の向こうに消えていきました。

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お祖父さんと2頭の馬。
このように2頭をチームとして使います。
白い方のは”スノー”、黒いのは”タール”と
まるで日本の犬の名前、シロ、ポチみたいに
ユニークならざる名前を付けられていました。

間もなく、向こうから土ホコリを巻き上げながらウイルカーおじさんが乗った2頭立ての荷馬車が空中分解せんばかりに飛び跳ねがら近づいてきました。牧草畑を巻くように走っている農道を一周してきたのです。お祖父さんの農場は小さなもので森や小川、池を含めても120エーカー(1エーカー=約1200坪、14万4,000坪)しかありません。もちろん、こんなことはズーッと後になって知ったことですが。ですから一周といってもたいした距離ではないはずです。その一周だけで馬は汗をビッショリとかき、スピードはかなり落ちていましたが、まくれ上った口と火のように怒りに燃えた目は変わっていませんでした。

ウイルカーおじさんは手綱を緩めずそのまま馬を走らせまた遠ざかっていきました。そんな風に何周か荷馬車を引かせ、さすがに馬が疲れ切って、息が上り、首が垂れてきてギャロップからノロノロとした歩行に移ろうとしても、ウイルカーおじさんはそれを許さず、あくまで走らせます。

常に、静かなやさしい髭のおじさんだと思っていたのが、この時は馬が可哀想になったほど厳しく自分の意思に従わせようとしたのです。それは私にとってウイルカーおじさんのまったく新しい側面でした。

ウイルカーおじさんは馬を御しながらも声を荒げることもなく、しかし毅然と自分の意思を馬に分からせることができるのでしょう。いよいよ馬が疲れきって動けなくなると手綱を引き馬を止め、馬に息をつかせ、また鞭をくれ、ギャロップで駈けさせるのでした。馬の歩みが遅くなると一旦休ませ、それからまたギャロップで駈けさせることを繰り返し、いよいよ馬がもうギャロップする体力がなくなったとみると、ただ歩かせては止まり、また歩かせては止まることを際限なく繰り返すのです。そのとき手綱を引くと同時にストップの掛け声"ホー、ホー"、そしてゴーの掛け声である歯の奥で息を吸うように鳴らす"チッ、チッツ"という合図をかけるのです。そうこうするうちに、おじさんが手綱から手を離し、"ホーホー""チッチッツ"という合図だけで馬はその通り動くようになったのです。

お祖父さんは、「ウイルカーは馬の言葉を話せるんだ」と言ったものです。実際、色々な動物がウイルカーおじさんを怖がらず、むしろ慕うように寄ってくるのをそれから何度も目にしたことです。と書いてしまってから私がウイルカーおじさんをそんなに慕うのは私が動物に近いからではないか、という疑問が湧いてきました。 

その日の夕方、ウイルカーおじさんは疲れ切った馬をいたわるように話しかけながら、藁で馬の体をこすり、馬も安心してウイルカーおじさんのなすがままに身を任せているのでした。

もともと気は荒くても、馬鹿な馬ではなかったのでしょう、ウイルカーおじさんがそれを見抜き、誰が主人であるかをはっきりと教えたのです。この2頭の馬はお祖父さんの牧場で一番優れた耕作馬として長いこと私たちと一緒に過ごしました。

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ミズーリー州の夏はとても蒸し暑く、
お祖父さんとおばあさんは労働と暑さで
げんなりしていますが、
私はコロコロと太り、元気一杯にはしゃいでいます。

…つづく

 

第3回:ウイルカーおじさん その3