■グレートプレーンズのそよ風 〜アメリカ中西部今昔物語


Grace Joy
(グレース・ジョイ)




中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。



第1回:ウイルカーおじさん その1
第2回:ウイルカーおじさん その2




■更新予定日:毎週木曜日

第3回:ウイルカーおじさん その3

更新日2006/03/16

お祖父さんとウイルカーおじさんとの関係は今考えると、現実にはあり得ないくらい不思議なものでした。ウイルカーおじさんはいわば小作人ということになるのかもしれませんが、お祖父さんはおじさんを家族の一員として遇していました。陽気でいつも大きな声で冗談を飛ばしながら仕事をするお祖父さんと静かなウイルカーおじさんは、生まれたときからの友達のようでした。 そしてお互いに、「ヘイ、ウイルカー!」、「何だよ、ジョン!」(お祖父さんの名前です)、と名前を呼び捨てにして、呼び合っていました。 

私の家はとても貧しく、自給自足に近い生活をしていましたし、家も私が生まれた当初2部屋しかないキャビンでした。その後、私に続いて続々と弟や妹が生まれ、家族が増えるに従って、建て増しを繰り返し、奇妙な間取りの家になりました。その狭いダイニングで、ウイルカーおじさんはお昼ご飯(これはアメリカのお百姓さんにとって一番大きな食事ですが)はもちろん、、朝ご飯も、晩ご飯も家族と一緒摂っていました。

朝ご飯は、お祖父さん、お父さん、ウイルカーおじさんがまだ暗いうちに起て、家畜や鶏に餌をやり終えてから取る習慣でした。肉牛や馬は放牧ですが、たくさんいた豚や鶏にはそれぞれの飼料をやり、豚小屋、鶏小屋を掃除しなければなりません。そして一番時間がかかるのは乳牛の乳絞りで、朝食前に2、3時間ほどは家畜世話に費やされるのでした。


鶏は半ば放し飼いですが、夜は小屋に入れます。
卵集めは女性の仕事です。
私も8歳から鶏の世話、卵集めをまかされました。

朝ご飯は判で押したように同じで、自分の畑で取れたカラスムギからおばあさんが作ったオートミールに、絞りたての牛乳とクリームをたっぷりかけただけのものです。お祖父さんはクリームを取り出すための遠心分離機を持っていませんでしたから、バケツ3、4杯分も入るような大きな缶に牛乳を入れ、一日放置し、上に浮いてくるクリームを平たいスプーンですくい取っていました。それとベーコンとトマトの炒めものがテーブルの真ん中に置かれ、後はコーヒーだけです。お金で買ったものはと言えば、お砂糖とコーヒーくらいのものでしょう。それもきっと村の雑貨屋さんへ卸していた卵と物々交換に近い取引をしていたのだと思います。

一日の中で一番大きな食事、お昼ご飯はいつも変わり映えがしませんでしたが、ボリュームだけはたいしたもので、小さなテーブルにところ狭しとばかり並ぶのでした。主な料理は“チリ”と呼ぶひき肉とキドニィービーンズ(インゲン豆)のコッテリとした煮物か鶏のから揚げ、それでなければハムを削り取った後の骨と豆の煮物で、付け合わせとしてグリーンビーンズ(ササゲ豆)のゆでただけのもの(グリーンビーンズは6月の収穫期には新鮮ですが、他の季節にはおばあさんが瓶詰めにして地下に保存していたものを毎日のように取り出しては食膳に供していました)。

それにジャガイモですが、マッシュポテトかフライドポテト、それでなければ塩ゆでしただけてすが、そんなジャガイモが小山のようにテーブルの真ん中に鎮座しているのが常でした。この組み合わせが一年中繰り返されるのでした。ジャガイモは主食と言ってよいくらい毎日食べたものです。

晩ご飯は軽く、と言っても、またジャガイモに自家製のポークハムの厚切り、新鮮な野菜の取れる夏には簡単なサラダが色どりをそえるのでした。そして昼、夕ともに欠かせないのがアメリカでビスケット(イギリスではスコーンと呼びます)です。日本ではビスケットと言うとクッキーのようなお菓子を意味しますが、アメリカのビスケットは小麦粉をベイキングパウダーとベイキングソダー、ショートニングと牛乳で練って焼いただけの、かすかな塩味だけが風味の香ばしい、いわばパンの代用品です。

ふっくらと膨らんだ焼きたてのビスケットを半分に割りバターを塗り、その上にジャムをコンモリと載せたり、グレービーに浸して食べたり、最後にお皿をきれいに拭くのにも役立ちます。もちろんお皿をぬぐった後のビスケットは口の中に納まるのですが。

こうしてみると随分コレステロールもカロリーも高く、塩分も多い食事ですが、一日中炎天下で働くお百姓さんには必要な栄養分だったのでしょう。今アメリカ中にあふれている“ウルトラデブ”(このような実感のある呼び方はアメリカにありません。いみじくも“オーバーウエイト”とか、病的に太っている人は“オビース”とよんでいますが)は、当時(私の周りは皆、お百姓さんでしたが)見受けられませんでした。

クリックで拡大
勢ぞろいで乳絞りにでかけるところ。

晩ご飯の後、お祖父さんとウイルカーおじさんは明日の仕事のことなど、一服しながら話し、いつも決まり切ったように、「さて、ワシは横になるとするか、ヴェルマ(おばあさんの名前)いつもおいしい料理ありがとうよ、お休みグレース」と言い、私を抱き上げ頬に軽くキッスし、小屋に向かうのでした。

ある日、そんな夕食後にお祖父さんがウイルカーおじさんを送り出すかのようにドアを一緒に出て、玄関先のポーチで内緒話をしているのを耳にしたのです。元来声の大きいお祖父さんはひそひそ話しなど不可能なことでした。またそんなことができる性格でもありませんでした。私の方は大人の話に口を挟むことは厳禁されていましたが、何に付け聞き耳をそばだてる年頃でした。

ニ人は盛んに私の名前と"ポニー"を繰り返していました。私の想像力を総動員するまでもなく、ウイルカーおじさんとお祖父さんが私の5歳の誕生日に子馬をプレゼントしてくれる相談をしていることを知ったのです。

子供は親が思うほどあどけなくも無心でもないようです。私もウイルカーおじさんとお祖父さんが私の誕生日に予定している大きな、驚くようなプレゼントの秘密を知りながら、大人を失望させては悪いと思ったのでしょう、そんなことをオクビにも出さずに誕生日を待っていたのです。子供も大人に結構気を使っているのです。誕生日まで、永かったことといったらありません。そして"ポニー"という言葉が口から出かかり、あわてて言葉を飲み込んだことは一度やニ度ではありませんでした。

-…つづく

 

◇◆◇◇◇◆◇◇◇◆◇

クリックで拡大
ヴェルマおばあさんが残してくれたレシピカードボックス。
ブリキの箱にはおばあさんの手書きのレシピが
アルファベット順にギッシリ詰っています。

◆ヴェルマおばあさんの田舎料理 1◆
チリ

ヴェルマおばあさんが残してくれた"チリ"のレシピを紹介します。

牛肉のひき肉、アメリカではひき肉を“ハンバーガー”と呼び、マクドナルドなどのハンバーガーやハンバーガーステーキと区別がありません。日本では魚の歳によって呼び名が変わるほどなのに、肉文化のアメリカにしてはさびしいことです。

◆材料:
牛のひき肉 800グラム
たまねぎ 8個−中くらいのもの
トマト 8個−よく熟れたもの、缶詰なら4缶(400gくらいの缶)
キドニィービーンズ 4カップ
トマトソース 1缶−200グラムくらい
砂糖 中さじ2杯
チリパウダー 中さじ3杯
塩 中さじ1杯半

1.キドニィービーンズは一昼夜水につけておきます。
2.たまねぎをみじん切りにし、ひき肉と一緒にとろ火で肉が狐色になるまで、玉ねぎが透明になるまで炒めます。
ここでかなりの脂肪が肉から出てきますが、牛肉の脂はどうしても臭みが残るので、それを捨ててしまいます。 
3.キドニィービーンズは一度水を切り、軽く洗い、トマトはスライスするように親指の爪ほどの大きさに切り、他の材料と一緒にひき肉に混ぜます。水は豆や肉がちょうど隠れるくらい加えます。
4.後は弱火で煮込むだけです。

おばあさんは鋳物の大きな鉄鍋を薪ストーブの中心に置いたり、片隅へ動かしたりしてゆっくりと煮える火加減を調節していましたが、私は電気のスロークッカーというのを使っています。厚いセラミックでできた電気釜で、焦げ付くことなく超トロ火でモノを煮込むのに便利な道具です。時折混ぜたり水加減を調節したりで3、4時間グツグツ煮ると味が馴染んでおいしく仕上がります。

クリックで拡大
鋳物の鉄鍋。茶の湯も鉄瓶で沸かすとおいしくなると
言いますが、煮物も同じだと思います。

 

 

第4回:私のポニー その1


 
TOP-トップページ》 《コラム一覧 》 《のらりインタビュー》 コラム・バックナンバー
……………………………………現在連載コラム……………………………………
新・汽車旅日記 】 【店主の分け前 】 【フロンティア時代のアンチヒーローたち 〜西部女傑列伝4
亜米利加よもやま通信 】 【現代語訳『枕草子』 】 【よりみち
………………………………掲載完了イチオシコラム………………………………
  [拳銃家業 ] [貿易風の吹く島から ] [くらり、スペイン ] [グレートプレーンズのそよ風 ]
[フロンティア時代のアンチヒーローたち ]

   
このサイトに関するご意見・ご感想・お問い合わせはこちらまで。

Copyrights 2017 Norari