■くらり、スペイン~イベリア半島ふらりジカタビ、の巻

湯川 カナ
(ゆかわ・かな)


1973年、長崎生まれ。受験戦争→学生起業→Yahoo! JAPAN第一号サーファーと、お調子者系ベビーブーマー人生まっしぐら。のはずが、ITバブル長者のチャンスもフイにして、「太陽が呼んでいた」とウソぶきながらスペインへ移住。昼からワイン飲んでシエスタする、スロウな生活実践中。ほぼ日刊イトイ新聞の連載もよろしく! 著書『カナ式ラテン生活』。


 

■移住を選んだ12人のアミーガたち、の巻(連載完了分)

■イベリア半島ふらりジカタビ、の巻(連載完了分)

■更新予定日:毎週木曜日

番外編:もろモロッコ!(1)

更新日2004/02/12


年末年始の9日間、モロッコを旅した。あまりにおもしろくて、帰ってきて1ヶ月くらいは社会生活に復帰できなかったほどだ(もともとあまりちゃんとした社会生活はできんのだけど)。スペインの隣に、こんな国があったとは!

この物語は、心がユサユサ揺さぶられたモロッコ旅行を余すところなく記そうとするものである(『スクール☆ウォーズ』のオープニング・ナレーション風に、じゃなくてもいいけれど)。まずは、登場人物の紹介から始めたい。

▽カナ:私。スペイン在住日本人。日本語とスペイン語(中-低)と英語(低)。モロッコははじめて。
▽コータロー:私の兄。アメリカ在住日本人。日本語と英語(高)。モロッコは3度目。最初は大学を休学してイギリスに留学した後のことで20年前、2度目は高校教師を辞めて彼女とバックパック世界一周の旅をしたときのことで10年前。
▽キャリー:私の義姉、コータローの奥さん。アメリカ在住アメリカ人、かつては日本在住アメリカ人(8年間)。英語と日本語(高-中)。モロッコは2度目。最初は高校講師を辞めて彼氏とバックパック世界一周の旅をしたときのことで、10年前。


思い起こせば15年くらい前のこと。私は10歳上のコータローが勤めていた高校に入学したのだけど、その高校にキャリーがきて、ふたりは私の卒業翌年かなんかに揃って学校を辞めて、愛車のオープンカー(雲仙の普賢岳が噴火したころだし雨が名物の長崎だし、あまり実用的ではなかったのだけど)も売って、1年半とか2年の世界一周バックパック旅行に出発した。

その間、東京で学生生活をしていた私のところに、彼らから11通の絵はがきが届いた。そのうちの1枚がモロッコからので(といっても絵はがき自体はウィーンの美術館のエゴン・シーレの絵画だった)、「ウサギとポニーの肉を食った」だの「ベルベル人とバースデー」だのといった文章が、躍るような字でびっしり書いてあった。それからずっと、いつか行きたいなぁ、と、漠然と思っていた。


それから数年が過ぎ、よいしょっとスペインに移住してみたら、モロッコはすぐ近くにあった。ジブラルタル海峡を挟んで、ほんの約14kmとか20kmとかである。ヨーロッパとアフリカの距離は、実は日本橋から高井戸らへんまでなのだ。しかもモロッコの地中海岸にはスペイン領となっている町がふたつあって、そのうちのひとつセウタには移住してすぐの休暇に訪れて、3時間ほど滞在した。隣駅はもうモロッコ、みたいなところだ。

それでも、モロッコに行ったことはなかった。休暇には主にスペインをまわっていたこともあるし、スペインで外国人犯罪者の多くが北アフリカ諸国の出身だというイメージが強いというのも、モロッコ行きを躊躇してきた理由のひとつだった。モロッコ人の友達もいたし、彼女はとてもキュートで大好きなのだけど。

そうしたら今年、コータローとキャリーからスペインを経由してモロッコ行く予定だと連絡があった。ふたりに合うのは3年ぶりだし、モロッコには興味あったし、なにより「なんて言うてよかかわからんときは、『わっかんないぜい』と言え。相手にゃ"What can I say?"って聞こえるけんが」などと英語の授業で教えていた兄と、カリフォルニアの太陽でいつも内側から照らされているような義姉と一緒にいるのははらわたがよじれるほど楽しそうだった。

ふたつ返事で、というわけにはいかず、休みが取れないので留守番となるダンナに了承を得ると、急いで「うちも行くけんが!」とメールを送った。


期間は、9日間。アメリカ-スペイン間のフライトが先に決まり、それにあわせて日程を組んだ。モロッコへは12月27日に出発し、1月4日に戻ってくる。行きはマドリードからマラケシュまで飛行機で一気に行き、それからレンタカーで町をまわりながらサハラ砂漠まで行って、帰りはフェズからマドリードまでまた飛行機。最初と最後の夜のホテルだけ予約して、あとは大雑把なルートに沿っていくつかのホテルをピックアップしておいた。

クリスマス当日、コータローとキャリーがマドリードの空港に着いた。サンディエゴからLAまで車で移動して、それからヒューストン、ニューアークと乗り継いできたという。久々の再会に、年甲斐も日本人甲斐もなく、ガバと抱き合って喜んだ。こういうとき、みんな良い具合に外国かぶれしているので照れずに済む。これがうちのおかんなら、「あぁもうそげん大きか身体して寄っかかってこんちゃよか」かなんか言いながら、さっさとひとりで歩き出すところだ。たとえ目が潤んでいたって。

とにかくその日はみんなでマヨール広場やスペイン広場を散歩して(なんせクリスマスは元旦のような日なので、広場くらいしか開いていない)、家でシャンパンやワインをどんどん空けながら夕食を食べて、ゆっくり寝てもらう、はずだったのが時差ぼけでそうはいかなかったところに加えてふたりとも出発直前まで仕事に追われて疲れていたらしく、キャリーは夜中にちょっともどしたりなんかもしてたらしい。

翌日、わりと元気を取り戻したキャリーは「私、ハクジン。いっぱい吐く、白人」と言ってはダンナや私を笑わせていた。あぁもう、楽しい旅行になりそうだぜ! コータローとキャリーにトイレットペーパーを1ロールずつ配りながら、私は口笛交じりに荷物のパッキングを始めた。旅行慣れしたふたりと一緒だったので、出発前日になってようやく荷物の準備に取り掛かったのだ。いま思えば、かなり浮かれていた。そのせいで「外国旅行に持っていくべきもの」を、だいぶ忘れてしまったのだった。

 

 

番外編:もろモロッコ!(2)