第408回:早朝のなまはげライン - 男鹿線 -
秋田駅前の東横インは線路脇の建物だ。橋上駅舎から連絡通路で繋がっている。今回はきっぷも宿もM氏の手配で、このホテルの選択も良い。『あけぼの』の寝台の取り方ともよかった。「見事な采配ですね」と言ったら、「会社の出入りの代理店に任せた」という。その旅行代理店が優秀だ。鉄道ファンだという意向をきちんと汲んでくれている。寡黙なM氏は私と違い、ペラペラと「鉄道ファンだ」などと言わなかったと思う。代理店の担当者が日程を見て察したのだろう。
秋田発の始発列車。左奥に始発の『こまち』が待機中
それぞれ個室を取り、翌朝05時30分にロビーに集合する。今日は08時24分発の『リゾートしらかみ』で五能線に向かう。しかし、早起きが可能なら、散歩がわりに男鹿線を往復しようと相成った。フリーきっぷの券面にある路線は全部乗っておきたいという浅ましさである。
ロビーには味噌汁と、飯を蒸らす香りがほのかに漂う。このホテルは朝食を無料で提供する。握り飯程度だというけれど、ありがたいサービスだ。駅前の低価格ホテルではこういう朝食サービスが多い。でも、私はほとんど食べたことがない。夜明けと共に始発に出かけてしまうからで、ちょっと悔しい。昨日の残りで良いから持たせてくれないかと思う。もっとも衛生的によろしくないか、そもそも残らないのだろう。
サボに「なまはげライン」の文字
前払いだからチェックアウトも早く済み、数分後には秋田駅の改札を通過できた。男鹿行きの始発列車は05時56分発。6番ホームにキハ40形の2両編成が待機していた。側面にはなまはげの巨大ステッカー。男鹿線は「男鹿なまはげライン」の愛称が与えられている。なまはげ伝説は、村人がなまはげに生贄として娘を差し出した話である。それが列車や路線の愛称でいいのだろうか。まさか乗客を生贄だとは思っていないだろうけれど。
乗降口でなまはげに睨まれる(笑)。赤と青の二種類がある
私たちはボックスシートに向かい合って座った。06時12分に追分駅着。ここが男鹿線の分岐点である。改札口の横に「JR男鹿線起点駅」の看板があり、「スタート男鹿線」という看板も立っていた。その向こうの壁に「停車場中心」という表示があった。営業キロの計算の基準はこの位置ですよ、という標識である。国鉄の営業キロは停車場中心を基準とする。その停車場中心は敷地の中心ではなく、原則として各駅の駅長室である。
男鹿線はこの追分から男鹿駅までの26.6kmの支線である。男鹿半島の先端までは行かない。終点の男鹿駅は半島の付け根にある。そこは船川港という港町があって、男鹿線は船川港と奥羽本線を結ぶために軽便鉄道として造られた。開通は1916年という。5年後には開業100周年である。その歴史の割には建物の少ない車窓である。地図では海岸沿いに見えても、実際は岸から遠い。表通りは国道側のようで、天王駅の駅前はよろず屋があるくらいだ。
船越水道の県道橋越しに男鹿半島を望む
その天王駅を過ぎると、大きな川を渡る。船越水道といって、八郎潟と海との境界にあたる。男鹿半島は太古は島で、南北から砂洲が延びて半島状になったという。北側は完全に繋がっているけれど、南側は幅広の船越水道が残った。その昔、最澄が船で渡ったという話もある。空海と喧嘩して都に嫌気した頃である。傷心だったか、求道だったか。「自分探しの旅」の元祖かもしれない。今は鉄道も道路も橋がかかる。県道の橋が隣に見える。水道といっても、いまや船の往来はないようで、橋桁は低い。
鉄橋を渡ると男鹿半島だ。景色はさほど変わらず、水田と住宅が広がっている。脇本駅を過ぎると景色の趣がちょっと変わる。海側の車窓に丘と森がある。壁のように整然として、丘の端っこの崖のようにも見える。ここまで砂洲のような風景だったから、ちょっとは半島らしい景色になったなと思う。
男鹿駅に到着。小屋の中にもキハ40が待機
通勤時間帯に都市から郊外へ向かう列車だから、終点まで空いたままかと思っていた。しかし予想に反して学生客が多い。私達のまわりの女子高生が美人揃いである。秋田美人の血筋だから美女なのか、生まれてから秋田美人を意識して美しく育つのか。
「女の子が美人揃いですねぇ」小声でM氏に話しかけた。
「そうだな」
面食いのM氏も認める美しさ。もっとも彼には同じ年頃の娘がいて、私とは異なる気持ちだろう。
「秋田の男子はAKBを追っかけなくてもいいですね」
「なんで」
「まわりにこんなに可愛い子がいるじゃありませんか」
「そうだな」
「アキタ、コウコウセイ、ビジン、で、AKB」
「うまいこと言うね」
線路は丘を回りこむように左へ、右へとカーブして平野に出た。羽立という駅がある。男鹿半島を周回する国道101号線とここで交差。次が終点の男鹿であった。
広い構内が貨物全盛期を偲ばせる
かつては男鹿から少し先に船川港の貨物駅があったらしい。船から積み替えられた荷を乗せた貨車は、この男鹿駅で列車に仕立てられたのだろう。男鹿駅には何本も線路がある。しかし貨車の姿はなく、遠くの屋根付き車庫の中に、私たちが乗ってきた車両と同じキハ40が潜んでいた。ヘッドライトをつけて出発準備を整えている。
秋田では空いていた列車も、男鹿に着くまでに高校生が乗り込んで席が埋まった。駅前には列車の到着に合わせてバスが来て、学生服姿の男女を乗せた。半島に来たら先端まで行ってみたいけど、今日の男鹿線は散歩の寄り道だから20分後に折り返す列車で戻る。
男鹿駅前は広い。早朝のせいか賑わいはなかった
街歩きはできないけれど、男鹿駅舎はちょっとした展示スペースがあって旅の気分になる。観光案内やなまはげの伝説などが掲示されている。なまはげは漢の皇帝が連れてきた鬼だったらしい。そもそも日本に伝承される「鬼」は、外国人だという説がある。青鬼が白人、赤鬼が黒人。鬼退治伝説は、海に流れ着いた外国人と、その異形に驚いた人々との、戦いの歴史だったかもしれない。そう思うと、紹介されたなまはげ関連の建物を訪ねたくなってきた。しかし、タイムリミットである。後ろ髪を引かれる思いで改札を通った。
駅舎内の展示スペース
-…つづく
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