■新・汽車旅日記〜平成ニッポン、いい日々旅立ち


杉山淳一
(すぎやま・じゅんいち)


1967年生まれ。東京出身。京浜急行沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動する。「新汽車旅日記」をきっかけに鉄道方面にも進出した。「鉄旅オブザイヤー」最終選考委員



第1回:さよならミヤワキ先生

■更新予定日:毎週木曜日

第2回:17歳の地図、36歳の地図

更新日2003/04/17


全線乗車への旅を再開するにあたっては地図が必要だ。乗車記録はノートでも表計算ソフトでも記帳できる。しかし、鉄道地図を用意して、乗った路線を塗りつぶせば、どこまで乗ったか、まだ乗っていない路線はどこか、はっきり判る。

20年前、私は『武揚堂』という地図出版社から出ている白地図を使っていた。この2万分の一の白地図は、宮脇俊三さんが『時刻表2万キロ』の旅で使った地図と同じだ。当時開店したばかりの八重洲ブックセンターに出かけて同じ地図を入手した。そして、宮脇俊三さんと同じように、旅から帰っては、乗った路線を赤いペンで塗りつぶした。当時の国鉄総延長は約2万キロで、20年前までに私が乗った路線は1万3314.2キロだった。約60パーセントだ。宮脇さんの文章によると、国鉄は日本の隅々まで敷設されたから、目を離して見ると赤い線が日本列島の形に近づいてくるそうだ。私の地図も東北と北海道、九州の形がなんとなく判るようになっていた。

私は書棚からその白地図を探し出した。旅の記録をまとめたファイルには、地図のほかに乗車記録表も入っていた。パソコンを使い始めたときに、表計算ソフトに入力して印刷した一覧表だ。元のデータは無かった。あったとしても、古いパソコンで作ったデータだから使えない。ウィンドウズが登場するずっと前の話で、まだパソコンは8ビット、ソフトは『マルチプラン』だったはずだ。こんなところにも20年の隔たりを感じる。ちなみに最後の記録は1987年3月31日の東北新幹線盛岡−上野間となっている。日本国有鉄道の最後の日である。

17歳までの旅を記録した地図。紙が黄ばんで判りにくいが、赤く塗ったところが乗車した路線である。

古い記録は取り戻せたけれど、この地図をそのまま使うわけにはいかない。20年も経てば地図は変わる。国鉄からJRに切り替わる前後に、全国の赤字ローカル線は次々と廃止された。第三セクターという、自治体と民間資本による運営なった路線もある。思い起こせば、高校時代の私の旅は、廃止になる路線に乗りに行くための旅だった。人が乗らないから赤字になるわけで、旅先は寂しい土地が多かった。しかし、いまさら寂しがっても仕方ない。新規開業となった路線に目を向けると、青函トンネル、長野新幹線、埼京線、京葉線などが開通している。ようするに、新しい地図を使わないと具合が悪い。


IT時代だけに、地図情報のWebサイトがたくさんある。しかし"乗りつぶし記録"に都合が良い地図は見当たらない。数年前にそんな目的のために作られたオンラインソフトがあったような気がしたけれど、出てこなかった。デジタル地図で記録してみたかったが、広げた時の見やすさを考えると、やはり紙の地図のほうがいいかもしれない。

インターネットで武揚堂のWebサイトを探すと、なんと所在地は八重洲ブックセンターのすぐそばであった。1階には『ぶよう堂』という地図専門店もある。しかし、Webサイトの商品カタログは詳しくなくて、あの地図の最新版があるかどうかまでは判らない。私はさっそくスクーターで店に出かけた。地図と旅行書の専門店だけあって店内は楽しかったけれど、お目当ての地図は無いようだ。同じサイズの白地図はあるけれど、鉄道路線が記載されていなかった。鉄道は海岸線に比べて変化しやすいから、記載を止めてしまったのかもしれない。

八重洲ブックセンターの地下に地図専門のコーナーがあって、私はそこで代わりの地図を探した。これは、という地図がない。やはり乗車した路線を塗りつぶす、という需要はほとんど無いのだろう。けれども地図は必要だから、昭文社の『全国旅行』という地図を買った。駅の売店にありそうな細長い屏風型で、全国のJR線と私鉄路線がすべて記載されている。駅の情報も詳しいので、塗りつぶすには使いやすそうだ。最大の難点は、限られた面積に情報を詰め込むためか、地図自体がかなり歪み、"日本列島"とはほど遠い形になっていることだ。時刻表の口絵よりも間伸びしている。もっとも、正確な地図はインターネットで手に入るから、記録用だと割りきって使えばいい。この地図は駅や書店で見かけるから、きっと毎年のように新版が出るだろう。新路線の開通や廃線があった時のために、毎年更新される地図は頼もしい。しばらく使って具合が良ければ、毎年買い替えてもいい。


私は過去の記録を確認しながら、新しい地図を塗りつぶした。カラフルな地図なので黒いマジックで乗車路線を塗りつぶす。20年ぶりの二度手間になるし、時間がかかったけれど、これは存外、楽しい作業であった。塗っている路線の思い出が少しずつ蘇る。秋田県の五能線から見た春の日本海は、南国のようなエメラルドグリーンに輝いていた。佐世保駅で買った高菜弁当の美味。常磐線の客車列車でうたた寝をした午後。根室本線の夜行列車から見た金星と日の出。霧に包まれた美深駅で、震えながら夜明かしをしたことも思い出した。




こちらは新しい地図。乗った路線は黒く塗りつぶす。新しい旅はこちらに記録されていく。

20年前の記憶を取り戻しつつ、私は変化の発見も楽しんだ。常磐線の平駅はいわき駅という名になっていた。筑豊炭田地帯の網のような路線はごっそり消えていた。足尾線が『わたらせ渓谷鉄道』になるなど、経営母体が代わり、路線名が変わったところもたくさんある。私は地図を塗ると同時に、紙の一覧表から、表計算ソフトの『マイクロソフト エクセル』にデータを転記した。廃止路線の文字は赤く。地方私鉄に転換された路線の文字は青くして、インターネットで変化があった年を調べて記入した。北海道と九州のリストは真っ赤になった。

すべてのデータが整って、気持ちは新しい旅に向かっている。おもしろいことに、あれだけ廃止路線があったのに、JRの路線延長は20年前と大きく変わっていなかった。新路線もたくさんできたということだ。廃止路線を差し引くと、私の乗車距離はJR全体の50パーセントくらいだろうか。

鉄道紀行は、古くは内田百?、近年では阿川弘之、種村直樹、宮脇俊三の諸氏が築いた文化だ。現在も全線乗車を目ざす同行の士は多く、次は私だなんておこがましいことは言えない。しかし、かつて鉄道に魅せられた旅人たちを追い、残り50パーセントから再開する"全線乗車"への挑戦。それは、何よりも誰よりも、自分との出会いの旅になるだろう。

 

 

第3回:駅は間借り人?−都営地下鉄三田線−

 
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