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■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち
 

第474回:慰めの虹 - 留萠本線 深川~留萌 -

更新日2013/06/06


深川駅前を1時間ほど散歩する。メインストリートにトンガリ屋根の洋風な建物が三棟。商店のようだ。しかし閉じている。15時をすこし過ぎている。夜の店だろうか。飲食店なら、昼過ぎから夕方までの休憩か。雨に現れた静かな街。人通りもなく寂しい。行き場もなく、駅前に面した建物に入る。深川市経済センターとある。公民館のようなものか。


深川駅前のメインストリート

小さな美術館のような施設もあって、ひと通り廻ってみた。絵心がない私には、長居できる場所ではなかった。むしろ建物の外にあるグリーンカーテンが見事だ。10個のプランターから蔓が伸び茂り、執務室の大きな窓を覆っている。私も自宅で西日避けにゴーヤを育てているけれど、ここまで見事に茂らない。良い肥料を使っているようだ。

これから乗る列車は、16時05分発の留萠本線、増毛行きである。この列車から当初の予定通りとなる。この列車を逃すと、次の列車は18時08分発。増毛着は19時35分だから途中で日没になってしまう。そこで、元の予定では岩見沢から深川まで、特急スーパーカムイを組み込んだ。青春18きっぷでは乗れないから、乗車券と自由席特急券で1,830円の出費となる。それがエアアジアの早着のお陰で不要になり、普通列車の乗り継ぎで済んだ。エアアジアに感謝である。


増毛行きはキハ54形1両

ホームから旭川発札幌行きのスーパーカムイを見送る。しばらくして、同じ方向から増毛行き列車がやってきた。単行のディーゼルカーは旭川始発で、車内はほぼ満席であった。留萠本線沿線から旭川へ通学する生徒だろうか。二人掛けのクロスシートは埋まり、運転席後ろのデッキ部分は高校生が占拠している。後部扉のそばのロングシートは空いている。そこに横座りの姿勢で車窓を眺める。寒冷地用の車両だ。二重窓であった。

定刻になる前に車内放送があり、特急が遅れているため発車を待つという。私が乗る予定だったスーパーカムイ23号の1本あと、スーパーカムイ25号である。函館本線もここまで来ると、普通列車より特急列車のほうが多い。スーパーカムイ25号は千歳空港発だから、東京や大阪から留萌に帰る人もいるだろう。旭川と空港からの両方に対応する。うまく設定された列車である。


農場風景が続く

乗り継ぎ客を無事に引き取って、増毛行き列車、2429Dが動き出した。函館本線と離れると、空がますます広くなった。建物が減って、あたりは畑……いや、農場である。農家の規模が大きい。延々と続く畑のなかに、大きな作業用の建物が点在する。これぞ北海道の夏の車窓だろう。冬はこの風景が真っ白になるはずだ。

次の駅は北一已。きたいちやんと読む。やの字は大きいから、"チャン"ではなく、"ち"、"や"、"ん"と読むようだ。国鉄時代は北一己と書いて“きたいちゃん”と読んだ。拗音だったらしい。よく見ると漢字表記も違う。いまは"已"、かつては"己"。三画目の始まる位置が違う。いまの"已"は、生死を超越して涅槃に入る"生滅滅已"という言葉に使われる。過去の"己"は"おのれ"で変換できる。駅名表記と読み方の変更は1997年と最近だ。地名のほうは一已であり、間違った駅名表記を直したらしい。ただし、地名のアイヌ語はイ・チャン。鮭が産卵する場所という意味で、そうなると、ひらがな表記の"や"を大きくした理由が謎である。もっとも、本当の発音がどうだか知らないし、なぜ"已"や"己"が当てられたかも不明だ。


通学列車は賑わっている

その北一已を出発すると、窓に雨粒がつきはじめた。次の秩父別で大雨となる。まとまった数のお客さんが降りて、駅舎に駆け込む。立ち客はいなくなった。北秩父別でも降りた人がいた。この駅に停車する列車は一日に上下2本だけ。留萌本線は本線という名であるけれど、留萌までは一日に8本半、増毛までは6往復半しかない。そんな僅かな列車の大半が通過する駅である。

雨は降り続き、車窓が暗い。雨粒のせいで景色がよく見えない。一級河川の雨竜川を渡る。どろ水色の川面である。石狩沼田駅着。ここで、ほとんどのお客さんが降りていく。石狩沼田という地名に記憶があって、ここでかなり空くだろうと思っていた。予想通りである。ここには街がある。なぜ予想できたか不思議だったけれど、のちに調べたら、ここは札沼線の終点駅だった。札幌と沼田を結ぶから札沼線である。札沼線には乗ったけれど、私が旅を始めた時は新十津川が終点だった。石狩沼田と新十津川間の廃止は私が5歳の時である。札沼線に乗った時、私は路線名の由来を調べたらしい。


秩父別駅。ちっぷべつと読む。アイヌ語でチックシベツ『通路のある川』

空が広く、雲が動いているから、雨もすぐに通り過ぎるような気がした。しかし雨は降り続く。私のコンパクトデジカメでは、水滴だらけの暗い車窓を撮れない。今日は留萌に泊まるから、明日も明るいうちに乗れる。予報は晴れ。景色はあらためて見物しよう。そんなふうに割り切ったら眠くなった。明朝、訪れる予定の恵比島駅を覚えていない。気がついた時、列車は起伏の多いところを走っていた。


留萠本線は天塩山地の南端をかすめる

山間を通りぬけると空が明るくなった。景色が開けて市街地となり、幅の広い留萌川を渡る。雨が止み、薄茶色のマンションに日が当たっている。もうすぐ留萌である。私は30分も居眠りしてしまったらしい。不覚だが、明日がある。ただし、それは留萌まで。留萌から増毛の往復は今日だけだ。


留萌川を渡った

ここからは目を覚まさなければ……と思ったら、周囲の様子がおかしい。20人ほどのお客さんがすべて降りようとしている。それも慌ただしい。増毛に行く人は私だけだろうか。やや不安になりつつ座っていると、駅員が乗降扉から車内に顔を出し、列車は打ち切りと告げた。寝ぼけていた私はすぐに理解できなかった。増毛行きはジャンボタクシーで代行します、という呼びかけで、私も降りなくてはいけないと察した。

駅舎に入ると、もう乗客たちが解散していた。もともと留萌までのお客さんはそれぞれの目的地に向かい、増毛方面に行く人はジャンボタクシーに向かっている。私も増毛に行く予定だ。しかし、列車で行くという目的があって、タクシーでは意味がない。私は駅舎内にしばらく佇む。駅員に相談する客がいて、聞こえた話では、この先の区間で土砂崩れがあったらしい。明日の運行も不明という。


留萌着。ここから先は通行止め

私はその現実を受け止め、落胆した。なんということか。途中まで乗って引き返せば、後日、また訪問する機会を作らなくてはいけない。いや、再訪できるのだろうか。土砂崩れの程度によっては、復旧まで長期間を要するか、そのまま廃止になるかもしれない。岩手県の岩泉線、東日本大震災の被災路線が脳裏をよぎる。復旧が決まった名松線を思い出し、ちょっと希望を持った。

世界の名峰の登頂を目前に撤退する登山家は、もっと悔しい思いをするのだろう。しかし、その気持ちの何百分の一を共感する。これからどうするか。そして明日はどうするか。とりあえず宿に行き、テレビやネットで情報を集めてから考えよう。幸いなことは、今日の宿を留萌にしたことであった。当初は増毛に泊まり、始発に乗るプランも考えていた。しかし、増毛に行っても、明日の列車がなければ途方に暮れる。


留萌はかつて羽幌線や臨港線が分岐する要衝だった。その名残の展示品

まだこんなに明るいし、雨も上がっている。それでも増毛に行けない。悔し紛れに、すこし街を見物してみようか。駅舎を出てすこし歩き、駅舎の写真を撮ろうと振り返ると、空に虹が架かっていた。それも二重の虹である。失意の旅人にとって、せめてもの慰めであった。


留萌の空に虹が架かった

…つづく

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杉山 淳一
(すぎやま・じゅんいち)
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1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。

<<杉山淳一の著書>>

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■著書
『列車ダイヤから鉄道を楽しむ方法: 時刻表からは読めない多種多彩な運行ドラマ!』


列車ダイヤから鉄道を楽しむ方法
杉山淳一 著


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