■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち


杉山淳一
(すぎやま・じゅんいち)


1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。




第1回~第50回まで

第51回~第100回まで

第101回:さらば恋路
-のと鉄道能登線-

第102回:夜明け、雪の彫刻
-高山本線-

第103回:冷めた囲炉裏
-神岡鉄道-



■連載完了コラム
感性工学的テキスト商品学
~書き言葉のマーケティング
 
[全24回] 
デジタル時事放談
~コンピュータ社会の理想と現実
 
[全15回]

■更新予定日:毎週木曜日

 
第104回:再出発の前に -富山港線-

更新日2005/07/21


北陸新幹線の建設が着々と進んでいる。長野から富山、金沢、福井を経由して新大阪に至るルートで、全通すれば関東と北陸が2時間、関西から北陸が1時間で結ばれる。東京と大阪を直通する電車は3時間半というから、東海道新幹線が満席だったら北陸回りで、という旅行者もいるだろう。全線開業まで8年かかるけれど、鉄道ファンにとっても新路線開業は楽しみなことだ。

しかし、その一方で私の心配の種から芽が出ている。富山から分岐する富山港線、高岡から分岐する氷見線と城端線、そして、ついさきほど乗ってきた高山本線の富山-猪谷間である。仮に富山4線とくくっておこう。北陸新幹線の開業と共に、平行在来線である北陸本線がJRから経営分離された場合、そこから枝分かれする富山4線も切り離されるのではないか。それが心配だ。


富山港線。
1両のディーゼルカーが1時間に1本走る。

最近の新幹線開業は、平行在来線の経営分離と同時に進行する。東北新幹線の八戸開業に伴って、東北本線の盛岡-八戸間が第三セクターになった。九州新幹線も同様に鹿児島本線の一部がJR九州から切り離された。北陸新幹線も例外ではないだろう。北陸本線という幹を失った場合、枝の部分だけJR路線として残るのだろうか。

JR西日本は国会で、富山4線の経営分離はしないと表明している。しかしその後、平行在来線問題ではなく、赤字ローカル線問題だという考えを示した。JR西日本は可部線の末端区間を2003年に廃止している。だから、新幹線開業より早く廃止されるかもしれない。これが心配の種から出た芽である。

だから、北陸へ行く機会があったら富山4線には乗っておかなくてはいけない、と決めていた。遊び事なのに「~~しなくてはいけない」とは滑稽だが、趣味の世界では自分を縛る義務感も楽しみのうちであり、その意志が仕事や雑事を払いのける。それほどまでに乗りたい路線だから、今回の旅程は富山4線のルートがもっとも厳しかった。冬の日の短い間に効率よく乗り潰すには、富山から始発に乗るべきだ、という結論となり、深夜に富山着、駅前のネットカフェで夜明かしという強行軍になった。


沿線は住宅地が続く。

始発電車で神岡鉄道から戻ると1本目の高山本線はクリアー。次は富山港線だ。乗り換え時間は約15分。私は改札を出て、早足で駅ビルの土産物屋を回り、鱒寿司などを買い求めた。手土産用と昼の弁当である。手土産の分は荷物になるが、この時間を逃すと買い物をする時間はない。私の旅は遊びなのか、苦行なのか。鱒寿司をほおばる苦行など聞いたことはないけれど。

余命が怪しい富山4線のうち、富山港線はもっとも幸せな形で決着している。富山市を主体とする第三セクターが経営を引き継ぎ、約1年後に路面電車に生まれ変わる。富山駅付近は駅も列車の本数も増やし、新幹線開業後は富山地方鉄道の路面電車と相互乗り入れする。低床電車を導入してバリアフリーを推進し、富山の路面電車ネットワーク網のひとつになるそうだ。

そういう話なら乗る方も気楽なもので、のんびりと車窓の町並みを眺めていられる。1両のレールバスは富山駅を出ると東へ向かい、しばらく北陸本線と併走するとすぐに停まった。富山口駅である。 駅間が短い理由は、建設の前身が私鉄の電車路線だったからである。電車を前提に造られた路線は駅間が短い。国鉄として造られた路線は蒸気機関車が前提なので、機関車を効率よく走らせるため駅間が長いという傾向がある。


競輪客用の臨時電車とすれ違う。

ディーゼルカーはここから北に進路を取る。カーブが終わってスピードが乗り始めたところに広い道を渡る踏切があって、ここが路面区間との切り替え地点だ。富山からここまでの線路は廃止され、富山駅のガード下からここまで、新しい併用軌道が敷設される。ここには奥田中学校前という停留所が設けられる予定だ。

沿線は住宅地が延々とつながっている。工場も見えるし、学校らしき建物も見かけられた。要するに私の地元、東京23区の外れとあまり変わらない景色だ。こんなところを走る路線が廃止されるわけがない、と思った。むしろ1時間に1本しか走らないというダイヤがおかしい。もっとも、それを改善するための第三セクター化なのだろう。越中中島からは平行する道路にぴったりと並んだ。線路には雪が積もっているが、道路は乾いていた。しかし道路は片側1車線だ。積雪時や渋滞を考えると鉄道が必要な地域だとわかる。


競輪場は目の前!

城川原駅で上り列車とすれ違う。こちらは1両のディーゼルカーで、あちらは3両の電車だった。輸送量の格差が大きいが、乗客は少なかった。時刻表を見ると、競輪開催日に運行される臨時列車だ。競輪好きを乗せていった電車が戻ってきたのである。その競輪場前駅は終点の岩瀬浜のひとつ手前にあった。駅前が競輪場の入り口だ。なるほど、住宅地の生活輸送に加えて、競輪の輸送需要が見込めるのだ。観戦しながらビールを飲む、という客はクルマに乗れない。彼らのためにも鉄道は必要だ。これなら地元に渡して、地域にふさわしい姿にした方が良さそうである。

運河を渡って岩瀬浜に到着。運河沿いには工場が並び、駅は住宅に囲まれていた。地図を見れば徒歩圏内に海水浴場もあるらしい。1時間に1本といわず、30分、20分に1本の列車があれば、日常の足がわりに使えそうだ。鉄道が便利になれば沿線は活性化される。工場が増えるか、マンションが建つか。どうなるかはわからないけれど、まずはこの景色を覚えておこう。都市近郊の町並みがどうなるのか、第三セクターに生まれ変わってからの再訪が楽しみだ。


岩瀬浜駅。
駅や駅前広場はどう変わるだろうか。

第95回以降の行程図
(GIFファイル)

-…つづく