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第406回:流行り歌に寄せて No.206 「港町ブルース」~昭和44年(1969年)

更新日2020/10/22


以前にも何回か書いたことがあったが、私は小学5年生の3学期に、父親の転勤に伴い、長野県岡谷市から、名古屋市港区に引越しをした。典型的な盆地で、四方を山に囲まれた土地から、港のある海辺の土地に移動したのである。長閑で、友達のたくさんいた落ち着いた環境から、ひと時に、乾いていて荒っぽい人たちの中に放り出された。当時の私は、そう感じた。

だから、港と、その周辺の港町の持つ猥雑な雰囲気というものを好きになれなかった。

余談だが、上京後、東京と名古屋では、同じ「港区」と名がついても、まったく質の違う場所であることを知り、少なからず驚いたことがある。

さて、今回の曲は私が港区に移って2年余り、中学2年生になったばかりで、それほど気乗りがしなかったが、登校拒否というほどまでにはならず、きっと半ば諦めながら日々に折り合いをつけていた頃の流行り歌である。

森進一も『女のためいき』で鮮烈な印象でデビューしてから約2年が経過しており、吉川静夫、猪俣公章コンビによる『女の波止場』『女の酒場』などの『女の・・・』シリーズを始め、『盛り場ブルース』『花と蝶』そして、この曲の直前には『年上の女』を出して、演歌歌手として、着実にその地位を固めつつあった時期であった。

通常は、どちらか一箇所にスポットを当ててご当地ソングにするのが一般的である。しかし、この曲は全国の盛り場の地名を盛り込んだ『盛り場ブルース』のヒットを受けて、渡辺プロが企画し、雑誌『平凡』にタイトルを予め『港町ブルース』と決めて歌詞を募集した。

3万8,000通近くの応募の中から、7人の歌詞を部分的に選び出して、なかにし礼が補作詞をして、できあがったのだという。作詞者の深津武志というのは1番の一部の歌詞を考案した人の名前で、日本著作権協会には7人の作詞者の代表として届け出された。

函館から鹿児島まで、徐々に南下しつつ14の港の名前が登場するが、それは太平洋(一部、瀬戸内海)側だけで、日本海側の港は出てこない。なかにし礼の意図としては、横浜、神戸などの有名な港は避け、漁港を中心に並べたものだそうだ。


「港町ブルース」 深津武志:作詞 なかにし礼:補作詞 猪俣公章:作曲 森岡賢一郎:編曲 
           森進一:歌


背のびして見る 海峡を

今日も汽笛が 遠ざかる

あなたにあげた 夜をかえして

港、港 函館 通り雨

 

流す涙で 割る酒は

だました男の 味がする

あなたの影を ひきずりながら

港、宮古 釜石 気仙沼

 

出船入船 別れ船

あなた乗せない 帰り船

うしろ姿も 他人のそら似

港、三崎 焼津に 御前崎

 

別れりゃ三月 待ちわびる

女心の やるせなさ

明日はいらない 今夜が欲しい

港、高知 高松 八幡浜

 

呼んでとどかぬ 人の名を

こぼれた酒と 指で書く

海に涙の ああ愚痴ばかり

港、別府 長崎 枕崎

 

女心の 残り火は 

燃えて身をやく 桜島

ここは鹿児島 旅路の果てか

港、港町ブルースよ

 

この曲が歌われた頃は、船乗りというものは移り気な女好きということに相場が決まっていたようで、「港々に女あり」などと吹聴したものだった。

(今回、調べていて初めて知ったことだが、「港々に女あり」とは、1928年(昭和3年)のアメリカ映画『A Girl in Every Port』の邦訳タイトルで、この言葉が日本中に広まったとのことである)

そして、この曲の歌詞のように、その船乗りに惚れた港の女は、いつも騙され、捨てられ、酒に溺れ、むせび泣くというパターンが繰り返される。今考えてみると、随分と時代の隔たりを感じる。もちろん、今でもこのようなケースがまったくなくなったとは考えられないが。

私の妹は幼少の頃かなり病弱であったが、小学2年生の時、名古屋港のすぐ側にある病院に入院していたことがある。ベッド数6の病室で、小児科の患者が入院していた。

その入院患者の一人に、妹よりも一つ年少の小学1年生の男の子がいた。中耳炎か何かを拗らせたのか、彼がいつも片方の耳に脱脂綿を付けた耳あてをしていたのを覚えている。

その子のお母さんは、いつも派手な身なりをして私たちにも愛想よく接してくださったが、見舞いに来る時はほとんど酒に酔っていた。

ある時、別の患者さんの親御さんに伺うと、彼女は今でいうシングルマザーで、もともと水商売の世界の人だが、昼は工事現場などで働き、夜は港町のキャバレーで稼いで、生計を立てているとのことだった。

男の子はやんちゃなところも少しあったが、とても素直で明るく、その病室のマスコットのような存在だった。ただ、いたずらをしたのをお母さんに知られると、かなり辛辣に怒られていて、見ている私たちには、それがとても不憫に感じられた。

さて、この曲に登場する14の港、私は函館、三崎、高知、鹿児島以外の10箇所は、未だ訪ねたことがない。函館もそうだが、訪ねていない宮古、釜石、気仙沼、八幡浜、枕崎には「港町」と名の付く町名があると聞く。

東北の三港は、東日本大震災の甚大な被害を受けている。私の知り合いの何人かは復興のボランティアを機に、それぞれの港に何回も足を運んでいる人もいる。

少年時代、あまりにも大きな環境の変化からまったく馴染めずに、その後もずっと距離を置いてきた。そんな「港町」を、私は完全に今の仕事をリタイアした後、少しずつ巡ってみたいという気持ちに、不思議と今はなっているのである。


-…つづく

 

 

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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
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