第250回:流行り歌に寄せて No.60 「浅草姉妹」~昭和34年(1959年)
前回このコラムで取り上げたのがザ・ピーナッツであったが、「ザ・ピーナッツ」と言って、すぐに連想されるのは「こまどり姉妹」の名前である。この瞬間の連想をしてしまうのは、おそらくこの二組の双子のデュオがデビューした年、昭和34年までに生まれた人たちぐらいまでだろう。
ザ・ピーナッツのレコード・デビューからちょうど半年後の10月、こまどり姉妹は「浅草姉妹」でコロムビアからレコードを発売する。発売当初は「並木栄子、並木葉子」という芸名だった。ザ・ピーナッツよりは3歳年上、21歳でのデビューであった。
ザ・ピーナッツが宮川泰のプロデュースによる洋楽の香りを漂わせる、モダンでお洒落な曲を歌っていたのに較べ、こまどり姉妹の方は遠藤実の指導する、本格的な演歌の世界を展開していった。
「浅草姉妹」 石本美由起:作詞 遠藤実:作曲 並木栄子 並木葉子(こまどり姉妹):歌
1.
なにも言うまい 言問橋の
水に流した あの頃は
鐘が鳴ります 浅草月夜
化粧なおして エー化粧なおして 流し唄
2.
親にはぐれた 浅草姉妹
胸にゃ涙の 露しぐれ
泣いているのに 笑顔で唄う
辛い苦労を エー辛い苦労を 誰が知る
3.
眼では見えない こころの中にゃ
母に逢う日の 夢がある
二人そろって 観音さまに
祈る願いは エー祈る願いは ただ一つ
こまどり姉妹の二人は、昭和13年2月16日、北海道の道東、釧路市と根室市のほぼ中間に位置する厚岸郡厚岸町で、炭坑夫の父の元に生まれた。貧しい生活が続き、その後家族は樺太に渡り、彼女たちは樺太で終戦を迎える。
戦後も、家族は道内の炭坑町を転々とするが、極貧生活はさらに深刻になり、小樽市銭函(ぜにばこ)にいたときには家賃が払えず、夜逃げをするほどだった。次に移り住んだ釧路市大楽毛(おたのしけ)で、姉妹は門付けをして、家族を支えることになる。門付けとは文字通り、家々を廻り、その玄関先で芸を披露して金銭を得る仕事である。
二人は小学生上級生くらいの年齢だったが、当然のことのように、学校へ通わせてもらうようなことはあり得なかったに違いない。
そして、生まれ故郷北海道を捨て上京したのが昭和26年。なんと13歳の少女たちが、山谷のドヤ街に家族とともに住み出したのだ。そして、父親に連れられ浅草の飲食街で、三味線を背負いながら流しの生活を始めることになる。
妹の葉子の方は、生まれつき身体が弱く、7歳の時には流行性の脊髄脳膜炎で、当時感染発病した30人のうち28人が死亡する中生き残るという、まさに九死に一生を得たことがあったり、小児喘息で苦しんだりと、極貧の生活を続けて行くのは、真に辛いことだったろう。
流しに出ても、先輩の流しの人々から嫉妬され、言われなき噂を流されたり、嫌がらせをされたりするのは茶飯事だったようだ。
少女時代を流しで費やした末、ようやくそんな生活に陽が差し、スカウトをされてレコード・デビューしたのが、前述の昭和34年である。上京してから8年が経過していた。少女たちにとっては、あまりにも過酷な日々であった。
そのレコード・デビューの際も、流しの出身と言うだけで不当な差別を受けてテストに落とされたり、デビューした後も、興行先で手痛い苛めを受けたりと、辛い日々が待っていたが、二人は助け合いながらその試練に耐え、大きく成長していく。
そして、デビューの翌々年の昭和36年の大晦日に、『姉妹酒場』で二人の夢だった「紅白歌合戦」出場を果たし、以後7年間連続で出場という輝かしい時代を迎えるのである。
しかし常に、まるで不幸を身に纏っているような二人には、その間にもいくつもの苦しい試練が待ちかまえていた。
昭和41年の倉吉市公演の際、姉栄子の熱狂的なファンで彼女に結婚を迫っていた男が、舞台に駆け上がり、誤って妹葉子の腹部を刃物で刺すという事件が起きた。一命は取り留めたものの重傷を負い、しばらく芸能生活の中止を余儀なくされる。
その同じ時期、事務所の経理担当者が二人のお金を持ち逃げしてしまい、それにより脱税疑惑がかけられる。さらに、葉子が癌に罹る、栄子が交通事故に遭う、父母が相次いで亡くなるなど、普通の人では一つだけでも失意のどん底に落とされるような出来事が、連続して起きたのである。
それでも二人は歌い続けた。昨年大晦日の「年忘れにっぽんの歌」でもその元気な姿を見せてくれていたし、最近では彼女たちの逆境に負けない、力強い来し方を紹介するドキュメンタリー映画やテレビ番組も作られている。二人は、今年デビュー55周年を迎える。
余談だが、今回彼女たちの姿をいくつか拝見して感じたことがある。あのモダンな歌を歌い続けたザ・ピーナッツが、どちらかと言えば典型的な日本人の顔立ちなのに対し、演歌一筋のこまどり姉妹の方は、目鼻立ちのはっきりした洋風の顔立ちをしているように思うのだが。
-…つづく
第251回:流行り歌に寄せて
No.61 「南国土佐を後にして」~昭和34年(1959年)
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