音羽 信
第12回: ファスト・カー
by トレーシー・チャップマン
あんたは速い車を手に入れた
私はどっかに行ける切符が欲しい
私たち取引できるんじゃない?
そうすりゃ私たち
一緒にどっかに行けるしさ
どこだって、ここよりましよ
ゼロから始めるんだから
失うものなんてなにも無い
そしてたぶん
何かきっと二人でできる
もちろん、そんなこと言ったって私が
何か約束できるってわけじゃ
ないけどさ
あんたは速い車を手に入れた
で、思ったんだけどさ
一緒にここを出られたらって……
ずっとコンビニエンスストアで働いて
セコセコ小銭を稼いで倹約して……
凄いスピードで
ぶっ飛ばしたいって思わない?
国境を越えて行くのよ
そこで私もあんたも
仕事を見つけて
そのうち、生きててよかったって
思うようになるのよ
私のオヤジが老いぼれて
なんだかややこしいことになっちゃって
あいつは酔っ払いで
まあ、そうやって生きていくしかなかったんだけどさ
オヤジはいつだって
こんなに歳をとっちゃあ働けねえよ
なんて言うんだ
だから私、言ってやったんだ
おまえ、見かけより
ずっとずっと若いはずじゃん
ママはとっくにあいつを置いて家を出た
オヤジがくれる人生じゃ
満足できなかったってわけ
私は誰かに
オヤジの面度を見てもらいたかったけど、結局
私が学校を止めてさ
それだけ……
あんたは速い車を手に入れた
それってとうとう
二人して飛んで行けるってことじゃない
さっさと決めようよ
今晩ここを出て行こうよ
でなきゃあ
こんなところで死ぬだけじゃない
そうして二人で
あんたの車に乗ってトンズラした
とんでもないスピードで
私なんか
酔っぱらっちゃったみたいになっちゃって
私たちの行く先に
街の光が見えてきた時には
おまけにあんたが
私の肩を抱いてくれたりしたもんだから
私もう、ウットリしちゃって
私はあんたのものよって気分になった
私じゃない誰かになれた気がした
そう、私じゃない誰かに
私じゃない誰かに
あんたは速い車を手に入れた
二人で、目一杯楽しむために乗り回した
でもあんたは仕事が見つからなくて
私はスーパーでレジをやった
それでも、うまく行くって思ってた
そのうちあんたも仕事を見付けて
私のお給料だって上がって
そのうち納屋みたいな所から抜け出て
もっと大きな家を買って
小奇麗な郊外に住むんだって
思ってた
私、覚えてる
一緒にあんたの車に乗って
一緒にぶっ飛ばした時のことを
とんでもないスピードで
私なんか
酔っぱらっちゃったみたいになっちゃって
私たちの行く先に
街の光が見えてきた時には
おまけにあんたが
私の肩を抱いてくれたりしたもんだから
私もう、ウットリしちゃって
私はあんたのものよって気分になった
私じゃない誰かになれた気がした
そう、私じゃない誰かに
私じゃない誰かに
あんたは速い車を手に入れた
私が仕事をして
何とかそれでやりくりしたけど
あんたは夜おそくまでバーで飲んだくれて
子どもといるより
飲み友達と一緒にいる方が多かった
それでも私は
ずっとずっと思ってた
きっとこれから良くなるって
きっとそうなるって……
だってほかに、どうしようもないじゃない
もうどこにも行けないしさ
あんたの速い車を
ぶっ飛ばしてみたってさ……
私、覚えてる
一緒にあんたの車に乗って
一緒に車でぶっ飛ばした時のことを
とんでもないスピードで
私なんか
酔っぱらっちゃったみたいになっちゃって
私たちの行く先に
街の光が見えてきた時には
おまけにあんたが
私の肩を抱いてくれたりしたもんだから
私もう、ウットリしちゃって
私はあんたのものよって気分になった
私じゃない誰かになれた気がした
そう、私じゃない誰かに
私じゃない誰かに
あんたは速い車を手に入れた
でもそれって結局
あんたがどっかに行っちゃえる程度の
そんな速さでしかなかったってこと
ある晩、あんたに
ここを出ていくか、それとも
このままこんな風にして死ぬまで生きて行くか
どっちか決めなよ、って言ったら
あんたは
出て行っちゃった
“Fast Car” - Tracy Chapman
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当たり前だけど、人は誰だって、親や場所を選んで生まれたりできない。みんな同じように裸で生まれてくるけど、生まれたその瞬間に、できることなら、あったかい部屋で綺麗な産着に包まれて柔らかなベッドに寝かしてほしい、なんて言えるわけもない。暖かろうが寒かろうが、清潔だろうが不潔だろうが、寝かされた場所が、要するに、その子の居場所。そしてそこから、自分と社会との闘いが始まる。
そんなわけで、貧富の差の激しいアメリカで、黒人の女の子として生まれてきた子が、テレビのホームドラマに出てくるような白い大きな家で、優しい両親に可愛がられて、フリルのついた服を着て緑いっぱいの学校に行ける確率は、かなり低い。
トレーシー・チャップマンが、一人でギターを抱えて、淡々と、素っ気ない表情で『fast car』を歌うのを初めて見たとき、私は一瞬、不意をつかれたような気がした。彼女が自分自身の人生をそのまま歌っているように見えた。飾り気も、演出も、お涙頂戴も、卑下も、苦しみも、強がりも、何もなかった。ただ、“Fast Car”という言葉の響きに、どこか心身の深いところに沈めた彼女の意志のようなものが滲み出ているように感じた。
もちろん、オバマのように大統領になった人だっているのだから、黒人の女の子の中にだって、アメリカンドリームと呼ばれる、恐るべき格差と差別の目くらましのような錦の御旗を運よく掲げるようになる子だっているだろう。
現に彼女だって、こうして海を越えたところに暮らす私の目に映る存在になっている。この曲が入った最初のアルバムは大ヒットしたし、グラミー賞だってとっている。つまりは、一瞬にして、アメリカン・ドリーム。
もちろん、表舞台に彼女が登場するまでに、どんなことがあったかなど誰にもわからない。大変な苦労があったのかもしれないし、意外にすんなりと音楽シーンに出てこれたのかもしれない。けれど、彼女のこの歌には、そんな何だかんだなどどうだっていいと感じさせる、歌としての自立した強さと完成度があった。優れた歌というものが持ち得るリアリティと、自然な存在感があった。
なぜかその頃、気になる女性の歌い手がメジャーシーンに次々に登場した。たとえばスザンヌ・ベガ、たとえばシンディー・ローパー、たとえばシニード・オコーナー。みんな、その人にしかない何かを自然にまとっていた。
「私じゃない誰かに……」
シンプルなギターの音と一体になったこの歌の言葉の強さには嘘がない。もちろんこの歌は、彼女によって創られた歌。つまりは、つくり話。けれど、だからこそ完璧性をまとえる。だからこそ胸を打つ、というか、物語でも演劇でもそうだけど、アートというものは基本的にそういうもので、歌も時々、誰が創ったか、ということとは無縁の完成度を持つことがある。私がここで紹介しているのは、言ってみれば、そんな歌たちばかりだが、それにしても、歌であれ絵であれギターであれ、一人ひとりをみれば、どこか歪(いびつ)だったり、頼りなかったり、出来損ないみたいなところがある人間が、何かの拍子に、完璧と思える何かを創り出せるのは不思議だ。もしかしたらそれはきっと、自分にはない何かに、ここにはない美しさに憧れる心を、それと素直に向き合い、抱いた想いにふさわしい形をなんとか与えたいと思い、そしてそのことに夢中になれる何かを、誰もが心の奥底に秘めているからかもしれない。だからそうしてできた何かに反応し、感動することもできる、同じ人間だから……。
でも、この歌は、彼女が歌ってこそ完璧に聞こえる。彼女の心の中の静かな、ずっと押し殺してきた沈黙の叫び声だと、誰もが感じる。
そしてそれは、この歌が優れた歌だということの証。歌を創るということは、喜びであれ悲しみであれ苦しみであれ儚さであれ確かさであれ、どんなに些細であれ、どんなに激しい何かであれ、人間なら誰もがふと感じる想いを、誰もが触れ合える形にする作業なのだから……。
ただ、歌は誰が創ったものであろうと、その歌に触れた誰かの心を震わせたその瞬間から、その人の歌にもなり得る。
Tracy Chapman - Fast Car [Wembley 1988]
https://www.youtube.com/watch?v=teZsA_ci-7E
Tracy Chapman - Fast Car (Official Music Video)
https://youtu.be/AIOAlaACuv4?si=_gXvK_IFKBtpZOq8

トレーシー・チャップマン
[Tracy Chapman;2009]
-…つづく