サラセンとキリスト教徒軍騎士たちが入り乱れ
絶世の美女、麗しのアンジェリーカを巡って繰り広げる
イタリアルネサンス文学を代表する大冒険ロマンを
ギュスターヴ・ドレの絵と共に楽しむ
谷口 江里也 文
ルドヴィコ・アリオスト 原作
ギュスターヴ・ドレ 絵
第 1 歌 初めて歌われるオルランドの物語
第 3 話:アンジェリーカとリナルド
さて、せっかく絶世の美女アンジェリーカに巡り会っていいところまで行ったのに、立て続けに邪魔が入り、思いを遂げることができなかったコーカサスの若き純情王サクリパンテ。どうしてこうも邪魔ばかり入るのかとうんざりしながらも、もう一度気力を整えてアンジェリーカを抱き寄せると、またしても、今度は森の奥から、これまで聞いたこともないような猛々《たけだけ》しい奔馬《ほんば》の蹄の音。
その馬を見た途端アンジェリーカがサクリパンテの腕を振りほどいてこう言った。
あれはバイアルド、リナルドの馬よ
さあ早く捕まえて!

そう急かされた純情王、どうしてこんな場面で馬なんかを、とは思ったが、アンジェリーカに急かされるままに、仕方なく暴れ馬を追いかけた。しかし奔馬の暴れぶりは凄まじく手綱《たづな》を取ることさえままならない。
蹴られるやら引きづられるやら散々な目にあっていると、急に奔馬がおとなしくなった。どうやらその目がアンジェリーカを見ている様子。かと思うや、馬はゆっくりとアンジェリーカに近づき、彼女にすり寄って甘え始めた。
なんと麗しの姫は馬の心さえ虜にするのかと思いきや、聞けばどうやらアンジェリーカはかつてバイアルドの世話をしたことがあり、奔馬はそれをどうやら覚えていた様子。
それというのも、その頃アンジェリーカはリナルドに首ったけ、そこで大切にしていた名馬バイアルドをリナルドにあげたのだった。そうして二人はしばし夢のような時を過ごしたのだったが、そんな二人の仲を引き裂いたのが、アルデンヌの森の奥に湧き出る二つの魔法の泉の水。
互いの恋心をさらに強くしようと思った二人はある日、一口飲めば、目の前にいる人を心の底から好きになると言われている魔法の泉を探すためにアルデンヌの森に分け入った。一体何の導きかは知らねども、恋を恋する二人の前に魔法の泉はたちまち姿を現した。まずはリナルドが急いで湧き出る泉に駆け寄って、泉の水を手ですくって一口飲んだ。
たちまちリナルドの心と体に湧き出る、それまでの何倍もの激しさの恋心。アンジェリーカを見つめるリナルドの目は、熱き恋の炎で炎えあがらんばかり。それを見たアンジェリーカ、あんな風に私もと、泉に駆け寄ってその水を一口飲んだのが運の尽き、リナルドが飲んだ泉のすぐ横に湧き出る泉の水は、何と、それを飲んだ途端、目の前にいる人を心の底から嫌いになる魔法の水。
アンジェリーカのことを死ぬほど好きになってしまったリナルドと、リナルドのことを死ぬほど嫌いになってしまったアンジェリーカ。哀れ二人はその瞬間から、アンジェリーカは必死でリナルドから逃げ、それを必死で追いかけるリナルドという、悲劇の主人公になってしまった。
この顛末を聞けばみなさまも、アンジェリーカがどうして逃げ回っているのか、どうしてリナルドが必死で追いかけているのかということがお分かりになったでしょう。
それはともかく、アンジェリーカを見てすっかりおとなしくなったバイアルドを、サクリパンテは急いで近くにあった木につなぎ、さあ今度こそと、まるで魔法の惚れ水を飲んだリナルドのように、目を爛々と輝かせてアンジェリーカに歩み寄ったが、その途端またまた邪魔が、バイアルドを追ってきたリナルドが勢い込んで二人の前に躍り出た。
まずは邪魔者とやりあう羽目になってしまったサクリパンテ、仕方なく剣を抜き、ここで姫を護ればその時こそ、というより、ここでリナルドを退治せねば、アンジェリーカは逃げ、リナルドが姫を追いかけるという事態がいつまでも続く。
そう思って身構えたサクリパンテだったが、そんなサクリパンテに向かってアンジェリーカがこう言った。
あんな奴のことは捨て置いて
さっさとこの場を去りましょう。
それでは騎士たるものの面目が、とサクリパンテは言ってみたものの、見ればアンジェリーカはさっさと自分の馬の上。ほらあなたもバイアルドに跨りなさい、ブラダマンテに蹴散らされたあなたの馬よりバイアルドの方がずっといいわよと、一刻も早くこの場を去ろうとする。
が、しかしそうこうしているうちに、怒りもあらわにリナルドが、二人の馬の前に立ちはだかった。
さて、この続きは第2歌にて。

-…つづく