第453回:辞世の句、歌を遺す日本文化
西欧人にとって、日本の文化?といえば、「富士山」「芸者」「腹切(ハラキリ)」だった時代がありました。今では、日本といえば、「禅」と「アニメ」という両極端に分かれており、禅の方はもっぱら外人向け…というわけでもないでしょうけど、禅の道場の公用語を英語にしているところもあるほどで、正確な統計ではありませんが、日本で禅の修業をする人の30パーセントは外人だといわれています。
もう一方のアニメですが、何時まで経っても衰えないアメリカでの日本のアニメブームにはただただあきれるばかりです。私たちが住んでいる田舎町の図書館でさえ、大きな書架、二つにびっしりと日本のアニメが英訳されて並んでいます。ミシマ、カワバタより幅を効かせていることは間違いありません。
幕末の本(英語ですが)を読んで驚くのは、死んでいった若い志士たちが辞世の句や歌を書き残していることです。ハラキリ、切腹の前に平然とかどうかわかりませんが、この世にさようならとばかり詩を書くのは西欧人にはチョット想像できないことです。それに言ってみれば、革命の剣士のようなサムライが詩句を書く教養を持っていたことも驚きを通り越して唖然としてしまいます。
辞世の句、歌を残す文化を持っているのは、日本だけと言っていいでしょう。ハラキリの方だけ有名になり、その時に彼らが書いた辞世の句、歌の方が忘れられているのは片手落ちのように思います。
西欧人で切腹の現場に立会い、詳細な記録を残しているは、イギリス人アーネスト・サトー(Ernest Mason Satow)です。彼は幕末から明治維新にかけて、都合26年間日本に住み、イギリスが薩摩、長州に肩入れし、維新を成功に導く(多分にイギリスの利益のためですが…)のに功績のあった外交官です。彼自身は一通訳官でした。本のタイトルも至って簡素で、『日本における外交官』(A
Diplomat In Japan)です。
この本の中で彼は切腹儀式、介錯にショックを受けながら、平然と死んでいく侍たちに感動しています。と、話は切腹の方に行ってしまいましたが、辞世の句、歌のことです。
辞世の詩を残すのは元々大昔の中国にあった習慣で、それが親元の中国で廃れ、日本に根ついたことのようです。ですから、戦国時代以前の人の辞世の詩は漢詩が多く、相当、漢詩の素養がなければ書けなかったことでしょう。
ウチのダンナさんが、明智光秀が残した漢詩、【順逆無二門 大道徹心源 五十五年夢 覚来帰一元】を懸命になって説明してくれましたが、私にはとても読めません。
よほど詩作に凝った戦国武将もいて、戦場で瀕死の重傷を負いながら、チョット待ってくれ、今良い詩想が沸いた、と敵のお侍さんに待ったをかけ、懐紙に血で辞世の句を書き残した御仁もいます。
これも、ウチのダンナさんが探し出してくれたのですが、塙団衛門直之(バン ダンエモン ナオユキ)という戦国武将で残した詩は、【中夏依南方 留命数既郡 一生皆一夢 鉄牛五十年】というもので、これが名作かどうかの判断はとても私にできません。
鉄牛というのは彼の綽名です。詩を書き終わった後、サア、いつでも切ってくれと死んでいったそうですから、案外、達観したところのある、ヒョウキンな人だったのでしょう。
元々、辞世の句、歌はその人物がどのような人生を送ったかを知っていなければ味わいが薄いものです。
この、Webコラムマガジン『のらり』で谷口江里也さんが現代語訳にした『奥の細道』(英訳もたくさん出ています)の松尾芭蕉の辞世の句、【旅に病んで夢は枯野をかけ廻る】は、私たちが彼の人生を鳥瞰図的に知っていから、ウーム、なるほど…と感動するのでしょう。
芸者を揚げての大騒ぎが大好きだった幕末のヤンチャ坊主のような高杉晋作が、【おもしろきこともなき世をおもしろく】と残しているのは自虐でしょうか。近代でも、乃木希典と奥さんの静子さん、ハラキリの際、和歌を残していますし、三島由紀夫もなにやら、前もって時間をかけて推敲したような辞世の歌を遺しています。
前々から、死を決意して、準備していた辞世の句、歌ではなく、いかにも即興で書き、わかりやすい明快な句を残した人も多くいます。
神風特攻隊の創始者も、日本が戦争に負けたと知り切腹しましたが、彼の辞世の句は、【これでヨシ百万年の仮寝かな】というものです。もう一人、戦犯として裁かれた海軍の左近允尚正は、【締首台何のその敵を見て立つ艦橋ぞ】と死刑執行前に詠んでいます。
軍部公認のテロリストのような甘粕正彦は、大杉栄と奥さんの野枝さん、ついでに甥を殺害後、満州で軍部の利権をフルに着服したり、満州浪人の親分みたいになり、映画会社の幹部に納まったりしましたが、傑作な辞世の句を遺しています。【大ばくち身ぐるみ脱いですってんてん】というヤクザ賭博師のようなのです。いい気なものです。
そこでまた、ウチのダンナさんですが、本当のヤクザが遺した辞世の句をどこからか見つけてきました。石川力夫という人で、府中刑務所で飛び降り自殺をする前に書いた句で、【大笑い三十年のバカ騒ぎ】というのがそれです。
大泥棒の元祖、石川五右衛門も大きな釜で茹で上げられる前に、【石川や 浜の真砂は尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ】と詠み、なかなかウガッタ和歌を書き遺し死んでいるのです。アキレタ。
このような辞世の句、歌を書き遺した人たちは、いわば日本のエリート集団で、しかもかなりの教養を持っていた少数の人たちに限られると思っていましたが、どこの国の文化も少数のごく少数のインテリエリートが、ほかの90何パーセントかの人々を先導する形で興り、続いてきたと言ってよいかもしれません。
辞世の句、歌をたくさん遺したサムライクラスの人たちは、物心ついてから、自分がサムライとしていかに生きるべきかを自分に問い続け、自分を律していたのでしょう。その延長上に辞世の句、歌、詩があると言っても間違いないと思います。
私も辞世の句、和歌を準備しておこうかしら…とチラッと思いましたが、ウチのダンナさん、「オメー、優れた辞世の句というのは、やはり良くも悪くもユニークな人生を送った人だからこそ後世に残り、なるほどさもありなん…と味わいが出てくるもんだゾ」と言われてしまいました。
私のような田舎の大学の先生が、いくら名句をものにしても(書けるわけがありませんが…)、この人誰?と見向きもされないのがオチでしょうね。
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