■亜米利加よもやま通信 ~コロラドロッキーの山裾の町から


Grace Joy
(グレース・ジョイ)




中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。



第1回:男日照り、女日照り
第2回:アメリカデブ事情


■更新予定日:毎週木曜日

第3回:日系人の新年会

更新日2007/03/22


打ち明けて言えば、私のダンナさん(日本語で敬語を使いこなすのはミッション・インポッシブルです。ここではミウチなので呼び捨てにしてダンナ、亭主、主人もしくは愚妻のむこうを張って愚夫とへりくだって呼ぶべきなのかしら。田辺聖子さんは偉大です。“カモカのオッちゃん”と呼んで、自分のダンナさんを客観化することで、田辺聖子さんご自身の意見を一般化しているのですから)、ともかくウチのダンナは日本の外で40年近く生きてきたとはいえ、元?日本人です。人前に出たがらず、人間と会話しないで平気で何ヶ月、何年でも暮していける人種で、仙人のような人です。

私たちが住んでいる小さな田舎町にも"オリエンタル食品"の店があります。キャロルという外見は全くの東洋人でも、日本語を話せない日系二世の元気のよいおばさんがオーナーで、買い物に行くと彼女のおしゃべりをいかに早く打ち切り、会計を済ませるかが大問題になります。

私もここに住んでいる日系人とお話をするのは楽しいのですが、急いでいるときには逃げるのが大変なときもあります。とりわけウチのダンナと一緒のときは、ダンナの方がキャロルとの会話に加わらずに憮然として買い物籠を下げて待っているので気が気ではありません。そのキャロルが中心になって新年会を開くので、是非来てくれと誘ってくれたのです。

ダンナが、「行ってみるか」とつぶやいたときには、聞き間違ったかなと耳を疑うほど驚きました。パーティーの類いが嫌いで、私が引きずるように出席させようとしたこともありますが、それもあきらめの境地に近づいていたところでしたから。

新年会は町の図書館の会議室を借り、会費5ドル、それに各自料理を持ち寄るポトラック方式でした。60~70人は集まったでしょうか、この界隈にこれほど多くの日系人が住んでいることにまず驚かされました。キャロルによると新年会に来た人の倍以上の日系人がこの地域に住んでいるそうです。

もう一つの驚きは、日本の商社マンとか留学生、領事館などのお役人など、日の丸を背負い、日本臭さを漂わせている人が一人もいないことでした。8割は大戦中の強制収用所の経験がある年代で、他はその子供(と言っても50~60代ですが)なのです。

戦後、アメリカ人になろうとしてのことか、とても哀しいことですが、皆が皆、日本語を話すことができないのです。新年会の挨拶も、自己紹介も、談話もすべて英語です。

三世か四世の高校生が4人ブラスバンドで『君が代』を演奏しましたが、そのとき戦中派が、「注意しろ! FBIが潜り込んでいるぞ」と冗談を飛ばし大いに受けていました。彼らが戦争中に受けた苦しみはどんなだったでしょう。それから今まで偏見の中でコツコツと地盤を築いてきたのでしょう。陰惨な過去を冗談で笑い飛ばすことができる時代になったことは嬉しいことです。

ウチのカモカのオッちゃんであるダンナは、弱いのにお酒を飲み、顔を赤く照らしながら、もっぱら80歳以上の老嬢ばかりを選んで話し込んでいるではありませんか。

日本の女性は大和撫子(ヤマトナデシコ)と呼ばれるように、あくまで優しく、でしゃばらず控えめに夫に尽くすと言われ、その実績と定評がある…と思われていましたが、ウチのダンナが日系人一世の80歳以上の女性幾人かと話し、つぶさに観察したところによると、全く事実無根の風評で、実際には日本女性は強く逞しく、ダンナ連を取り仕切っているというのです。

とりわけアメリカ人男性と結婚しているケースでは、お見事、あっぱれなほど完全に彼女らのダンナさんたちをコントロールしているのにショックを受けてさえいるようでした。日本にも、修身の教科書に出てくる、明治の生き残りのようなお年寄りはもういないと思うのですが、どうでしょうか。

おばあちゃんたちの服装、金銀ギラギラの装飾品、化粧、どれをとっても立派なアメリカのおバアさんで、美しく枯れた日本のお年寄りではないというのです。

ウチのダンナは、「あのおバアちゃんら日本人じゃないな」と了見の狭いことをつぶやいていましたが、それは私たちが日本に帰るたびに、ウチのダンナが皆から言われ続けているのと同じ言葉なのです。

 

 

第4回:若い女性と成熟した女性