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■亜米利加よもやま通信 ~コロラドロッキーの山裾の町から

第702回:命短し、恋せよ、ジジババ

更新日2021/04/08


母が亡くなり、父が一人で老人ホームに住み始めてから1年4ヵ月になります。完全看護というのかしら、3食付、病院もある老人コミュニティーで安楽に暮らしているとは言え、やはり気になり、弟と示し合わせて父のところに1週間ほど行ってきました。

彼が住んでいる老人コンパウンド(複合施設)は、レストラン、事務所、娯楽室、そして5階建てアパートがある本館と各家が独立し、小さな庭とガレージ付きのマンションから成り立っています。

父が住んでいるのは寝室が二つ、バス・トイレも二つ、それに広いリビングに、3食レストランで食べるのですから、何のため?と言いたくなるほど完備したキッチンがあり、これ以上の望みようがない施設です。

言いたくはないのですが、私たちの小屋よりズーッと広く、設備、洗濯機、食器洗い機、冷蔵庫などなども新しく、超豪華版なのです。中学校の先生の年金と軍人年金、それに社会保障でこんなところに住むことができるのはとても恵まれていると思います。

彼がここに越すことにしたのは、長年同じ教会のメンバーだった友人エヴェレットの奥さん、ジュディの健康が怪しくなり、彼らは住み慣れた家を売り、ここに入居したからです。エヴェレットはもう三度の食事、洗濯、掃除と家の管理と奥さんの世話ができなくなったのです。

とても似た環境にあった父に、「この老人ホームに越したことは、私の生涯で最高の決断だった。ビル(父の名)、お前もここに来い!」と半ば強引に、自分が移り住んだコンドミニアムと本館の施設を案内して見せ、一緒に施設のレストランで食事を摂り、父に決断を迫ったのでした。優柔不断の極みである父がバカでかい家を売り、そこへ越す決断したのは、なんと言ってもエヴェレットの力が絶大でした。

飛行機の格納庫のような広大な物置に、歩けないほど詰め込まれたジャンク(父にとってはお宝でしょうけど…)を整理し、すべてオークションにかけて売り払い、すったもんだの挙句、この老人ホームコンパウンドに引っ越したのです。

一旦、老人ホームで生活し始めると、大きな池のある10エーカー(4万平米くらいでしょうか)の庭や家のことなど全く話題にしなくなり、スッポリと今の2軒長屋のコンドミニアムの生活に落ち着いたのです。レストランは本館にあり、そこで三度の食事を摂ります。そこまで70~80メートルでしょうか、表に出てホンノ少し歩く、ちょうど良い距離です。

父はファミリーレストランですら、あまり行ったことがありませんから、前菜に始まり、メインコース、デザート、そして飲み物(アルコール類は出しませんが)、まさに至れり尽くせりで、見開き4ページに及ぶメニューから自由に選び、しかもメインコースを2つ3つ摂っても良いときたもんですから、電話越しに、今日、何をオーダーしたか、それがどのようなプレゼンテーションで、味はどうだったか、それを説明するのに15分から30分かかるのです。しかも、ファンシーなフランス語やイタリア語で書かれたメニューも多く、父がアメリカ的な発音でフランス語を読み上げるのを聞かなければなりませんでした。

父はすべてにスローな人ですから、朝食に9時に出かけ、11時に帰ってきて、お昼は12時半に出かけ、2時半まで、そして夕食は4時半にコンドミニアムを出て、帰ってくるのが6時半頃と、まさに三食摂るのが大きな仕事になっているのです。まさに食べるために生きているを実践しているのです。おまけに昔の田舎の人ですから、朝食にレストランに赴く前に、シャワーを浴び、髭を剃り、アフターシェーブローションとオーデコロンをたっぷりかけ、ネクタイこそしませんが、服装を整えてイソイソと出掛けていくのです。

昨年のクリスマスの時より、姿勢がグンと良くなり、曲がっていた背筋も伸び、相当ひどく出ていた下っ腹も引っ込んできたのです。その秘密は、いつもガールフレンドと二人だけの合席で三度の食事を摂っていることでした。

今回、私たちが父のところに着くなり、父とベティーお婆さんの仲は老人ホームの住人、そこで働く人の皆が知るウワサの中心になっていることを知ったのでした。父はもうじき89歳になります。そして、恋人のベティーは90歳なのです。これを老いらくの恋と言わずに何と呼んだものでしょう。

三度の食事に行く前に、父はベティーに今迎えに行くよと電話し、50-60メートルしか離れていないベティーのコンドミニアムへ彼女を迎えに行き、そこからほんの筋向いにある本館に行くのです。それは小学校に初めて登校する子供が、近所の仲良しを誘い合わせて学校に通ったことをホウフツとさせます。父はベティーお婆さんをエスコートするようにゆっくりと歩き、ドアを開けてやり、椅子を引き、押し、ベティーを指定席になってしまった食卓に着かせるのです。

この三度の食事だけで二人で過ごす時間は6、7時間ほどになりますが、他にもフットボールの地元チームの試合は必ずと言っていいくらい一緒にテレビ観戦します。ベティーがどれだけフットボールに興味があるかどうか知りませんが…。それに、昼食の帰りにちょっとベティーのところに寄り、おしゃべりをしてきます。何やかやの機会を作り、父が彼女のアパートに、もしくはベティーが父のところに来て過ごす時間が多いのです。おまけに、ベティーがどこか専門医のアポイントメントに行くとか、ちょっとした買い物に行く時には、父がドライバー役を買って出てエスコートするのです。

弟と私は、母に対して父がこれだけ尽くしてくれていたらな~、と嘆息したことです。でも、父と母が初めて出会い、デートをし始めた時には、きっと父は母に、今ベティーにやっているのと同じような態度で接したのでしょうね。

若いウェイトレスは、ベティーはまるで性格が変わったかのように明るく、人と話すようになったと、彼らの相乗効果を絶賛していました。

男女間で平均寿命に大きな差があるのは、日本もアメリカも同じです。ということは、老人ホームは老嬢が溢れ、独り者の爺さんの方に希少価値が出てきているのです。父のいる老人ホームコンパウンドでも、未亡人が圧倒的に多く、もし父が望めば、1週間、7日、日替わりメニューのように異なる女性と合席で食事デートができるでしょう。でも今のところ、父とベティーは老人コンパウンドのウワサの渦中にあろうが、まったく周囲を気にすることなく、一週間、7日、三度の食事は欠かさずに一緒に摂り、楽しくも充実した時間を過ごしているのです。

それに何たって、老人たちは暇を持て余し、いつも繰り返してきた自分の話しを聞いてくれる相手を求めているのです。これも後期高齢者の役得で、話す方が同じことを繰り返しても、聞く方も彼の話を覚えていないから、いつも新鮮な会話が楽しめるようなのです。

恋愛感情はなにも若者の特権ではありません。誰もが、何時でもロミオとジュリエットになれるのです。“命短し、恋せよ乙女…”という歌が印象的に黒澤明の映画のラストシーンに使われましたが、恋心は何も若き乙女に限ったことではないようなのです。“命短し”の部分はかえって老人に当てはまります。

一度、カンサスシティー界隈に住むロン叔父さんの家に従兄弟や妹と集まりバーベキュー・パーティーをしました。久しぶりに家族、親類が顔を合わせたのに、父は心ここにあらずの表情でした。明らかに、ベティーが一人で本館まで歩き、一人で夕食を摂らなければならいことが気にかかっていたのです。

そういえば、1週間父のところに滞在した間、父は一度も母のことを口にしなかったことに気が付きました。私たちの母親ですから、少し寂しい気持ちにさせられました。私より10歳上のウチのダンナさん、「それで良いんでないかな。ビル、これから何年生きるか分からないけど、長くても10年くらいのもんだべ、それまで、大いに”恋せよ爺い“路線を突っ走るのがいいんじゃないか、それ行け、ビル!」と声援を送っています。

-…つづく

 

第703回:美味しい水のために…

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Grace Joy
(グレース・ジョイ)
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中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。

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