第703回:美味しい水のために… その1
私は水が大好きです。日本でよその家で御呼ばれされた時など、「お飲み物は何にします?」と訊かれると、チョット失礼かなと思いながらも、“お冷”または“白湯”と言ってしまいます。もちろん食事時、ワインや極々たまにシャンパンもチャンスを逃さずにタシナミますが、なんと言っても、水が一番です。
ところが、誰でもコボスように、水道の水は質の低下が酷く、味のことなど構っていられるか、塩素殺菌を徹底させ、ともかくバクテリア、バイキンを殺すため、消毒殺菌を優先するのが当たり前になってきたようなのです。
とりわけ膨大な水を確保しなければならない大都会では、水源にしている川そのものの汚染が酷く、とても敷き詰めた炭、炭素や砂利を通しただけでは取り除くことができない成分、汚れが増え、消毒液、殺菌剤を大量にぶち込んでいるように思われるのです。味のことはさておき、お腹を壊したりしない、バイキンさえいなければ、それでいいではないかという基本方針のようなのです。
私たちが小屋を構えている高原には水道がありません。ご近所さんも皆が皆、井戸水を使っています。私が育ったミズーリー州の田舎でも井戸水でした。ミズーリーの田舎では、どこを掘っても、10メートルくらいのボーリングで水が噴出し、地下水がとても豊富、湿った土地柄でした。ですが、ここは標高2,000メートルの台地ですから、地下深いところにあるであろう水脈を当て、そこをどれだけの深さまで掘り込むかが大きな問題になり、地下水のあるなしが、土地の価格査定に絶大な影響を及ぼします。
私が育ったカンサスシティーの北はずれの農地では、近くに水量の安定したクリークが流れていたせいでしょうか、あの界隈全体がそうなのか分かりませんが、父に訊くと、井戸は30フィート(10メートル)も掘ると、噴出すほど溢れ出たと言うのです。
それが、ここ、ロッキーのウエスターン・スロープの高台平原ですと、我が家の180フィート(60メートルほど)の井戸は当たり前で、先月新しく井戸を掘った、と言ってもツルハシ、スコップでではなく、油田掘削のように頑丈なパイプの先になにやら恐ろしげなギザギザの鋭い歯の付いた切り出しナイフを回転させながら、掘り進んでいくのですが、なんと500何フィート(152メートル以上)まで掘り下げ、やっと水脈に出会いました。
もちろん、そんなボーリングは1フット幾らでお金を取りますから、その土地を購入した人は、「これで、家を建てるお金がなくなってしまった、水を売るとするか…。でも、これで水が出なかったら破産だったな~」と泣き言を並べていました。でも、結果的に水脈に出会っただけ幸運なのかもしれません。ボーリングを繰り返しても、全く水が出なかった例をいくつも知っています。そんな場合でも、ボーリング会社に責任はなく、規定の、しかも莫大な料金を支払わなければなりません。
そこで、どこを掘るかを決める、“ここ掘れワンワン”が活躍することになります。もちろんそんな優れモノの犬はいませんから、音波、振動の反射をモニターで視て、ここなら地下何メートルに水脈があると予想、判断の基準にしています。が、これも絶対的なものではなく、ハズレも出ます。
この時代に…?と呆れたのですが、こちらで“ウイッチ”(witch;魔女、魔法)と呼ばれているやり方、L字型に曲がった銅の棒を両手に捧げ持ち、それを進行方向に向け、心を鎮め無にし、シズシズとオゴソカに歩くと、地下に水、鉱物、油なとがあると、アレヨ、不思議、前に向けていた銅線がスイッと180度開く…のだそうです。
一度、我が家の井戸を診てもらったボーリングマン、サウジアラビアで油田開発に携わり、その後引退し、独立したボーリング業を営んでいる初老の人も、たくさんの器具を積み込んだ大きなトラックに、その“ウイッチ”用の銅の棒を持ち歩いていました。そして彼曰く、「“ウイッチ”での探索は実際よく当たり、出る水の量、深さまで銅の棒の開き方、開くスピードなどで凡そ分かる…ようになる」と言うのです。町の水道局で、古い配水管などがどこにあるかを探るためにも“ウイッチ”を使っていると言うのです。
それを見、聞いたウチのダンナさん、元々何でも自分で試したがる傾向が強い人ですが、ワークショップに閉じ篭り、霊験あらたかなる、L字に曲がった魔法の銅の棒を製作し、実験を始めたのです。結果? もちろん、美味しい水の在処など彼に見つけることができるはずがありません。錆びた空き缶をいくつか拾ってきただけでした。
我が家の井戸の水を市の衛生局でテストしてもらったところ、大腸菌はもとより、バイキンの類がほとんどなく、飲み水として至って安全とのオスミツキを貰いました。そしてこれぞミネラルウォーターの極致、本当に美味しいのです。ところが、ミネラルが多すぎるスーパー・ミネラルウォーターというのは、早く言えば酷い硬水で、周囲の岩から溶けた石灰分が多いのです。ここ何年も井戸水をそのまま飲んできましたが、二人とも大丈夫でした。
冬の間、我が家は完全に薪ストーブが唯一の暖房ですから、空気が乾燥しすぎるのを防ぐため、大きな古いお鍋を蒸発皿として使っています。1週間もせずに、そのお鍋の内側にとても硬い石膏で覆われてしまったのです。その硬さたるや、ナイフで削り落とすこともできないほどのものです。
シャワーの出が悪くなり、蛇口、パイプなど外したところ(もちろん、ダンナさんの役目です)パイプの内側に硬い石膏がびっしり付いていて、パイプの直径の半分以下の内径になっていました。これを見てダンナさん、「オイ、俺たちの胃袋は蒸発皿のようになり、小腸、大腸はこのパイプみたいになるんじゃないか?」と言い出し、飲み水、コーヒー、お茶用の水は20リットルのポロタンクを幾つか持参し、わざわざ町から持ち帰っています。洗濯、お風呂、トイレ、食器洗いには井戸水を使っていますが…。
彼の密かな自慢であるらしかった、自分の土地から汲み上げた水を使い、それをまた大地に返してやる、基本方針にヒビが入ってきたのです。
まだ、西部劇に出てくるような風車タワーも、風車の羽のシッポというのかしら、風の方向に座車を向かわせる風向指示器?の大きな三角形の鉄板とクルクル回る羽根は残したままです。ヨットでマストに登る時に使ったハーネスで体の安全を図り、何回も、何時間も塔の上で過ごした結果、「ありゃ、すごく頑丈に、よくできている。だけど、電気モーターにしよう」と、風力でポンプを動かすのを諦め、電動にしたのです。ダンナさん、「これで、また一歩後退、文明に犯された堕落かな~」と呟いていました。
地下に横たわる水脈を、自然の力、風を利用して汲み上げ、それで生活するのは大変な労力を必要とすることなのです。
-…つづく
第704回:美味しい水のために… その2
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