■亜米利加よもやま通信 ~コロラドロッキーの山裾の町から


Grace Joy
(グレース・ジョイ)



中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。




第1回~第50回まで
第51回~第100回まで

第101回:外国で暮らすこと
第102回:シーザーの偉大さ
第103回:マリファナとドーピングの違い
第104回:やってくれますね~ 中川さん
第105回:毎度お騒がせしております。チリカミ交換です。


■更新予定日:毎週木曜日

第106回:アメリカのお葬式

更新日2009/04/23


『おくりびと』、アカデミー外国映画賞受賞、おめでとうございます。早く観たいのですが、この田舎町に新しくできた「ムルチシネ」はハリウッド映画専門ですから、映画館の大きなスクリーンで「おくりびと」を観る機会はないでしょう。 DVDになって売り出されるのを待つしかなさそうです。

アメリカのちょっとした町には、必ず葬儀屋さんがあります。こちらの葬儀屋さんは広々とした庭を持ち、一見教会のようにも見えるし、田舎町によくあるナントカクラブのようなメンバー制のお金持ち、慈善事業団体の建物のようにも見える、一見正体不明の瀟洒な建築物を持っています。

先々週、父方の叔母さんが亡くなり、急遽実家に帰り、葬儀の全過程を体験しましたので、アメリカ流お葬式を説明してみることにします。と言っても、ユダヤ人、カトリック、キリスト教でも宗派によって葬儀は違いますので、叔母さんのお葬式が一般的とは言えませんが。

ジェシー叔母さんが脳溢血で急死したのは、3月7日の土曜日でした。私は翌日の日曜日に実家に帰り、その足で葬儀屋さんの建物の中にある安置室で生命のない叔母さんと対面しました。

ジェシー叔母さんはすでに死化粧を施され、とても安らかに美しく見えました。が、これが葬儀屋さんの腕の見せ所なのだそうです。死体から血を抜き防腐剤を代わりに詰め込み、死体を綺麗に見せるのです。最後のお別れは、ヴューイング(Viewing)と呼び、極親しい人だけがジェシー叔母さんの最期の姿を見て、さようならをします。

一昔前までは、日本と同じようにウエイク(Wake)と呼ばれるお通夜をしましたが、最近あまりやらなくなったようです。

ジェシー叔母さんは、アメリカでやっと広がり始めた火葬に付されました。日本でのように焼き場へ車を連ねて行き、焼き上がるまで呑んだり食ったり?はありません。火葬も葬儀屋さんが手配し、一週間置いた次の日曜日、ヴィジテェーションの時には叔母さんは骨壷に入っていました。

ヴィジテェーションは、喪主や家族に慰めの言葉を一言掛けるという慣わしです。300人くらいは来たでしょうか、全員が喪主の従妹と抱き合い、慰めの言葉を掛けていきます。泣き出す人もいれば、手を握ったままで長々と話し込む人もいます。その間、他の人は長い行列を作って辛抱強く待ちます。喪主の従妹は、丁度抗がん剤の治療を受けている最中でしたから、長時間立って、全員の挨拶を受けるのは見るからに辛そうでした。できることなら代わってあげたいくらいでした。

翌、月曜日にお葬式が行われました。生涯、教会の熱心な信者であり、様々な活動をしていたジェシー叔母さんのお葬式に300人を超す人が参列してくれました。

葬儀は一時間程でしたが、その最中に、私の隣に座っていた弟、と言っても中年ですが、急にモノに憑かれたように泣き出したのです。そんなことは予想もしていなかったので、私は驚き、また静かな葬儀の迷惑になるので、弟に盛んに肘鉄を送り込み、彼の足を揺すり、膝を叩いたのですが、全く効果がありません。それどころか、彼の涙が私に伝染してしまい、二人とも大泣きしてしまったのです。

それを見ていた参列者の多くも誘われるように泣き出し、教会を涙で包んでしまいました。一度思い切り泣くとかなりさっぱりした気分になることを発見しました。

その後、ヘッドライトを点灯したままの車で隊列を組み、墓地に向かいます。よく映画に出てくるシーンです。墓地でも簡単なお祈りをして、先に入っている叔父さんの骨壷の脇にジェシー叔母さんのを並べて置き、重い石の墓標で蓋をして長い葬儀を終えたのでした。

それから、大半の人はもう一度教会に戻り、信者の人たちが準備してくれたお昼ご飯を食べます。中学校の給食風で簡単なものですが、幾日も葬儀の準備に追われていた人にとってはとてもありがたいことです。なにか一仕事を終えた後のような和やかな雰囲気が漂います。

めったに顔を合わせない同年輩の従弟たちとその晩集まりました。仕事の都合で来れなかった一人を除き、なんと12人もの従弟が遠くから集まったのです。私自身もそうですが、皆若い時に教会を離れ、遠の昔に信仰を捨てた者ばかりです。

子供の頃、お爺さんの牧場で毎年、夏休みに朝から晩まで一緒に遊び呆けたり、お爺さんの家で雑魚寝しながら過ごしたクリスマスのこと以外、共通点もなく、13、4歳からは全く違う道を歩いてきたにもかかわらず、こうして集まるのは"イイモンダ"と全員一致の結論が出たのです。

これから年に一度は従弟会を持とうと言うことになりましたが、また次の機会は他の叔父か叔母の誰かが死んだ時になってしまうのではないかという予感を持っていますが、どうなることでしょう。

 

 

第107回:不況知らずの肥大産業