第11回:他人が行かないところに行こう(後編) 更新日2006/02/09
ホテルの値引き交渉まで親切にやってくれたにもかかわらず、観光案内所は私がミンダナオ島サンボアンガで一番行きたいところへの行き方を教えてくれなかった。観光案内のパンフレットにもそこは載っているし、絵はがきにもなっている。案内所の職員だけではない。ホテルのフロントも、通りすがりの人々も、誰一人として教えてくれない。それは彼らがカトリックで、そこの人々がイスラムだからなのだろう。
サンボアンガの中心にある市場には小さなモスクがある。フィリピンはカトリックも家では手づかみでご飯を食べるが、外ではだいたいフォークとスプーンを使う。不思議なことになぜかナイフは来ない。ここまではどんな屋台でも頼めばフォークくらいはくれたが、さすがにイスラムの屋台では久しぶりに手掴みで食べた。郷に入れば郷に従う主義である。
誰も教えてくれないのなら自分で見つけるしかない。幸いにしてサンボアンガの人々はチャバカノを話す。チャバカノとはスペイン語が6割ほど混じった現地語で、この街の7割の住民が話す言語だ。南米チリではスペイン軍が最後まで残ったチロエ島のスペイン語が一番聞き取りやすい。サンボアンガでチャバカノが話されるのはおそらくそれと同じ理由によるものだろう。
しかし、やはりここでもスペイン語よりも英語のほうが通じることにじきに気づいた。ルソン島で話されているタガログ語は、スペイン語の名詞を多く含む。だから、何についてしゃべっているのかがなんとなく分かる。一方、チャバカノは動詞など文全体はかなりスペイン語に近いのだが、肝心の名詞が現地語であるため、結局よく分からんのだった。
右往左往2日目にして、やっと目的地までのジプニーの発着所を見つけた。フィリピン国内最大といわれるイスラム集落の名はタルクサンガイ。よそ者、しかも外国人が来ることなどほとんどないのだろう。着くまで40分、車内では好奇の目で皆に見られていた。中国系が多いルソンでは私の顔は違和感はないが、マレー系の面立ちが強いここでは目立つ。
大きなモスクの前でジプニーを降りた。すぐに住人から連絡がいったのだろう見張り役らしきおやじがやってきた。
「案内するよ。後でバランガイキャプテンのところに行こう」。
おそらく彼はバランガイキャプテン(この集落のリーダー)の命で来たのである。彼が付いているかぎりは、この村での身の安全が保障されるということだ。
タルクサンガイのモスク
英語の分かる村人が入れ替わり立ち代りやってきていろいろ教えてくれた。水上住宅で海風に吹かれながら話を聞く。自分の店のコーラをくれたのはタオスグ族のおじさんだ。ここにはタオスグの他にサマル族とヤカン族、バジャオ族が住んでいる。バジャオはムスリムではない。無宗教だ。でも、そんなことはどうでもいいのだと彼は言った。
「私たちはムスリムだけれど、もちろんテロリストではない。テロリズムは反イスラムだ。他国に戦争をしかけるアメリカのほうがよっぽどテロリストだよ。トラブルを起こさない隣人であるなら、どんな宗教を信仰していてもかまわない。君の宗教よりも君が穏やかな人柄であることのほうがよっぽど重要なことだ」
独自のパターンを持つきれいな布を織るヤカン族は、元々バシラン島に住んでいた。サンボアンガの南、スールー海に浮かぶバシラン島はアブサヤフの本拠地である。バシラン島では2000年3月に53人が誘拐され、4人が殺された。ほぼ同時にマレーシアのシパダン島にあるリゾートから誘拐された21人の欧米人が連行されたのは、バシラン島のさらに南にあるホロ島だ。さらに2001年5月にはパラワン島のリゾートから誘拐された20人がバシラン島に連行され、5人が殺されている。
「タルクサンガイまでは大丈夫だ。ここに泊まりたいのなら、私たちが君を守ろう。けれど、バシラン島やホロ島には危ないから絶対に行ってはいけないよ」。
アブサヤフから守ってくれると言っているのだ。ということは、ここにもアブサヤフが潜んでいる、あるいはやってくるということか。それなら日暮れまでに出ることにしよう。
バランガイキャプテンはちょうど家族で食事中だったので、一緒のテーブルでごちそうになった。焼き魚とトマトのサラダに白いご飯。キャプテンはアラブ首長国連邦に留学していたことがある。ここで10年前まで日本人が真珠の養殖をしていたという。しかし、治安が悪化したため、パラワン島に移ってしまったそうだ。タルクサンガイが恐れられているのは、イスラムに対する差別も大いにあるが実際に前線であることも確かな理由なのだ。
タルクサンガイの人々
それでもここにはけっこう日本人がやってくる。山下財宝を探しについ最近もまた来たよと見張りのおやじが言った。沖合いのサコールという島にはいまだにキャプテンカトウの地下壕があるのだという。まだ交換できるかと彼は古びた札のようなものを見せた。それは日本軍が発行した軍票だった。残念だけどもう交換できないと言うと、彼はちょっとがっかりしていたが、おみやげにと一枚くれた。もう日が傾いている。まもなく日没だ。
ありがとう。ここに来てよかった。戦争が通り過ぎ、テロリストがすぐ横にいても、あなた方が穏やかな人々であることが分かって。キャプテンの子供たちとおやじに手を振り、ジプニーに乗りこむ。ここで楽しい夜を過ごせる日が早く来ればよいのだが。
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